ブラームス ピアノ。 ブラームス(ピアノ協奏曲第2番)

ブラームス:ピアノ名演集 2[CD]

ブラームス ピアノ

音楽・音声外部リンク 全曲を試聴する - リーズ・ドゥ・ラ・サール(ピアノ)、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。 hr交響楽団公式YouTube。 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調15は、の初期の代表的作品の一つで、最初に作曲された。 としても『』の次に書き上げられ、に完成された。 1 d-Moll op. 15()• 作曲時期:から。 初演:ににて、作曲者ブラームス自身の独奏ピアノ、のによる。 完成当時は評価が芳しくなかった。 ハノーファー初演は一応成功したものの、5日後の初演が行われたとき、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたという。 ブラームスはヨアヒムに宛てて「僕はただわが道を行くだけです」と書き送ったが、悲しげに「それにつけても野次の多さよ! 」と付け加えている。 作曲の経緯 [ ] ブラームスは最初からを書こうとしたわけではなく、紆余曲折を経て完成している。 元々は1854年3月に3楽章構成の『のための』として書き上げられたものが原型である。 しかしブラームスはと何度か試奏してピアノという形に不満を抱きはじめ、1854年の7月にはに書き直そうと考えてに取りかかったが、この作業にも行き詰まってしまう。 だが1855年2月に協奏曲にしたらとひらめいたことで 現在のスタイルの外形が出来上がった。 ただしこの時点では、第2楽章は最終的なものとは別()だった。 さらに、クララ・シューマンや親友のの助言を受け、彼らが納得いくまでブラームスは改訂を加えている。 クララによれば第1楽章は1856年10月1日に完成、そしてブラームスの私信によればフィナーレは12月、そして新たに書き出した第2楽章は1857年1月に完成している。 特徴 [ ] 初期のによると同じように、懊悩と煩悶、激情といった、後年のブラームス作品には見られない表情が顕著である。 ことこの曲については作曲時期にブラームスが内面の危機を抱えていた事が大きい。 に恩人が他界し、残された私信などから、その頃のブラームスは未亡人となったクララに恋愛感情を抱いていた可能性が考えられる。 また、初演当時まだ25歳という若さもあってか、冒険的な要素も多い。 例えば伝統的な協奏ソナタの主題提示と異なり、第1楽章の第2主題はピアノにより提示されることや、のによる協奏曲のように、を独奏楽器の単なる伴奏として扱うのではなく、独奏楽器と効果的に対話させてシンフォニックな融合を目指したことなどが挙げられる。 ただしブラームスの努力は本作では完全には実現されず、かなり後のやにおいて具現化された。 古典的な3楽章構成を取ってはいるものの、全体の長さ、特に第1楽章が協奏曲の一般的な概念から考えてもいささか長大であったり 、当初から「ピアノ助奏つきの交響曲だ」という指摘が多かったように、同時代の同ジャンルの曲に比べて内容が重くピアノが目立たないというのも異例だった。 また、成熟期の作品に比べるとまだが未熟で、とりわけ楽器間のバランスに問題があるなどの欠点を抱えた作品である。 しかし、先述のようなブラームスの初期作品ならではの情熱的な表現をはじめとする、管弦楽法の未熟度などの欠点を補って余りある魅力に加え、作曲様式においては(クララ・シューマンなどのアドバイスも相俟って)非常に練れた作品であり、時が経つにつれて作品の評価も高まっていった。 現在ではその壮大な的な構想や、見栄えのするピアノの超絶技巧、初期作品ならではの情熱的で気魄に富んだ表現などから、ブラームスの初期の代表作として認知されている。 楽器法 [ ] 「ピアノ助奏つきの交響曲」との評価はあるものの、後年のに比べれば、ピアニストの腕を見せる技巧的なパッセージも少なくない。 レパートリーにしているピアニストも多いが、ブラームス自身がかなり卓越したピアニストであったため、技術的には難しい部類に入る。 特に第1楽章の『ブラームスのトリル』と呼ばれる、右手の親指と薬指で、小指で一つ上の音を続けて演奏するが有名。 この部分は特に薬指と小指を酷使するため、左右の手で交互にオクターヴを弾くピアニストもいる。 オーケストラについては、ブラームスの楽器の好み、とりわけやへの興味が早くも現われているが、どちらのパートも演奏が難しいために悪名高い(レパートリーの多いでさえ録音を残していない)。 編成 [ ] 、2、2、2、2、2、4、、 演奏時間 [ ] 当時の協奏曲としては非常に長く、50分にも及ぶ長大なものである。 第1楽章:20 - 25分• 第2楽章:15 - 18分• 第3楽章:11 - 14分 楽章構成 [ ] 以下の楽章より構成されている。 第1楽章 Maestoso 4分の6拍子。 Allegroなどの速度標語を使わず、Maestoso 堂々と、威厳をもって とのみ書かれており、極めて珍しい。 第1主題はのとニ短調のオーケストラの和音に乗ってで始まる。 経過句になってようやくニ短調となるが、このような出だしの調性をぼかす手法はブラームスの作品にたびたび登場する。 の副主題を経て、風にピアノ独奏が始まる。 第2主題はでピアノ独奏が提示する。 展開部では主に第1主題が取り上げられ、定石とは異なりで第1主題が再現され、主調に転ずる。 副主題、第2主題再現を経て副主題の音価を短くした激しいコーダで締めくくられる。 は置かれていない。 第2楽章 Adagio 4分の6拍子。 とによる、下降音形の主部に対して、中間部はピアノによる強奏がコントラストをなす。 曲の最後に短いカデンツァがある。 なお、で祈祷文の一節『』が引用されており、これはシューマンの死後の平安を祈ったものとも、夫を喪ったクララ・シューマンの悲しみを慰めようとしたものとも伝えられる。 ブラームスはクララへの手紙の中で、この楽章を新たに書き起こしたことについて「あなたの穏やかな肖像画を描きたいと思って書いた」と述べている。 第3楽章 Rondo: Allegro non troppo ニ短調~ニ長調 2分の2拍子 バロック風のピアノによるロンド主題を中心とした。 ABACABの形をとる。 2つの副主題はロンド主題が派生したものと考えられる。 中間部では副主題によるが展開される。 ロンド主題の再現後、2つのカデンツァがあり、最初のカデンツァでニ長調になり、ロンド主題がテンポを緩めて再現した後、第2カデンツァを経てPiu animatoとなり、華麗に曲を結ぶ。 脚注 [ ].

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ブラームス ピアノ協奏曲第1番「頭のなかの♪おたまじゃくし」〜クラシック音楽を聴いてみよう〜

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ブラームスの音楽の特徴の一つは、激しい情熱を内包しながらも気品を失わない美しい旋律とリズム、豊かな和声、そして対位法など厳格な作曲技法で裏打ちされた作品の完成度、つまり本物の芸術すべてに共通する、最高度の霊感と窮められた職人芸を併せ持っていることである。 しかし、それでもそれ以上の魅力を人々がブラームスの音楽に感じてきた。 貧しいコントラバス弾きの息子として、20歳までハンブルクの貧民街で育ったことは、ブラームスの音楽に観念的にならない粘り強いどっしりした土台を与え、20歳の時、ヨアヒムの紹介でシューマン家のドアを敲いたその日に、シューマン夫妻に認められたことで、瞬時にして二人の本物の芸術家の息吹を胸一杯に吸収し、その直後にシューマンの悲惨な最期を見届けたこと、そしてクララ・シューマンという、芸術家の卵があこがれとして望みうる最高の女性に抱いた一途な恋心と、夫亡き後のクララとその家族(7人の幼い子供!)への数年間の献身的な尽力のなど、早熟な人生の哀歓の体験が若いブラームスに人生の機微を感じとる豊かな情感を育てたに違いない。 しかし運命はブラームスに、早くから世の中が認めてくれるような道を与えなかった。 階段を一歩ずつ昇るごとく、彼に試練を克服させながらさらに自らを鍛え上げさせた。 好奇心と知識欲旺盛なブラームスは、宗教、哲学、美学、歴史、政治、文学などの膨大な書物を読み、バロックからの多くの大作曲家の自筆譜をコレクション、写譜、改訂を出版するなど、綿密に先人たちの作品をも研究し、西洋音楽芸術の正統にして、偉大な後継者として、自他ともに認められるだけの大作曲家として、能力を早くから身に着けていた。 その上、幸運なことに、一生を通じてクララ・シューマンやヨアヒムはじめ、多様なジャンルの一流の演奏家、芸術家、学者や愛好家たちとの家族のような親交が、ブラームスの独身生活に彩りと心の安定感を与え、創作は途中から友人たちと分かち合うことによって(特にクララ・シューマンにはほとんどの曲の最初の計画が知らされ、彼女の助言、意見、感想、批判をもとめた)、作品が推敲、厳選されていった。 しかし、ブラームスの作品をさらに魅力的にたらしめているのは、それだけではない。 恩義を重んじる一方、乱暴な言葉を場所もわきまえずに吐き、人々を辟易させる。 自然や子供を愛し、純粋な状態を汚す俗悪への嫌悪をあからさまに示すのに、社会的地位の高い職を望んだ。 しかし、お金には執着がなく、社会や後輩、友人に惜しまない援助をする。 見知らぬ人の前では、気難しく振舞うのに、気心の知れた仲間の中では天真爛漫で、思いやりがあり、ユーモアと知性に溢れた人間として、慕われる。 われわれがブラームスの音楽にさらに心惹かれるのは、天からもたらされた霊感と作品の職人的な完成度だけではなく、恐らくその中に滲み出る人間ブラームスの生きる営みの純真さ、ひたむきさをも無意識的に感じ取っているからではないだろうか。 作品が彼の人生おりおりの景色(しかも他の作曲家よりも、曲の中に人生の春夏秋冬の移ろいを感じさせる)を反映している点では、ブラームスのピアノ音楽も同様である。 ブラームスが友人に語ったのが冗談でなければ、「小さい時にコントラバス奏者の父の影響でチェロを弾いていたが、先生が僕のチェロを持ち逃げした」からピアノを弾くようになった、と。 10代の時、ピアノを酒場で弾いて家計を助けた。 20歳の時、シューマン家を訪問した時には、自作のピアノ・ソナタ第1番を弾いて、シューマン夫妻を驚かし、病身のシューマンが数年ぶりに筆を取り、「新音楽時報」に「神様が遣わした人がついにやってきた」と熱狂的に書いたことで、ブラームスがいち早く作曲家として世に知られることとなった。 しかし、その後20年以上もブラームスは作曲家よりもピアニストとして生計を立てていた。 36歳の時にたまたま編曲したピアノ4手連弾の「ハンガリー舞曲」が大ヒットし、楽譜の印税の収入だけで生涯生活できる作曲家のさきがけとなった。 そして、自作の管弦楽曲や室内楽は出版社の要求もあり、そのほとんどをピアノに編曲するなど、ピアノによって自分を最も表現できるだけでなく、ピアノが人生のすべてだったと言っても過言ではないにも拘らず、ブラームスのピアノ作品は思いの他少ない。 大作のピアノ・ソナタ3曲はいずれも23歳までの若書きで、そのあとの10年間に変奏曲や編曲が十数曲ばかり続いたあと、いわゆる本当のブラームスらしいピアノ曲が作られたのが、そのさらに10数年後の45歳の時(作品76 と79の計10曲)と20年後の59歳の時(作品116、117、118、119の計20曲)まで待たなくてはいけなかった。 もちろん、その間に作られた夥しい室内楽や歌曲には、ピアノが常に考え抜かれた形で作品の中心として存在していたが、その時代のブラームスの溢れる曲想と漲る創造意欲を表現するには、ピアノ・ソロでは不十分だったとも考えられる。 しかし、他の分野の曲と同様、ピアノにおいても、ブラームスはたゆまぬ推敲と変遷、そして数十年に渡る作曲技法の研究の積み重ねを、慎重に作品76から作品119の30曲で展開したとも考えられる。 この30曲は、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ショパンの諸先輩の作品を吸収消化した上で、それらのエッセンスを取り入れながら、ブラームスは独自の世界を築きあげるのに成功している。 ここに西洋のピアノ音楽が一つの最も高い終着点に辿り着いただけでなく、次に始まる20世紀音楽の兆しをも含んでいる(例えば作品119の第1曲)。 そして、これらの曲集が、有名作曲家の世間向けの業績として作曲された多くの大曲(もちろんそれらの曲がこの世に存在しているだけでも神様に感謝したくなるくらいだが)の裏に、隠されていたブラームスの内面世界がいかに深く、美しく、豊かであることを知らしめてくれている点において、さらに意義深いものとなっている。 言うまでもなく、作品に命を与えるのは演奏家である。 そもそも琢磨されたテクニックと詩人のような繊細なイマジネーションなくして、いい演奏というものは成り立たないが、一曲ずつが宝石のようなブラームスのこの30曲を表現するには、それ以上のものがピアニストに求められる。 つまり、音楽的には諸先輩の巨匠の音楽へのオマージュとも言えるこれらの曲を表現するためには、まずピアニストがブラームス以前の作曲家の音楽をも熟知しなくてはいけないし、曲に込められたブラームスの心象世界が19世紀ロマン主義の最善のエッセンスとなれば、西洋の人文文化についての深い理解も必要だ。 ルース・スレンチェンスカが84歳にして、自分の演奏芸術の集大成として挑んだ今回のブラームスの録音がそれ以上に貴重なのは、シュナーベル、バックハウス、コルトー、ラフマニノフなどの巨匠から19世紀の音楽の伝統を直接に受け継ぎ、20世紀のピアニズムの進化にも寄与した彼女が、ブラームスのこれらの曲集の演奏を通して、21世紀の人間にとって、ピアノ音楽の本当の存在価値とは何かを示唆してくれたことだろう。

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ブラームス:ピアノ協奏曲第2番、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番『熱情』 スヴィヤトスラフ・リヒテル、エーリヒ・ラインスドルフ&シカゴ交響楽団 : ブラームス(1833

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音楽・音声外部リンク 全曲を試聴する - リーズ・ドゥ・ラ・サール(ピアノ)、アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮hr交響楽団による演奏。 hr交響楽団公式YouTube。 ピアノ協奏曲第1番 ニ短調15は、の初期の代表的作品の一つで、最初に作曲された。 としても『』の次に書き上げられ、に完成された。 1 d-Moll op. 15()• 作曲時期:から。 初演:ににて、作曲者ブラームス自身の独奏ピアノ、のによる。 完成当時は評価が芳しくなかった。 ハノーファー初演は一応成功したものの、5日後の初演が行われたとき、聴衆は退屈のあまりに非難の野次を飛ばしたという。 ブラームスはヨアヒムに宛てて「僕はただわが道を行くだけです」と書き送ったが、悲しげに「それにつけても野次の多さよ! 」と付け加えている。 作曲の経緯 [ ] ブラームスは最初からを書こうとしたわけではなく、紆余曲折を経て完成している。 元々は1854年3月に3楽章構成の『のための』として書き上げられたものが原型である。 しかしブラームスはと何度か試奏してピアノという形に不満を抱きはじめ、1854年の7月にはに書き直そうと考えてに取りかかったが、この作業にも行き詰まってしまう。 だが1855年2月に協奏曲にしたらとひらめいたことで 現在のスタイルの外形が出来上がった。 ただしこの時点では、第2楽章は最終的なものとは別()だった。 さらに、クララ・シューマンや親友のの助言を受け、彼らが納得いくまでブラームスは改訂を加えている。 クララによれば第1楽章は1856年10月1日に完成、そしてブラームスの私信によればフィナーレは12月、そして新たに書き出した第2楽章は1857年1月に完成している。 特徴 [ ] 初期のによると同じように、懊悩と煩悶、激情といった、後年のブラームス作品には見られない表情が顕著である。 ことこの曲については作曲時期にブラームスが内面の危機を抱えていた事が大きい。 に恩人が他界し、残された私信などから、その頃のブラームスは未亡人となったクララに恋愛感情を抱いていた可能性が考えられる。 また、初演当時まだ25歳という若さもあってか、冒険的な要素も多い。 例えば伝統的な協奏ソナタの主題提示と異なり、第1楽章の第2主題はピアノにより提示されることや、のによる協奏曲のように、を独奏楽器の単なる伴奏として扱うのではなく、独奏楽器と効果的に対話させてシンフォニックな融合を目指したことなどが挙げられる。 ただしブラームスの努力は本作では完全には実現されず、かなり後のやにおいて具現化された。 古典的な3楽章構成を取ってはいるものの、全体の長さ、特に第1楽章が協奏曲の一般的な概念から考えてもいささか長大であったり 、当初から「ピアノ助奏つきの交響曲だ」という指摘が多かったように、同時代の同ジャンルの曲に比べて内容が重くピアノが目立たないというのも異例だった。 また、成熟期の作品に比べるとまだが未熟で、とりわけ楽器間のバランスに問題があるなどの欠点を抱えた作品である。 しかし、先述のようなブラームスの初期作品ならではの情熱的な表現をはじめとする、管弦楽法の未熟度などの欠点を補って余りある魅力に加え、作曲様式においては(クララ・シューマンなどのアドバイスも相俟って)非常に練れた作品であり、時が経つにつれて作品の評価も高まっていった。 現在ではその壮大な的な構想や、見栄えのするピアノの超絶技巧、初期作品ならではの情熱的で気魄に富んだ表現などから、ブラームスの初期の代表作として認知されている。 楽器法 [ ] 「ピアノ助奏つきの交響曲」との評価はあるものの、後年のに比べれば、ピアニストの腕を見せる技巧的なパッセージも少なくない。 レパートリーにしているピアニストも多いが、ブラームス自身がかなり卓越したピアニストであったため、技術的には難しい部類に入る。 特に第1楽章の『ブラームスのトリル』と呼ばれる、右手の親指と薬指で、小指で一つ上の音を続けて演奏するが有名。 この部分は特に薬指と小指を酷使するため、左右の手で交互にオクターヴを弾くピアニストもいる。 オーケストラについては、ブラームスの楽器の好み、とりわけやへの興味が早くも現われているが、どちらのパートも演奏が難しいために悪名高い(レパートリーの多いでさえ録音を残していない)。 編成 [ ] 、2、2、2、2、2、4、、 演奏時間 [ ] 当時の協奏曲としては非常に長く、50分にも及ぶ長大なものである。 第1楽章:20 - 25分• 第2楽章:15 - 18分• 第3楽章:11 - 14分 楽章構成 [ ] 以下の楽章より構成されている。 第1楽章 Maestoso 4分の6拍子。 Allegroなどの速度標語を使わず、Maestoso 堂々と、威厳をもって とのみ書かれており、極めて珍しい。 第1主題はのとニ短調のオーケストラの和音に乗ってで始まる。 経過句になってようやくニ短調となるが、このような出だしの調性をぼかす手法はブラームスの作品にたびたび登場する。 の副主題を経て、風にピアノ独奏が始まる。 第2主題はでピアノ独奏が提示する。 展開部では主に第1主題が取り上げられ、定石とは異なりで第1主題が再現され、主調に転ずる。 副主題、第2主題再現を経て副主題の音価を短くした激しいコーダで締めくくられる。 は置かれていない。 第2楽章 Adagio 4分の6拍子。 とによる、下降音形の主部に対して、中間部はピアノによる強奏がコントラストをなす。 曲の最後に短いカデンツァがある。 なお、で祈祷文の一節『』が引用されており、これはシューマンの死後の平安を祈ったものとも、夫を喪ったクララ・シューマンの悲しみを慰めようとしたものとも伝えられる。 ブラームスはクララへの手紙の中で、この楽章を新たに書き起こしたことについて「あなたの穏やかな肖像画を描きたいと思って書いた」と述べている。 第3楽章 Rondo: Allegro non troppo ニ短調~ニ長調 2分の2拍子 バロック風のピアノによるロンド主題を中心とした。 ABACABの形をとる。 2つの副主題はロンド主題が派生したものと考えられる。 中間部では副主題によるが展開される。 ロンド主題の再現後、2つのカデンツァがあり、最初のカデンツァでニ長調になり、ロンド主題がテンポを緩めて再現した後、第2カデンツァを経てPiu animatoとなり、華麗に曲を結ぶ。 脚注 [ ].

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