日航機墜落。 日航機墜落事故から33年 9歳の息子が遺した“宿題”

日航機墜落事故の真相!生存者の川上慶子ら4人のその後/現在は

日航機墜落

合計524人の乗客乗務員を乗せたJAL123便は、出発予定時刻から4分遅れの18時4分に羽田空港を出発しました。 そして18時12分には滑走路から離陸します。 ところが離陸から12分後の18時24分のことです。 JAL123便の機体に突如として異常が発生します。 いきなりの轟音と共にJAL123便の垂直尾翼は大部分が破壊され、航空機の各部分へ油圧や電力、圧縮空気を提供するための小型エンジンも失ってしまいました。 さらにそのときに油圧操縦システムがすべて破損してしまい、それにより操縦システムに不可欠な油が流れ落ちたため、操縦桿を使ってのJAL123便の機体コントロールを行うことが出来ないという異常事態となってしまったのです。 機長はこの異常事態が発生した後、急場を要する事態だと判断して管制塔へ緊急SOS信号を発信し、羽田空港へ戻ることを申し入れました。 機長からの緊急SOS信号を受信した管制塔がそれを受け入れ、羽田空港もJAL123便の緊急着陸受け入れの準備を進めました。 管制塔はJAL123便に対し、無線で航空進路の指示をします。 ところが機長からの返事は「But now uncontroll 操縦不可能 」というものでした。 この時点で初めて管制塔は、JAL123便が操縦不可能な状態であることを把握するのです。 その後もJAL123便が御巣鷹へ墜落するギリギリまで、管制塔と機長は緊迫した中でやり取りを続けていたようです。 無線応答が途絶え、レーダーから姿を消した後も、管制塔は無線を発信し続けました。 JAL123便が低空飛行を続けている可能性が残されていたためです。 しかし、その時JAL123便はすでに御巣鷹へ墜落した後でした。 応答が返ってくることは無かったのです。 垂直尾翼の大部分を失ったために不安定となったJAL123便の機体は、上昇や下降を繰り返しながらも機長や副機長らの懸命の努力により、地上から6000メートル付近でおよそ17分間の飛行を続けていました。 JAL123便は羽田空港方面へ向かっていたものの、埼玉県上空の強風によりあおられ、左旋回して群馬県にある山岳地帯へと向かい始めたようです。 その後も何とかして持ち直そうと、機長らはJAL123便の機体コントロールを試みたといいます。 ところが南西からの強風にあおられたことがきっかけで、機体は急降下を始めます。 ついには右主翼と機体後部が御巣鷹の地面と接触します。 すべてのエンジンや右主翼の先端などが外れて落下したことで、JAL123便は機体の後部が分離するという事態に直面するのです。 生存者の川上慶子さんら4人は、機内最後尾の中央近辺の座席に座っていたようです。 座席のあった機体後部が、御巣鷹の地面と接触する際に発生する多大な衝撃を身体に受け、それにより即死となった人も多くいたと推測されています。 実際に、警察や自衛隊員が生存者の捜索中、遺体のほとんどはまるで眠っているようなきれいな状態であったため、隊員は遺体ひとつひとつの脈を調べて生存者の捜索をしていたようです。 生存者である川上慶子さんら4人は、座っていた姿勢や周囲の人や物が、偶然にも御巣鷹の地面との接触時の衝撃をやわらげるクッションのような役割を果たし、それにより命を取り留めることが出来たのではないかと考えられています。 救急ヘリコプターに夜間救難装備が搭載されていなかったことも、日航機墜落事故の救助や捜索が遅れた真相だと言えるでしょう。 日航機墜落事故が発生した夜、航空自衛隊へ航空救助の要請があり救急ヘリコプターが出動しました。 しかし、当時所有していたヘリコプターにはナイトスコープなどの夜間救難装備が搭載されていなかったことを理由として、隊員が現場へ降りての捜索は行われなかったようです。 救難用のライトを使用しての救助活動は可能であったはずなのですが、その真相がいかようなものであったのか現在でも曖昧な部分が多くあります。 そうは言っても、どのような真相であってもより早く救助活動をしてさえいれば結果は変わっていたでしょう。 日航機墜落事故は1985年8月12日に御巣鷹で発生したJAL123便墜落事故のことで、当時JAL123便に搭乗していた524人中520人が犠牲となりました。 これほどまでの犠牲者が出る航空事故は無く、現在でも未曾有の大事故だと言われています。 日航機墜落事故が起きた原因は、ボーイング社のJAL123便の機体修理ミスだという報告がなされました。 しかし、遺族や航空関係者から他の原因を唱える声も多く挙がっており、真相は謎のままとなっています。 多大な犠牲者が出た中で生存者はいないだろうという絶望的な状況の中、信じられないことに川上慶子さん、落合由美さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの4人の生存者が存在していました。 川上慶子さんら4人が生存者となった理由は、当時JAL123便の機体後部の中央付近の座席に座っており、運良く強い衝撃と火災を免れたことにあるようです。

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【日航機墜落事故の闇1】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【序章】

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でも、そもそも現場はそれほど大きな山ではないし すぐに、通報の電話も現地の人から複数されている。 場所を特定するのに、そこまでの時間が掛かるとは とても考えられないんだよね。 ところがどっこい! 実は、真っ先に到着していた自衛隊の救助 現地の人の証言によれば、公式発表ではまだ墜落現場は発見されていないはずの時間帯 事故から1時間後には、すでに自衛隊のヘリは現場上空にいたというのだ。 123便が出していた緊急遭難信号のシグナルを、偶然キャッチした米軍のヘリも救助へ向かったものの・・・ 墜落から2時間後には、横田基地から米軍のヘリも到着しているんだ。 しかし、ロープを使って、墜落現場の地上15mくらいのところまで降りたところで、横田基地から不可解な指令がくだされる。 『救助はせずに、帰ってこい。 』 そう、まさかの救助中止要請・・・ これは、アメリカの新聞にも載っている事実なんだよ。 このとき、なぜ、救助をしてはならないのかの説明はなく とにかく命令なので帰ってこいということだったんだ。 そして、こうも付け加えられたとという。 『今回のことは、メディアには何もしゃべるな。 』 なんとも、不可解な状況だね。 事故直後は、数十人もの生存者がいたという目撃証言もあるけど 結局助かったのはわずか4人のみ(全員女性)。 墜落現場がやっと判明し、長野県警レスキュー隊が到着したとき、既に複数の自衛隊員が現場にいたんだけど 救出活動ではなく、航空機の残骸の回収活動をしていたんだって。 これ、何だと思う?? これは、いったい何なのか。 その破片を照合していくと、驚くべき事実が明らかになってしまう。 なんで、そんな重要なものを長年非公開にしておいたのかも謎なんだけど 他にも不自然な点が。 会話文には『オールエンジン』というコトバが記されてるんだけど 航空関係の人によれば、そんなコトバはないという。 なぜ、オールエンジンなんてテキトーな言葉で記録したのかわからないから 後になって、専門家によるテープの音声判別が行われたりもしたんだ。 本人たちが亡くなってしまってるので、すべては仮説でしかないけど このテープを実際に聞いてみると、明らかにこう聞こえるんだよね。 自衛隊の演習用装備などは、すべて同様のオレンジカラー塗装に統一されているからね。 見る人が見れば、一発でオレンジの金属片の正体はバレてしまうだろう。 そして、海上自衛隊にかつて「オレンジエア」というものがあったのは確かな事実なはずなのに この事故直後、wikiからオレンジエアというコトバは削除されているんだw これも、今となっては確認しようがないことだけどね。 こうした不可解な点が多すぎる事件であることから 遺族や航空関係の人たちが、事実の究明を求めて声をあげ続けていたんだけど・・・ 墜落の原因は「後部圧力隔壁破損」であるの一点張りで けっきょく、納得のいく調査は行われないまま、時だけが経ってしまったんだ。 【真相】犠牲者の中には優秀な日本のエンジニアたちが・・・。 では、もしこの『日本航空機墜落事故』が陰謀であるとするならば なぜ、123便は撃ち落とされなければならなかったのか。 主要メンバーが一気に消えてしまったのは TRONプロジェクトにとって大打撃だったのは言うまでもないよね・・・。 Windows、Macをも凌ぐ幻の日本製OS!TRONの実力 現在、よく知られているパソコンOSといえば、 ・Windows(Microsoft) ・Mac OS(Apple) の2つだよね。 この事件があった1980年代当時 実は、上記の2大巨頭よりも、『動作安定性』『セキュリティ面』で圧倒的な優秀さを誇っていたのが 日本独自の技術『TRON-OS』だったんだ。 今現在でも、TRONの安定性、セキュリティ面から現在の家電製品などにもTRONのシステムを応用したものが使われているほどなんだ。 1980年~1990年代・・・ これからパソコンや、インターネットが世間に普及していくであろうという時代 世界中の優秀なエンジニアたちが凌ぎを削っている中で 頭ひとつ飛び抜けていたTRONシステムは、目の敵にされてしまったのかもしれない。 情報を制する者は、世界を制す。 アメリカからロシアに亡命したあのがポロっと発言した内容 Windowsを提供しているMicrosoftはアメリカ政府に個人情報を提供している! スノーデン氏 そう、 Windowsを普及することによって、アメリカは世界中の情報を入手可能になる。 そのためには、TRON-OSが世界水準になられてはとっても困る。 ・・・こんな一部の利権者たちの事情のために 520人もの尊い命を犠牲にしてしまう大きな事件が起こってしまったんだとしたら、悲しすぎるよね。 1989年アメリカから決め手となる制裁がッ! けっきょく、アメリカ合衆国通商代表部から不当な貿易への対処、報復を目的とした「スーパー301条」によって、 TRONは制裁を受けることになりました。 通常なら「半導体」「自動車部品」とザックリな 「カテゴリ」が対象となるものなんだけど 名前をご指名しての制裁は、異例中の異例。 よって、TRONはパソコンのOSとして、世界進出を断念せざるを得なくなりましたとさ。 この日本航空123便墜落事件だけではなく、過去には『事故に見せかけた事件』はたくさんあるよ。 それらはすごーく上手に隠蔽されているけどね。 たとえば、マレーシア航空機墜落事故、阪神大震災、9. 11自爆テロ事件も 報道されている事実の裏には、隠された真実がある。 偽造されたもの。 封印されたもの。 暗殺された者。 古代から近代までその点と点を線で結んだとき、 あなたは最も大事な結論にたどりつく。 そんな世界の真実を叡智ONLINEでは 地球最高解像度で多角的に解析しつくしたよ! さぁ、準備はいいかい?この世界の真相を暴いていこう。 アナファンとは? ついに封印が解かれた。 コロナ後の脱city文明の世界線。 つまりアナファンとは「アナザフロンティア」なる文明開化を待ち望むファンの略称である。 そしてキミと僕らにかけられた都市伝説のホンモノのアンサー、コロナマトリックスの封印を解くピースが集まっている、SONKYOZINEのメンバー限定ページだ。 このコロナマトリックスから逃れキミの封印を解くか? 元の世界に戻るか? キミの時空を切り替える鍵は、キミがずっと探していた、この先の師匠や仲間たちがヒソカに持っているとしたら….

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御巣鷹山・日航機墜落から33年…今明かす、私が事故直後の現場で見た真実

日航機墜落

その創刊時から活躍した伝説のカメラマン、小平尚典が今、いち早く現場を取材しスクープとなった群馬県・ 御巣鷹山での 日航機墜落事故の全貌を明らかにした。 1985年8月12日、18時56分頃 日本航空123便墜落事故の第一報を耳にしたのは1985年8月12日、仕事も終わり愛車のボルボ245GLEで帰路に向かう途中だった。 家に帰ったら1歳になったばかりの娘とお風呂でも入ろうかと考えていたさなか、当時としてはまだ珍しいショルダー携帯電話が突然鳴り出し、航空機が行方不明であることが同僚のカメラマンから告げられた。 私はその足で新潮社に向かった。 ラジオでは断片的な情報をつないで、「長野県、群馬県境の上野村、三国峠、南相木村当たりの山中に落ちた、米軍機から横田基地を通じて報告があり、捜査を開始したもよう」と報じていた。 南相木村は取材で何度も行っていたので、土地勘があった。 そこで私の車を使い、私とフォーカスの記者の2人で南相木に向かうことになった。 東京を出発したのは午後8時半、南相木村の目的地に着いたのは深夜0時を過ぎていた。 車で村に近づくにつれ、警察車両や消防団が目に入ってきたが、さらに進んでいくと警察官に小学校の校庭に誘導された。 周囲を見渡すと報道関係者は私たちだけだった。 車をグラウンドの片隅に付け、運動会用のテントが張られた対策本部を覗くと、消防団員らしき人たちと駐在さんがいましたが、これといった情報はない。 夜明け前に自衛隊が動くとの情報を得て、そのあとをついて行くことになった。 自衛隊のジープについて、どのくらい進んだだろうか。 すでに車で入れる道はなくなり、自衛隊は歩いて現場へと向かった。 私たちもそのあとを追ったが、御巣鷹山はまさに樹海のような山林、相手は自衛隊。 素人がどんなに力んだところで追いつけるわけがない。 あっという間に自衛隊を見失ってしまった。 そして目の前には小高い崖が表れた。 重い機材をもって来たテレビクルーや革靴で現場にやってきた新聞記者たちはここでリタイア。 最後に残されたのは私たち2人だけだった。 そして崖を登りきると、白い煙が立ち上がるのが目に入り、カメラの望遠レンズを覗くとそこには墜落現場があった。 ベテランの登山家ではないから、現場へ行くための道などわからなかった。 場合によっては遭難するかもしれない。 それでも沢つたいにまっすぐ降りて行けばきっと現場に行けるに違いないという確信があり、そこで思い切って現場に向かった。 そして樹海のような中を進みながら沢の岩を一つひとつ超えていくと、徐々に視界が開けてきた。 そこには機械の部品のようなものが散らばり、何やら埃っぽい。 さらに進むと岩にトランプのエースが落ちている。 さらに進むと一気に視界が広がり、倒れた木々の隙間から翼の破片らしき大きな鉄の塊が見えた。

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