宇崎 竜童 年齢。 宇崎竜童

宇崎竜童と矢沢永吉はライバル関係だった?キャラが似ていたのが理由?|Aomameブログ

宇崎 竜童 年齢

宇崎竜童 嫁・阿木燿子、子供は? ライブハウスでのライブにこだわる理由は?! 宇崎竜童 嫁・阿木燿子に一目惚れ! ロック歌手で作曲家の宇崎竜童。 これまで、宇崎竜童は、嫁・阿木燿子と共に、日本の音楽史上に残る数々の名曲を生み出しています。 そんな愛妻家の宇崎竜童と阿木燿子との出会いは明治大学。 当時同級生だった宇崎竜童と阿木燿子は同じ軽音楽クラブだったそう。 キャンパス内を歩く阿木燁子を宇崎竜童は初めて見て、「僕の奥さんになる人が歩いてきた」と直感的に感じ、一目惚れしたといいます。 宇崎竜童と阿木燿子には子供はおらず、2人はおしどり夫婦として40年以上を仲良く共に歩んできました。 宇崎竜童 ライブに注ぐ熱い想い 現在でも精力的に多くのライブをこなしている宇崎竜童。 ライブハウスにこだわって活動しています。 今もなお現役ロッカーとして楽曲を発信し続ける宇崎竜童にとって、ライブハウスは阿吽の呼吸で反応が返ってくる特別な場所なのかもしれません。 さらに宇崎竜童は路上ライブも頻繁に行っています。 最近は、よく御茶ノ水駅前の聖橋口で路上ライブを行っているそうです。 しかし、なぜ御茶ノ水なのでしょうか? 明治大学の軽音楽部クラブでトランペットを吹いていた宇崎竜童。 阿木燿子と出合ったのも御茶ノ水ならば、作曲に目覚めたのもまた御茶ノ水。 「将来の家庭と仕事になるものに出会わせてくれた恩のある街なんです。 何かお返しできないかと思ってね」と語る宇崎竜童。 宇崎竜童 山口百恵に提供した曲TOP5 宇崎竜童 作曲提供はあの歌手にも!? 山口百恵の全盛期を支えたことで有名な「作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童」のコンビ。 宇崎竜童は他にもさまざまなアーティストたちに楽曲を提供しています。 「愚図」(研ナオコ)は、1975年に発売されたヒット曲。 オリコンチャート初のベスト9にランクインされました。 「お化けのロック」(郷ひろみ&樹木希林)は1977年にリリースされ、当時人気番組だったコメディドラマ「ムー」(TBS系)のテーマソングとなりました。 宇崎竜童 山口百恵 提供楽曲オリコントップ5! 伝説の歌姫・山口百恵に提供した宇崎竜童・阿木燿子コンビの楽曲は数多くありますが、今回はオリコンで上位にランクインしたシングル曲に注目してご紹介しましょう。 オリコン5位は「愛の嵐」(1979年)、オリコン4位は同率でたくさん並び、「さよならの向う側」(1980年)、「謝肉祭」(1980年)、「美・サイレント/曼珠沙華」(1979年)、「初恋草紙」(1977年)、「乙女座宮」(1978年)。 オリコン3位には「ロックンロール・ウィドウ」(1980年)と「絶体絶命」(1978年)、オリコン2位「プレイバックPart2」(1978年)、「イミテイション・ゴールド」(1977年)が。 そして輝かしいオリコン1位は……?「夢先案内人」(1977年)と「横須賀ストーリー」(1976年)となっています。 どれもこれも、時代を代表する名曲ばかりですね。 宇崎竜童 山口百恵の結婚に……?! 阿木燿子と宇崎竜童の作詞作曲名コンビと言えば、やはり歌姫・山口百恵の存在抜きでは語れません。 しかし、そもそも宇崎竜童が山口百恵に楽曲を提供したきっかけはなんだったのでしょうか? あるトーク番組によると、当時16歳だった山口百恵本人から、宇崎竜童に直接オファーがあって曲を提供することになったのだとか。 それまで接点があまりなかった宇崎竜童はこの山口百恵からのオファーには驚いたそう。 それからは曲を作ってはボツになる試行錯誤の繰り返し。 こうした作業を経て、あの名曲・「プレイバックパート2」は締め切りギリギリの15分か20分くらい前に完成しました。 やはり、脳裏に浮かぶ名曲の数々を産みだした苦しみや葛藤は、体験した宇崎竜童本人にしか分からない部分なのでしょうね。 そんな宇崎竜童ですが、この先目指しているものは何なのでしょうか? 別の記事によると、「自分が『やったな』と太鼓判を押せる名曲はまだ。 それを作りたい欲望が渦巻いている」とも語っています。 これまでの自分に満足せず、さらに高みを目指し努力し続ける。 宇崎竜童が時代を代表するヒットメーカーと呼ばれ続けるゆえんは、そんなところにあるのかもしれませんね!.

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サワコの朝宇崎竜童と阿木燿子を指名したのは山口百恵本人!

宇崎 竜童 年齢

最終更新: 2020年6月17日 04:24• 出身地 京都府京都市• 生年月日 1946年02月23日• 年齢 74歳• 星座 うお座• 血液型 O型• 略歴 これまでにダウン・タウン・ブギウギ・バンド、竜童組などのバンド活動を行う傍ら、ソロとしても活動するシンガーソングライター、俳優。 作曲家としても、作詞家の阿木燿子とのタッグで山口百恵の全盛期を支えるなど大活躍している。 トリビア 映画初主演作でもある『曽根崎心中』では、心中のシーン撮影の前に共演者である梶芽衣子から「ちょんまげしてヘッドフォンしてロック聴いてる場合じゃないわよ。 これから私たち、死ぬのよ」と、突っ込まれた。 梶芽衣子とは30年ぶりにある雑誌で対談を果たし、それがきっかけで2011年リリースの梶の新曲を宇崎がプロデュースした。 インタビュー取材では目下の者に対しても礼儀正しく、かたやギャグを連発し、場を和ませるワザに長けている。 その明朗な性格からか、音楽界・芸能界の交流は幅広い。 宇崎竜童のSNS Instagram インスタグラム 関連ページ 宇崎竜童の出演映画 2017年 「破門 ふたりのヤクビョーガミ」 滝沢役で出演 2015年 「グラスホッパー」 鯨の父役で出演 2014年 「新・極道の紋章」 2013年 「ペコロスの母に会いに行く」 「飛べ! ダコタ」 「かぐや姫の物語」 大伴大納言役で出演 2012年 「任侠ヘルパー」 朝比奈道俊役で出演 2011年 「鬼神伝」 2010年 「パーマネント野ばら」 カズオ役で出演 2009年 「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」 「僕らのワンダフルデイズ」 特別出演役で出演 2008年 「禅 ZEN」 「ホームレス中学生」 川井正光役で出演 「春よこい」 2007年 「音符と昆布」 「次郎長三国志」 「オリヲン座からの招待状」 豊田松蔵役で出演 2006年 「TANNKA 短歌」 「映画監督って何だ! 」 2004年 「デビルマン」 2003年 「g me. 」 小塚滋役で出演 「嗤う伊右衛門」 「実録 名古屋やくざ戦争 統一への道2」 「ニワトリはハダシだ」 「アンテナ」 2002年 「突入せよ! 「あさま山荘」事件」 宇田川信一役で出演 2001年 「かあちゃん」 同心役で出演 「かあちゃん」 「ゴジラ モスラ キングギドラ大怪獣総攻撃」 立花泰三役で出演 2000年 「ボクの、おじさん」 「どら平太」 1999年 「秘密」 「学校の怪談4」 1998年 「新宿少年探偵団」 1997年 「猫の息子」 「傷だらけの天使」 足立源太役で出演 1994年 「四十七人の刺客」 堀部安兵衛役で出演 1992年 「寝盗られ宗介」 「エロティックな関係」 NEGISHI役で出演 1991年 「魚からダイオキシン!! 燃える男 星野仙一物語」 1983年 「熱帯夜」 1980年 「阿修羅のごとく パートII」 「赤い死線」 「NHK大河ドラマ 獅子の時代」 1979年 「阿修羅のごとく」 1976年 「コードナンバー108 7人のリブ」 「必殺仕業人」 ナレーション役で出演 宇崎竜童の関連ニュース•

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宇崎竜童と阿木燿子の子供や曲は?逮捕?本名は?高学歴だった!

宇崎 竜童 年齢

75年(28歳)「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」がヒット。 84年(37歳)映画「上海バンスキング」主演。 元外国航路の船員(機関長)。 ・8人兄弟の末っ子。 姉が2人いる。 ・豪邸に住んでいた。 運転手付きの自家用車があった。 ・3歳の時、姉にふざけて電柱に縛り付けられ、犬にズボンを引きずり降ろされた。 それがトラウマになってその後しばらく姉に「犬」と言われると泣いていた。 ・父親の躾はとても厳しかった。 ・泣き虫の甘えん坊だった。 母親か姉に幼稚園の送り迎えをして貰っていた。 ・子供の頃から低いかすれた声だった。 子供のキーで歌えなかったので音楽の成績は1だった。 声変わりをしないまま大人になった。 ・子供の頃、毎週映画に連れて行って貰った。 西部劇が大好きだった。 ・小学校時代、6年間クラス替えがなかった。 ・小学校時代、学級委員長。 ・小学校時代、渋谷区主催の絵画コンクールで入賞。 ・中3まで代々木上原まで住んでいた。 近所に大きな森や沼が残っていた(ザリガニを採って遊んだ)。 ・中学時代、ブラスバンド部でトランペットを担当。 運動会や卒業式で立っているのが嫌だったのでブラスバンド部を選んだ。 ・中学時代、映画をたくさん観た。 製作年・監督・出演者などを細かくノートにつけていた。 将来映画評論家になりたいと思っていた。 ・中3の時、父親の会社が倒産して豪邸から小さな家に引っ越した。 引っ越しの際にそれまで集めた大量の映画パンフレットを親が勝手に処分。 ・高校時代、仲間とバンドを結成。 ・中学校・高校は男子校。 女の子に全然縁がなかった。 ・学生時代、運動が大嫌いだった。 ・学生時代、ノートに何かを書くのが好きだった。 テスト前夜にノートを明け方まで清書した。 ・大学時代、軽音楽部。 ジャズバンドでトランペットを担当。 ・大学時代、アルバイトで購入した中古のエレキギターで4年間で約400曲を作曲。 何の根拠もなしに「絶対に売れるプロの作曲家になれる」と思っていた。 自分で書く詞はワンパターンなので親や知人に書いて貰った(その中に妻がいた)。 ・大学4年の時、デザイナー養成の塾に通った。 坦々麺。 大福もち。 明治の板チョコ。 和菓子。 甘いもの。 ・1日4〜5回おやつを食べる。 ・食事は1日2回(朝と夜)。 ・外食時も20種類以上の食材を食べるように心掛けている。 ・酒はほとんど飲めない。 ビール3㎝でいい気分になる。 酒を飲む人と一緒にいるのは好き。 ウーロン茶で盛り上がって朝までハシゴする事がある。 ・何度も禁煙に挑戦して何度も失敗。 ・健康法…日田天領水(大分から取り寄せる)。 ・持病…首から肩の神経麻痺(ロック歌手の職業病)。 ・30代で両方の耳が難聴になった。 高性能の補聴器を愛用。 ・右耳の内耳を痛めた事がある(それ以降バンドの音を控えめにした)。 ・野良猫に目のあたりをひっかかれて目頭から紐のようなものが出てきた事がある。 ・3:00に寝て10:00に起きるのが基本パターン。 ・機械類の操作が苦手。 携帯電話の留守番電話の設定ができない。 ビデオの留守録画が10回のうち2回しか成功しない。 妻も機械類の操作が苦手。 ・結婚後25年間は一切家事をしなかったがだんだんやるようになってきた。 猫のトイレの世話、夕食後の皿洗い、ゴミの分別&ゴミ出しなどをやる。 ゴミの分別を間違えて何度も妻に怒られた。 ・映画が大好き。 一番観ていた時期は1年間で約300本観た。 ・関連本を買い込んで黒澤明監督作品を研究した事がある。 音楽の使い方に関する指示をノートに書き写した(後に映画音楽をやる時に役立った)。 ・雑誌を見て気になった服、靴、小物などの記事をスクラップする。 ・自宅のガレージにエルビス・プレスリーに関する品々を飾ってある。 ・アジア雑貨が好き。 ・ネイティブアメリカンが好き。 さまざまなグッズを多数持っている。 テレビの企画で一緒に生活して「カミナリと一緒に歩く男」という名前を付けて貰った。 ・ペット…猫3匹(名前は青山ササミ、赤坂トロロ、赤坂オボロ)。 猫が大好き。 猫の事を考えると早く家に帰りたくなる。 猫に話しかける時は猫なで声になってしまう。 猫のパンチが目に入って眼球を怪我した事がある。 ・住んでいる所…東京都港区赤坂(一軒家、02年にリフォーム=03. 09現在)。 ・自宅に夫婦各々の仕事部屋がある。 ・いきつけ…中華「涵梅舫」(赤坂、北京宮廷料理)。 ・35歳の時にクルマの免許、30代後半でバイクの免許を取得。 ダウンタウンブギウギバンドの全盛時代は自転車に乗っていた。 ・スポーツが嫌い。 高い会費のスポーツクラブに入会したが5年間で一度も行っていない(=02. 11現在)。 ・何をやっても4〜5年で飽きる。 ・「坂」に興味関心がある。 ・方向音痴。 ・年に数回国内外にキャンプに行く。 釣りやカヌーで遊ぶ。 ・6人乗りのヨットを仲間と共同で購入。 ・妻(阿木)は初めて交際した女性。 明治大学軽音楽部の勧誘で初めて見た時に「僕の妻が歩いて来る」と感じた。 ・3回目のデートで「君は僕と結婚する事になってますのでよろしく」とプロポーズ、 その後8年間口説き続けて結婚した。 ・新婚旅行で屋久島に行った。 ・夫婦の会話が多い。 毎日夜中まで話をする。 ・夫婦ともメカに弱い。 携帯電話の留守番電話の設定ができない。 ビデオの留守録画が5回に1回程度しか成功しない。 ・映画観賞は夫婦共通の趣味。 ・妻は料理が得意。 カロリーやバランスに配慮した野菜中心の惣菜を1日に7品以上作ってくれる。 3:00に寝ても7:00に起きて朝食を作ってくれる。 小鉢がたくさん並ぶ食卓を「家庭懐石」と呼ぶ。 宇崎がスカウトしてプロデビュー。 ・時任三郎…友人。 ・西沢ヨシノリ(プロボクサー)…友人。 試合を観に行く。 ・内田裕也…芸能界の兄貴分。 内田から電話が来るとすぐに駆け付ける時期が7〜8年間あった。 ・根津甚八…バイク仲間。 ・風間深志…バイクの師匠。 ・松崎しげる…松崎が組んでいたバンド「ミルク」のマネージャーを宇崎が担当。 ・所ジョージ…デビュー前に宇崎の前座をやっていた。 芸名「所ジョージ」は宇崎の命名。 ・篠原ともえ…ユニット・篠龍でCD「キャラだもん」をリリース(=01年)。 ・水谷豊…ジョイントライブを開催(=11年)。 ・柳ジョージ、坂本冬美…ジョイントコンサートを開催。 ・ヒロミ…ヒロミがテレビの企画で作ったバンドに曲を提供。 ・山口百恵…阿木燿子作詞・宇崎竜童作曲で多数の楽曲を山口に提供。 「横須賀ストーリー」「夢先案内人」「イミテーション・ゴールド」 「美・サイレント」「プレイバックpart2」など。 「プレイバックpart2」はスタッフにダメ出しされて一晩で作った。 ・内藤やす子…「想い出ぼろぼろ」で日本レコード大賞作曲賞。 ・研ナオコ…「愚図」を作曲。 ・高田みずえ…「硝子坂」を作曲。 ・鈴木雅之…よく間違えられる。 ・高倉健…憧れている芸能人。 映画「駅 STATION」で共演。 ・いしだあゆみ…宇崎の大ファン。 ・薬丸裕英…ダウンタウンブギウギバンドのファン(レコードを多数所有)。 シブがき隊のアルバムの宇崎が曲を提供。 ・阿木燿子…作詞家。 10結婚。 明治大学軽音楽部の同期。 ・「宇崎竜童」という芸名は阿木と一緒に易者につけて貰った。 ・義兄がやっていた音楽プロダクション(大橋プロダクション)に4年在籍。 裏方として新人歌手のスカウト、著作権の管理、ブルーコメッツの付き人、 松崎しげるのロックバンド・ミルクのマネージャーなどを担当。 バンド名のミルクは宇崎の命名(夏は「アイスミルク」、冬は「ホットミルク」と称していた)。 ・マネージャー時代から自作の曲をあちこちに売り込んでいた。 ・大橋プロダクションを退社後、横浜本牧のクラブで弾き語り。 ・ダウンタウンブギウギバンドを結成に際して、 何の根拠もなく「絶対に有名にしてやるから」といってメンバーを集めた。 ・ダウンタウンブギウギバンドとしてデパートの屋上のショーや熱海のホテルの金粉ショーに出演。 ・ダウンタウンブギウギバンドはサングラス、リーゼント、つなぎの作業着がトレードマーク。 当初はタキシードを着ていたがお金がなくて1着しか作れず、痛んできたのでつなぎに変えた。 ・ダウンタウンブギウギバンドのコンサートの客は暴走族が多かった。 ステージに向けてタバコや爆竹が飛んで来た。 ステージに勝手に登ってきて踊る客、緞帳に火をつける客がいた。 ・ダウンタウンブギウギバンド時代、不良キャラを演じていた。 常にサングラスをかけてた。 先輩歌手に挨拶をしなかった。 ・「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は男性口調の歌詞だった為、 本当は宇崎が書いたのを税金対策で阿木名義と疑われた。 ・映画「トラック野郎」の主題歌「一番星ブルース」を作曲。 ・映画「社葬」で日本アカデミー賞音楽賞を受賞(=89年)。 ・11人編成のバンド・竜童組を結成(=84年)。 和太鼓を使った和風ロックに取り組んだ。 日本のロックバンドとして初の中国公演。 ・映画「魚からダイオキシン! 」を監督(=91年)。 ・東京23区の各区をまわる「23区ライブ」を開催(=96年)。 ・年齢にちなんでギター1本で東海道五十三次弾き語りツアーを開催(=99年)。 東京の日本橋でスタートして約3ヵ月後に京都の三条大橋で終了、 通常のホールほかストリートや能楽堂や江戸時代の本陣跡などで歌った。 ・一晩で一気に作った曲の方が良い曲が多い。 ・若い頃は詞先だったが妻の要望で90年代から曲先になった。 ・作曲した曲を妻にダメ出しして貰う。 意見が食い違った時は妻に従う。 過去作や現存する曲から無意識にメロディを借りて作った曲はOKが出ない。 OKが出るまでに15曲作った事がある。 ・デビュー以来1週間以上の休みをとったことがない。 ・若い頃から毎日最低1曲は作曲する。 ・曲作りの幅をレゲエ、ラテンにまで広げた時期もあった。 ・赤坂にスタジオ、事務所、ミーティングルームが入っているビルを持っている。 ・歌詞を覚えられないので営業の時は看板の裏がそのままアンチョコになっている。 ・アムネスティー支援コンサート、山梨県で自然塾を開催などの社会活動をやっている。 ・自宅を「情報ツウ」で公開(=03年)。 ・自作の絵と詩をコンサート会場で販売して売り上げを寄付。 ・飼い猫のパンチが目に入って眼球に怪我をした事がある。 ・赤坂のフレンチレストラン「november-eleventh」を夫婦で経営(=11. 11現在)。 おすすめメニューはキャベツステーキ(=03. 08現在)。 ・舞台「Ay曾根崎心中」を01年からほぼ毎年公演。 「曾根崎心中」をフラメンコと和楽器で表現する官能的な作品。 阿木が作詞とプロデュース、宇崎が音楽監督と作曲を担当。 ・作曲総数は歌が約4000曲、映画や演劇用の音楽を加えると10000曲以上(=19年現在)。 ・著書…「ブギウギ脱どん底ストーリー」「あいつの言葉の杜切れ間に」。

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