天気の子 ラスト 祈り。 【ネタバレ感想考察】「天気の子」を君の名は。嫌いがみた結果|愛が歌われ尽くした世界で描かれた現代人への応援歌

天気の子の結末|ラストシーンの陽菜の祈りの内容と謎とその後続編!|MoviesLABO

天気の子 ラスト 祈り

ayappleman がシェアした投稿 — 2019年12月月29日午後10時30分PST では、 納得できないという意見もある結末について、ネタバレしていきます。 消えてしまう陽菜 帆高と一緒に天気を晴れにするというビジネスをして、多くの人の願いを叶えてきた陽菜。 しかし、晴れにすればするほど 体が透明になっていきます。 実は陽菜は天気を安定させるための 人柱だったのです。 さらに親がおらず弟と二人だけで暮らしていることがばれて、捜索願を出されていた帆高と共に、警察に追われてしまいます。 一度は逃げた三人でしたが、次の日の朝に陽菜の姿は消失しており、東京は久しぶりの晴れになっていました。 陽菜を助けたい! 警察に捕まってしまう帆高ですが、何とかして陽菜を取り戻したいと必死に逃げ出します。 陽菜が晴れ女になった神社に行けば会えるかもしれないと走る帆高。 陽菜が力を得たビルの上の神社にたどり着きます。 鳥居をくぐった途端、そこは雲の上の草原でした。 そこで陽菜を見つけ、帆高は「もう晴れなくてもいい、陽菜にいてほしい」と叫び手を伸ばします。 帆高の手を取る陽菜。 そして3年後 東京は、陽菜が人柱から解放されて以来ずっと降り続ける雨のせいで、一部が水中に沈んでいました。 帆高は家に戻り、高校に最後まで通った後、再び東京にやってきました。 自分が陽菜を選んだせいで東京がこんなことになってしまったと思う帆高ですが、3年前に知り合った人々は皆引っ越ししながらもたくましく生きていました。 帆高は陽菜に会いに行きます。 陽菜は傘もささずに雨の中祈っていました。 帆高に気づいた陽菜は駆け寄り、二人は抱きしめあいます。 そして帆高は「 陽菜さん、僕たちは大丈夫だ」と笑いかけました。 以上が天気の子の結末です。 天気の子は新海監督が、賛否両論あることを覚悟して作った映画だそうです。 確かに一人の命を助けるために東京が雨で水没してしまっていたり、意見が分かれるラストですね。 中でもエンディングの陽菜の祈りと帆高のセリフは、どういう意味があるのかよくわかりませんよね。 そこで、もう少ししっかりとラストシーンについて考えていきましょう。 weatheringwithyouu がシェアした投稿 — 2019年 7月月20日午前11時43分PDT ラストで帆高が陽菜に会いに行ったとき、陽菜は傘もささずに何かを祈っていました。 地上に帰ってきたことで、もう晴れ女ではなくなり、陽菜の力で晴れにすることはできないのに。 それでも自分が生きていることで雨が止まないのなら、そのことで不幸になる人が一人でも少なくなるように祈っていたのではないでしょうか。 帆高が自分が消えることを望んでいないので、たとえ力がないことがわかっていても、また晴れになるようには祈っていないと思います。 ただただ自分も含めたみんなの幸せを祈っている、私はそう思いました。 天気の子最後のセリフの意味は? 天気の子の結末で、陽菜に再会した帆高はこう言葉をかけます。 「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ」 これはどういう意味で帆高は言ったのでしょうか。 雨は降り止むことなく、東京は水没している、あまり大丈夫とは言えないですよね。 あるインタビューで新海監督は、ラストシーンについてRADWIMPSの「大丈夫」という曲の歌詞をみて作ったと言っています。 「大丈夫」の中には 「君にとっての大丈夫になりたい」 という歌詞があります。 帆高の存在によって陽菜が大丈夫と思える、安心させられる存在になりたいということかなと思います。 どんな状況でも「大丈夫だ」と陽菜を安心させられる強さを、帆高は手に入れたんじゃないでしょうか。 陽菜はいつでも、たとえ自分が消えかかっていても周りの人々のことを一番に考えて行動してしまいます。 帆高の「大丈夫だ」は、そんな陽菜の支えになる、二人で生きていこうという決意の表れだと思います。

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天気の子の結末|ラストシーンの陽菜の祈りの内容と謎とその後続編!|MoviesLABO

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天気の子・ラストシーンの意味を考察! 陽菜が最後に祈っていたのはなぜ? そういえば天気の子でイマイチ消化できてないところがあるんだけど最初と最後の陽菜さんの祈りって何を祈ってんだろう???— 誠 soa0831 天気の子のラストシーン。 最後に帆高が水没した東京を訪れ、ついに陽菜と再会することができますよね。 しかし帆高が陽菜を見つけた時、陽菜は晴れ女ではなくなったはずなのに相も変わらず空に祈っていました。 なぜ陽菜はこの時祈りを捧げていたのか? 気になるとの声がSNSでも多数あがっていました。 まず前提として、 陽菜が天気の子としての晴れ女の力を失っているのは確実です。 こちらの記事でも解説しましたが、 関連記事 ・ 陽菜のつけているチョーカーは母の形見で晴れ女の象徴としても扱われており、それがラストに帆高と戻ってきた際に壊れています。 作中では幾度となく「陽菜が空とつながっている」という表現がされていましたが、チョーカーが壊れたのは空とのリンクが切れたことも暗示しています。 さらに言えば、仮に天気の子としての力がまだ残っていたなら、帆高と再会する前のあの瞬間だけでなく、陽菜は何度となく晴れを呼ぼうとしていたでしょう。 そうすると東京が2年半止むこと無く雨が降り続いていたとする描写はおかしいです。 つまり陽菜は自分に力はなくなったことは分かっていつつも、自分のせいで降り続いてしまっている雨に責任を感じて毎日祈りだけでも捧げていたのでしょう。 「ナゾロジー」の天気の子考察、まあ面白かった。 まあ、童貞臭い(私の意見じゃないよ。 」と語っていました。 つまり• 最後のシーンで陽菜はやはり天気の子としての力は失っている• 祈っていたのは、力を失っていながらも晴れへの祈りだけは続けたいという気持ちがあったから ということだったのでしょう。 陽菜の性格だったら、無駄かもしれなくともひたむきに祈りを捧げ続けていただろうなと思ってしまいます。 ラストのセリフ「大丈夫だ」の意味はRADWIMPSの曲とリンクしていた 帆高のラストのセリフ、「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ。 」にはどんな意味が込められていたのでしょうか。 このセリフの意味は、エンディングテーマの「大丈夫」から着想を得たことが、 原作小説のあとがきにて新海誠監督とRADWIMPSの野田さんの口から語られていました。 そもそも新海誠監督はこのラストシーンだけが思いつかず、ずっと悩んでいたそうです。 そんな時話にあがったのが、 制作初期にメロディも歌詞もメッセージ性が強すぎるとして不採用としていた曲、「大丈夫」でした。 野田さんとの話の中で「大丈夫」の歌詞を再び目にした新海監督は衝撃を受けたそうです。 「全てここに書いてあるじゃないか!!」 僕はほとんど歌詞から引き写すようにしてラストシーンのコンテを描き、一年前に届いていた曲をそこに当てた。 果たしてそうして見れば、それ以外は他に在りようもない、それがこの物語のラストシーンだった。 出展 天気の子原作小説 そこからはとんとん拍子にラストシーンが出来上がったとのことですが、ここで大丈夫の歌詞の一部を見てみましょう。 世界が君の小さな肩に乗っているのが僕にだけは見えて泣き出しそうでいると 「大丈夫?」ってさぁ 君が気づいてさ 聞くから 「大丈夫だよ」って僕は慌てて言うけど なんでそんなことを言うんだよ 崩れそうなのは君なのに (中略) 君を大丈夫にしたいんじゃない。 君にとっての「大丈夫」になりたい。 前半部分の歌詞は物語の中盤までの帆高の気持ちだと思います。 「世界が君の小さな肩に乗っている」のは 陽菜が天気の子・晴れの巫女だった頃のことだと思うので。 そして後半の締めの歌詞がラストシーンの大丈夫に繋がっている歌詞ですね。 実際にラストシーンでも帆高は陽菜に大丈夫?と聞かれています。 陽菜「帆高っ、どうしたの?大丈夫?」 帆高「え?」 陽菜「君、泣いてる」 自分の両目から雨のように涙が溢れていることに、僕は気づく。 君はなんて尊いのだろう、自分だって泣いてるのに。 出展 天気の子原作小説 でもこのラストシーンの帆高はもう今までの泣いてるだけの帆高じゃないんですよね。 「君にとっての大丈夫になりたい」 陽菜への想いとともにこの気持ちが確信へと変わっていたラストの帆高は、ラストシーンでようやく陽菜へ向かって自信を持ってこう言えたのではないでしょうか。 最後のこのセリフは背が伸びたという外見上の変化だけでなく、帆高という主人公が この物語を通して成長した内面を示した表現でもあったのだと思います。 まとめ 今回は天気の子の劇中で深くは語られなかったラストシーンについてその裏に込められた意味を紐解いてみました。 制作側の意図は• 原作小説でのあとがき• RADWIMPSの歌詞「大丈夫」 に込められていました。 興味のある方はこちらの全文もぜひ覗いてみてください。 最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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天気の子の結末ラストシーンとその後の考察と意味は?解釈とネタバレまとめ

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自分の選択はあれで良かったと考えている。 でも東京を水没させてしまったことは後悔している。 晴れにする能力は失ったけれど、 祈ることで少しでも晴れたらという願いがあった。 といったことがあって陽菜は祈っていたのではないでしょうか。 陽菜は空の世界から帆高によって救われたとき、晴れ女の能力を失ったということだと思います。 陽菜は空の世界から戻ってきてから、ずっと苦しかったでしょう。 自分のせいで東京が水没していくんですから。 でも帆高がいてくれたから耐えることができたんだと思います。 会わなかった3年間、陽菜はLINEみたいなので帆高とずっと連絡をとりあっていたのではないでしょうか。 ラストシーンで陽菜と再会するときの帆高のセリフについてなども書いています。 見ていただくと感動できるシーンを思いだして楽しんでいただけます。 しかし、この記事によると説を発表したのは 「元NASAの気候科学者ジェームズ・E・ハンセン氏が率いる研究チーム」ということで、そういう科学者が東京など沿岸部の都市が水没する可能性がある説を発表するほど、地球温暖化は着々と深刻化していっているのだと思い知らされました。 水害に弱い都市東京 さらに東京は水害に弱い都市とのこと。 東京は地震リスクがあるうえに、水害に弱い livedoor newsより引用 この記事を読んでいただくと、いかに東京が水害に弱いのかが分かります。 映画「天気の子」でも触れられていましたが、元々東京のエリアは湿地帯だったんですが江戸時代に埋め立てていったんです。 そのため 東京が水害に弱い都市なのは宿命みたいなものなんでしょうね。 豪雨が日常になりつつある現実 地球温暖化よりも身近な問題が豪雨です。 近年、豪雨被害が当たり前のようにニュースで登場するようになっています。 最近だと九州の印象が強いですが東京も例外ではないでしょう。 以上のような、これら 現実での出来事を知れば知るほど「天気の子」で描かれた東京の大規模な水没が絶対ないとは言えないんだということが分かってきます。 3年後ぐらいとか数年後に東京が「天気の子」のように水没してしまうことはないでしょうけれど、今後数十年単位で見れば「天気の子」のように水没してしまう可能性が高くなっていきそうです。 このままであれば50年後ぐらいには地球温暖化による気候の変化、異常気象の日常化がハッキリと分かるようになってくるのかもしれません。 もしさらに異常気象が日常化するとか地球温暖化の影響で水没が始まったとしたら、多くの人が悪影響を受けることになり死者が出る可能性も出てきます。 それだけに物語のなかで帆高と陽菜した選択は、すごく重いものなんだということが分かります。 「帆高と陽菜の選択」とは、どういうものなのか。 新海監督が帆高と陽菜の選択を通して伝えたいメッセージとはなんなのか。 それはまた別の記事で書きます。 まとめ ということでラストシーンで陽菜が祈っていた理由や、東京がリアルに水没する可能性についての考察でした。 まとめると、• 陽菜は東京を水没させた後悔があって祈っていた。 東京が水没することはありえる という感じです。 物語では東京の水没を困難の訪れの予感として描いていたように思いました。 さらに帆高は「東京の水没について東京は昔は海だった、長い年月で見れば水没した東京は別におかしなことではない。 僕たちの選択が世界を狂わした?いや元々世界は狂っていた。 」っていうようなことを言ってました。 東京の街の風景とそこを行き交う人々を肯定的に描く新海監督が、その世界が元々狂っていたという矛盾したセリフをもってきたのが興味深いです。 狂った世界だったとしても愛すべきものという考えなのかもしれないですが。 東京に雨が降り続けることになっても帆高に救われることを選んだ陽菜が、3年経ってもまだ祈っている姿にも矛盾を抱えていることが見られるように思えます。 いやそもそも覚悟していただろう陽菜を結果的に帆高が無理やり連れ帰ったのかもしれず・・・ と、まだまだ「天気の子」についていろいろと考えてしまいます。 今後もちょくちょく「天気の子」考察記事を書いていきたいと思います。

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