遊び を せん と や 生まれ けむ 展。 樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展 特別編

樹木希林 遊びをせんとや生まれけむ展・完全版

遊び を せん と や 生まれ けむ 展

さぁ着物ファンの皆さま!いよいよ【きものの部屋】です! 着物ファンじゃないけど、この展示を楽しみに読んでくださった方、ほんとうにありがとうございます! 楽しんでいただけましたら嬉しいです。 あまりに好きすぎる着物にすぐに駆け寄りたい欲が体を駆け巡るんですが、なんせそれが、一か所どころか数か所ですらない、数十か所あるわけですから、パニックになるのも当然です。 これから行く人は、どれも素敵なので、人の列の切れ目のある着物から見ていくのをおススメします。 なぜなら、<一目見て次に行く>っていうことができない着物ばっかりだから。 皆さん、いいなぁってまず着物をみたあと、人によっては着物を凝視して、さらにパネル読んで「え?」ってなってまた見返すっていうことに絶対なってるので、基本的に立ち止まってる時間が長いんです。 列の流れで見ていこうとすると、はっきり言って、動きません! 笑 それでは。 どれも素敵だったけど、着物愛好家だけど専門家ではない私の、マニアック視点からピックアップしていきます。 私の理性が吹っ飛んでく可能性がありますが、ご了承ください。 初っ端からドンピシャに好みすぎる、奥のトルソーが着ている着物。 大好きな小紋柄がモノトーンで切り替えになってる!切り替えというか、切嵌め風に染めてるんですって。 着物用語って難しそうに聞こえるけど、意外と聞くと単純なのです) ふぁっ!片身替りのアンサンブル!どちらの布も、言われてみれば無難とか地味な感じもする。 この組み合わせに仕立て直しちゃうんだもんなぁ。 そのたびにちょっと先にこの会場に来てた人たちが心の中で「だよね~」って相槌を打ってます。 おはしょり分の長さをどこで上げてるかが気になるんですが、裾上の縫い目がそれなのかな。。。 触ってはいけないのは百も承知なんですが、その衝動を抑えるのに一苦労です。 次に並んでいるお着物に目を移しましょう。 パネル読んでみましょう。 うん素敵。 もうすでにぼぉっとなってるけど、確かに素敵。 パネル読みましょう。 そうそう、一枚の着物が帯の印象でガラリと趣が変わる。 帯をよぉく見てみましょう。 とにかく進もう。。。 しかもツバメくんかな、この鳥くんがゴツゴツさからのものすごいギャップでかわゆすぎやろ。。。。。 すみません、だいぶ鳥見だして、、、失礼、誤植ですね取り乱しております落ち着けわたし。 言っときますけどまだ三分の一も見てないです。 この蔦文様のとてつもなく美しい繊細さが伝わりにくい私の写真の下手さよ。。。。 丸帯から名古屋帯が二本取れるって、そっかそう考えるとやっぱり丸帯ってすごい お着物に詳しい人でないと、何言ってるかわかんないですよね。 もしよかったら「丸帯とは」で検索してみてください。 日本の着物文化ってほんとすごいんです。 うっすら柄が見えますよね? さぁパネルを読んでみましょう。 具現化系念能力でもお持ちですか石田節子さま。。。 ハンターハンターご参照ください適合しない物言いであることの自覚は辛うじてあります譫言を言い始める段階に来ました わぁこれも素敵な色の着物と柄の帯。。。。 まだ半分も見てません あ。 「比翼って何?」って思った方へ。 要は飾り襟みたいなものです 説明だいぶ雑。 あ、このお着物も!見つけたぞ! お分かりになりました?こちらもアカデミー賞の授賞式で着用されていました。 次に平置きで展示されてる夏着物(まだある夏着物👀)、いきましょう。 透ける着物を重ねて仕立てたお着物。 紗 透ける着物地 を袷で作るから紗袷。 なので紗袷は夏の着物です。 多分、色んなご縁のなかから、希林さんの目に触れた夏着物はきっとたくさんあったと思うんです。 その中からこの子たちで紗袷にしようって選びとる目がすごいし、この透けて重なるからこその色と柄の美しさ、着姿からちらりと覗く色柄のインパクト、それでもってこの帯!ねぇどうしたらいいですか痺れるんですけど痺れまくってるんですけどもう結構酸欠進んでると思うんですけど、、、、はい、その隣へ! 隣のモダンすぎるお着物から目を移してちょっとひと息。 うん、これも素敵。 綺麗な紗袷に素敵な帯。 へぇボタン 懐かし 壊れるまで全力で連打し続けますよこれは。 のれんの帯にもってかれがちですけど、着物に戻ろう。 この着物は、着たとき・着て外に出たときが、『光る場所』だったんだなぁ。 この着物を平置きで展示してこの写真を添えたところに、またしてもキュレーターさんの凄腕を想う。。。 私の息が続かない感じがしてますが、皆さん大丈夫ですか? うん素敵。 「内田」姓への想いが見えるお着物。 確か、娘さんの旦那さまである本木雅弘さんはお婿さんに入られてるんですよね。 というか。 自分で紋を考案するって、どんだけ多彩なんだ樹木希林さん。。。。 「夏着物、多すぎる。。。 」ということに着物友達とふたりで驚愕してたんですが、なんかこのラインナップを見てたら、着物のなかでも透け感を遊ぶ夏着物が特に好きだったのかなとも思ったりして。 「着物を普段着にしよう」と息巻いていた私。 ここ数年でようやく肩の力が抜けてはきたけれど、本当なら、着るものなんてただただ自分の好きなものを着ればいい。 人目だとか年齢だとか役割だとかお金だとか、自分の好きなものを着ていいはずの毎日に、私たちはどれだけ窮屈な思いをしているんだろう。 2017年のそごうのCMって、本当にすごかったんだな。 この展示でそごう美術館限定でこの【きものの部屋】の展示があるって、そういうことだったのかな、と思う。 とはいえ端からちょこっと見えてますし、パネルにも書いてありますが、帯の柄と同じ布が八掛(裾の裏地)についてるんです! 長襦袢地をほどいて帯と八掛に。。。 これくらいじゃもう驚きません。 とにかくこの組み合わせ、すごい好き。 裾と袖に切嵌め。 この柄の生地を普通に着物に仕立てるんじゃなく切嵌めにあしらうことで、この柄と元の着物が惹き立ちあう。 『光る場所で活かす』。 しかも元の着物は男物だっていう。 最近男着物に嵌り始めた私には、だからどうって言われたら何もないのだけど、やっぱりなんか嬉しい。 追っかけ仕立て。。。 (右下のパネル読んでね) え。 普通は見えないからこそ見る可能性のある人にだけ向けたおしゃれだったりとか、ちらりと覗くその一瞬で人をドキリとさせたりとか。 ネットで探してみてもいろいろ出てくると思います。 いいか悪いかはともかくとして、裏地に春画の生地を使ったりとかね👀 この私の写真だとあまりに伝わらない!と思って4回目に行ったときに写真撮り直しました!と言っても限界はあるんですが。。。 更紗自体、ワクワクする壮大な歴史を持ってるんですって。 ロマンがあるなぁって思っちゃう。 そして、切嵌めにしてはおとなしくすら感じる四角形での組み合わせ。 でも、想像してみてください。 今まで見てきたお着物のほとんどに、そういう手間暇をかけて愛用していたのだと思うと、センスもそうだし、その愛もそうだし、ぶっちゃけちゃえばかかる費用だってそうで、ため息しか出てこなくなってくる。。。 この会場には、そんな感嘆の気配が満ち満ちていて、それがまたなんだか幸せな気分になるんです。 なーんて思っていたら、、、 友人「ねぇねぇ。 あのおくみのとこ、、、汚れてない、、、?」 私「え」 あーーーほんとだ! わかります?前身頃の端の上の、帯の下あたり。。。 着物着る方は特にイメージしやすいと思うんですけど、右手でコーヒーか何か持っていて、ふとした時に「あぁ~っ!」ってなる、あの場所。。。。 切嵌めに片身替り、袷の色柄合わせ、追っかけ仕立て。。。 「組み合わせて光らせる」。 存分に楽しんでいた希林さん。 なんか元気をもらえる気がするんです、この展示。 酸欠にはなるんだけど。 ものすごく酸欠にはなるんだけど。 大胆すぎる片身替りの振袖 で、合ってますよね?自信ない)。 このお着物がきっかけで、具現化系念能力をお持ちの石田節子さんとの交流が始まったとか パネルにそう書いてあった気がする)。 1回目に行った時は「この線より内側に入らないでください」って注意書きのパネルが貼ってあったんですけど この写真でも奥の方にちょっと見えてます 、2、3回目に行ったときには、あらぬ方向に散乱しちゃってました 笑。 皆さん守ってないわけじゃないんですよ?内側に入らないように着物に触らないように注意しながら、でも夢中になって身を乗り出して見たくなる着物ばっかりなので、ついつい靴先がそのパネルにひっかかちゃうんでしょうね。 4回目 最終日 に行ったときには、立ててありました(笑) この攻防にちょっと笑っちゃうっていうね(笑) いえいえ攻防だなんて。 そしてこの写真だとわかりにくいんですが、地紋と色がすっごく綺麗で!あと袖裏の赤! で。 ぼかしの八掛見ようとめっちゃぐるぐるしてたんですけどね、 袖口と袖裏の色も違ってるんですね。 そいでもって半襟の柄に小物遣いの絶妙さたるや! 次行きますよ! アンティークの紋付に黒羽二重を裾と襟に切嵌め。 帯も実は切嵌め。 潔いくらいに八掛も黒、半襟にも柄黒。 くぅ~っっ!カラフルなのからシックなのから、自由自在すぎます希林さん! はい次! 青にあっさりした白の縞の結城紬に、袖裏を赤、袖口と八掛を紫!そこに抹茶色の地に紫刺繍の半襟、帯は、、、昔の布団生地ですって👀!布団ね、うん、もう何も言わない。 はいつぎ! 映画の衣裳。 たぶん『モリのいる場所』で間違いないと思います。 独特な光沢の高級感と、何とも言えない色気が漂う感じ、、、。 私、漆の器とか食器とかにすごく憧れてるんですが、着物にもドキッ。 意外と…雑くないですか…」友人「……たしかに 笑 」 だって、これだけ切嵌めだ八掛だ片身替わりだって仕立て直してて、この着物だって仕立て直してるのに、、、ここにきてこの雑い感じがまたものすごくツボってしまい、、、 なんかもうやっぱり樹木希林さん大好きですほんとに! ちょっとガラス展示に戻りますね。 娘の也哉子さんの婚礼の時のお着物ですって。 何回も言うけど私の写真が下手なのが申し訳ない.。。 この帯の鯉なんか、実物見ると迫力ありすぎて鯉に見えないの、なんかもうすでに龍に見える。 「肩の鶴は消したい」って言って、消せるものなんですね。。。 確かに肩に鶴はいないし、ブーツはいてるし、かっこよすぎ。 そしてその横に、 はい!前編から読んでくださってる方!これです! ゼクシィのCMのご夫婦の衣裳、展示されてるんですよ!なぜか希林さんの衣裳の写真を撮り忘れてました。。。 だったので!4回目にちゃんと撮ってきました! それでですね、4回目に行って、やっと気づいたんです。 このお着物、『万引き家族』で希林さんが日本アカデミー賞を受賞されて、亡くなられた希林さんの代わりに授賞式に出席された也哉子さんが、着ていらっしゃったお着物なんです。 それに気づいて、また思わず泣いてしまって。。。 ガラス展示の中央に也哉子さんの婚礼の時の着物、その左脇に希林さんが着たゼクシィCMの衣裳、右脇に裕也さんが着たゼクシィCMの衣裳が展示されてるのがね、なんか素敵だなとも思ったんです、3回目に。 それで、ほんとこのキュレーターさんのお話まぢで聴きたい。 って思ったんですけど。 4回目にそのことに気づいたら、もうなりふり構わず「なんて素晴らしい家族なんだ!」って叫びたくなってしまった。。。 キュレーターさん、本当にありがとうございます。 素晴らしい展示です。 ほんとうに。 そしてこちら。 とにかく「すごい。。。 私が一番泣いてしまった展示。。。 左下のパネル、拡大して読んでみてください。 『お気に入りでよく着ていた羽織』。 家族のシーン。 裕也さんの隣の笑顔。。。 やっぱり。 胸が熱くなる。 二度見したもの、唸ったもの、笑ってしまったもの、思わず歓声を上げたもの、うっとりと見入ってしまったもの、、、そのひとつひとつのいちばん最初に、 希林さんの「なんとかならないかしら……」 そう思ってみると、さらにこの着物たちが活き活きと迫ってくるのです。 石田さんや職人さんたちとの会話を想像して、わくわくしてくるのです。 『光る場所に置いて活かしたい』という愛に、またも胸がいっぱいになるのです。 【きものの部屋】のお話、これにておしまい。 ひとまず、お疲れさまでした。 【京都の部屋 そごう美術館限定 】希林さんが京都で通った何必館の展示 【京都の部屋】は撮影禁止です。 一回目に行ったときは、【きもの部屋】を出て本当に息も絶え絶えだったので、じっくり味わう余裕がなかったのですが、3回目にしてゆっくりと見て回ったら、本当に素晴らしい展示がされていました。 映像展示スペースの前に椅子があり、その映像もとても沁み入るので、そこでひと息つけて、ゆっくりご覧になるのをおススメします。 芸術、美術、だれかとの縁、人との繋がり…。 希林さんのお人柄を入口に、大切な何かを垣間見ることのできる展示です。 【言葉の道】希林さんが様々なメディアに残した言葉たち 言葉達のパネルの背景になっているのは、お庭の写真だと思われます。 【京都の部屋】の展示品のなかには、何必舘の館長さんに宛てた希林さんのお手紙も。 そこには、お家を建てているときに館長さんが「僕なら庭を広くする」と仰って、その通りにしたら大成功だったと嬉しそうに報告されているものも。 このお庭を、希林さんは本当に愛していらっしゃったのだろうなぁ。 『だから私のなかに、愚痴っていう言葉がないのよ。 中略)そういうものに出会ってしまった自分、というふうに思うから。 裕也さんの隣の、あの笑顔を思い出す。 今は私は、「まだ若い」と言われる。 健康だし、元気だ。 でもいつか何かを抱えたときには、この人の言葉を思い出せたらいいなと思う。 でもね。 ワタクシ、俳優の端くれなので、、、 笑 が、がんばれわたし。 最後まで読んでくださった方、ほんとうにほんとうにありがとうございました。 これにてほんとの、おしまい、おしまい。

次の

樹木希林『遊びをせんとや生まれけむ展』特別編 〜そごう美術館〜

遊び を せん と や 生まれ けむ 展

「遊びをせんとや生まれけむ」この有名なフレーズは、『梁塵秘抄』という本の中にある、当時の歌謡曲の中の歌詞の言葉です。 『梁塵秘抄』は今様の歌謡集 この歌謡は「今様」(いまよう)と呼ばれました。 『梁塵秘抄』は、その今様を集めた、平安時代末期に編まれた歌謡集です。 本来は短歌のような書き表された詩歌ではなくて、演者、主に遊女が実際にその歌詞で歌い、同時に舞いを舞う芸の一つでした。 「遊びをせんとや生まれけむ」は今様の歌詞 後白河法皇は少年のときより、この「今様」と呼ばれる歌謡をたいへんに好んでおり、実際演じさせては楽しみ、また自分でも口伝えにして憶えて、歌ったりしたのです。 自分の死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にしました。 その集成の本のタイトルが『梁塵秘抄』です。 その当時に楽譜があれば、それも書き残すことができたでしょう。 後白河院は、それを遊女から、口伝えで直接習ったようですが、残念ながら節回しは正確にはわかりません。 しかし、類推するところを演奏している演奏家や、ネットで音源にしている人もおり、いろいろな推測がなされているようです。 「梁塵秘抄」の現代への伝わり方 1911年(明治44年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見されました。 それに続いて、大正から昭和にかけて、佐佐木の校訂による本が明治書院と岩波書店から刊行されたのです。 そして、その当時それを読んだ、斎藤茂吉や、北原白秋が感銘を受けて、そのモチーフを相互に短歌に取り入れ、お互いにも影響を受けました。 もちろん、私が『梁塵秘抄』に興味を持ったのも、それらを取り入れた短歌の作品を読んだからです。 下に述べますが、ひじょうに魅力的なモチーフで、際立った特徴があります。 関連記事: 「今様」とはどんな歌? そもそもの「今様」とはどんな歌だったのでしょうか。 「今様」の「今」とは古いものに対して、その時代には最も新しいものであったという意味です。 いくつかのカテゴリーがあり、そのうち法文歌といわれる、仏教系の歌が数がもっとも多くあります。 しかし、仏教とはいっても、踊りがついており、それを歌っていたのは遊女ですから、文学的な堅苦しいものでも、仏典のようなものでもなく、あくまで流行歌のジャンルであったようです。 「遊びをせんとや生まれけん」を歌った人は? 「遊びをせんとや生まれけん」は、実際に歌として歌われていたのですが、歌った人は思いに「白拍子」と呼ばれる遊女たちでした。 遊女たちは当時は「遊女」(あそび)とか「傀儡子」(くぐつ)とか「白拍子」と呼ばれており、遊女が芸能を披露するのも生業の一部だったのです。 白拍子とは各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけるという独特の男装スタイルで、今様を舞い踊りました。 能に出てくる静御前は、白拍子の一人で、その服装がうかがえるでしょう。 当時は女性が男装をするのが、当世風であったのです。 また人形遣いの「傀儡子」(くぐつ)は、人形を箱の上に置いて操りながら、今様を謡ったともいいます。 今様というのは、そのように演じられたものを皆に見せて、楽しませるためのものでした。 今様の内容と雰囲気 娯楽目的の歌であったのは間違いないのですが、神や仏を恐れ敬うというのではなく、しかし敬虔さがにじみ出ているという不思議な性格です。 茂吉や白秋が影響を受けたのも、この点といえます。 また、歌っていた遊女の境涯を反映して、華やかであると同時に哀感を感じさせるものが多いのも特徴です。 それを実際の歌で見ていきます。 「遊びをせんとや生まれけん」の全文 遊びをせんとや生れけん 戯(たはぶれ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがるれ 七五調の4節でできており、平安町末期の歌謡形式でできています。 今でもWikipediaでは、これを「童心の歌」とまとめて書いており、私も深く考えないで読んでいました。 しかし、「遊女(あそびめ)」というように、この歌の「遊び」は二重の意味があり、この1行目と2行目の「遊び」と「戯れ」とは、子どもの遊ぶことだけではなさそうなのです。 3行目の「遊ぶ子供の」というところだけが、ここはその通り「子どもの遊び」ですが、遊女のいう「遊び」や「戯れ」は果たしてそれだけなのでしょうか。 「遊びをせんとや生まれけむ」の現代語訳と意味 この意味には二通りの解釈が成り立ちます。 「遊びをせんとや生まれけむ」の意味 一つは、 意味2: 遊びをしようとして、わたしはこの世に生まれてきたのだろうか。 戯れごとをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか。 無心に遊ぶ子どもの声を聴いていると、私の身も心も揺らいできてしまう これを歌う立場の人は遊女であると上に記した通りです。 彼女たちのいう「遊び」や「戯れ」とは、子どもの遊びだけではない、という類推です。 うかうかと男女の悦楽にふけって、ある日「自分はこんな遊びのためにうまれてきたのだろうか」という疑問が胸に浮かぶ。 子供の無心な声を聞けば、昼間の今は、表向きは子どもと同じように華やかに舞を舞っている。 しかし、夜は遊女としてけっしてそれと同じではない、あさましいなりわいが待っている。 そんなことのために、自分は生まれてきたのかという、深い嘆きの声がこめられているのがこの歌だという考え方です。 しかし、これはあくまで「歌」なのであって、舞と合わせるべき華やかさ、調べの軽さと調子の良さがあります。 そしてそれが悲しみ一辺倒ではない、不思議なデカダンスを感じさせるものともなっています。 おそらく、後白河院もそうだったかもしれませんが、後世の歌人たち、特に北原白秋や、斎藤茂吉が影響を受けたというのは、この今様の独特の雰囲気にあるのではなかったでしょうか。 『梁塵秘抄』の他の代表的な歌 『梁塵秘抄』の歌から、他にも有名なものを引いてみます。 「仏はつねにいませども」と「舞へ舞へ蝸牛」は「遊びをせんとや」と並んで、常に引用される梁塵秘抄の代表歌となっています。 『仏はつねにいませども』 舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん 真(まこと)に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん 蝸牛に向かって歌う歌なのですが、「カタツムリ」を詠う点はわらべ歌のようでありながら、舞を詠うこの歌には、華やかさが付きまといます。 さらに、運命を翻弄するような、厳しく残酷な部分を含みます。 実はこの「カタツムリ」というのものに、この歌を歌っている白拍子自身のことが重ねられているからです。 そのように歌って皆を楽しませている遊女本人が、美しく舞わなければ明日はない。 そもそも、鈍重な蝸牛が美しく舞えるはずもなく、それを「舞え」というのは、からかいなのです。 そう思って味わえば、華やかでありながら、残酷であり、刹那的な春をひさぐものとしての悲しみが感じられるでしょう。 まとめ 吉田兼好は『徒然草』に「梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ」と書きました。 また、北原白秋は「ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光(こんじきこう)のさす心地する」と「梁塵秘抄」そのものを詠んでいます。 歌い回しはわからなくても、そのように文字として残された『梁塵秘抄』。 書き残されたのは1174年、今からさかのぼって840年余り前のことです。 遠い遠い世の遊女たちが作っては、口伝えで残された歌、それを書き留めた一冊の選集が、後々の詩歌にも影響を与えるところとなって、今に伝えられていると思うと、いっそう感慨が深いものがありますね。

次の

樹木希林『遊びをせんとや生まれけむ展』特別編 〜そごう美術館〜

遊び を せん と や 生まれ けむ 展

横浜にあるそごう美術館で、『』が開催されていたので、行ってきました。 樹木希林さん、好きなんですよ。 私は映画を観るのは好きですが、話題作やら気になる作品やらを適当に観あさる程度。 役者さんの演技も相当下手じゃない限り、誰が上手いとか正直よく分かりません。 ただ、こんな私でも、樹木希林さんの演技は、他の人とは一線を画しているというか、何処にでもいるおばあさんの雰囲気と、どこか人生を達観している不気味さが同居していて、唯一無二な役者さんなんだろうというのは感じていました。 展示されていたアカデミー賞受賞時の衣装 それでも、私が彼女の出る作品ではなく、彼女自身に興味を持ち始めたのは、むしろ亡くなってからでした。 センスのあるご自宅の写真を見たり、インテリアや洋服も、『うまく手仕舞いする』ことにこだわって他の人が着なくなったりして不要になったものをリメイクして使っていたというエピソードを聞いたりして、「あぁ、自分も歳をとったら彼女のような生き方をしたいものだ」と思うようになったのです。 娘さんである内田也哉子さんを当時としては珍しかったであろうインターナショナルスクールに通わせていたり、実はかなりの不動産の手練れだったというエピソードからしても、とてもクレバーな女性であったのではないかと思います。 ご自宅から見た庭の景色の写真。 素敵だなぁ さて、冒頭の展示会。 そんなに混んでないだろうとたかをくくって日曜に行ったところ、すごい混んでました。 50代から70代くらいの女性が多くて、自分と同じ年代くらいの女性もちらほら。 中年以上の女性は着物を着てる方も多かった。 樹木希林さんの着物のセンス、素敵ですもんね。 樹木希林さんが生前インタビューで語ったこととか、愛用していたインテリア雑貨や着物とかが主な内容。 個人的には、リメイクされた素敵な洋服と、彼女が知人宛てに書いた味のある手紙が好きでした。 印象的だったのは、彼女が雑誌の読者である介護福祉士を目指す22歳の男性に向けて書いたコメントの一節。 歳をとったからって賢くなったとか偉くなったとか驕り高ぶらず、かといって身体が衰えて辛いとか労わってくれとか文句もたれず、成熟した大人として自分のことは自分で責任を持ち、時が来たらじたばたせずにきれいに人生を手仕舞うことが、なんと難しいことか。 30代という、老いの入口がほんの少しだけ先に見え始めた時期にさしかかり、色々と考えさせられるお言葉なのでした。

次の