おれてきじん。 じん(自然の敵P)とは (ジンシゼンノテキピーとは) [単語記事]

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1.に 反対 はんたい する 会 かい が 執拗 しつよう に 攻撃 こうげき されている 2013 年 ねん2 月 がつより「しばき 隊 たい」や「プラカ 隊 たい」として 知 しられるようになった、「 ざいとくかい」といった「 行動 こうどうする 保守 ほしゅ」に 対 たいするカ 行動 こうどうの 延長 えんちょうとして9 月 がつ22 日 にちに「 東京 とうきょう 大 だい 行進 こうしん」なるものが 行 おこなわれた。 また9 月 がつ25 日 にちには「とレイシズムを 乗 のり 越 こえる 国際 こくさいネットワーク」(のりこえねっと)なるものもできた。 一見 いっけん 、 日本 にほん においてレイシズムを 許容 きょよう しない 土壌 どじょう が 生 う まれつつあるかのような 希望 きぼう をもたらせてくれるかもしれないが、2 月以降 がついこう のカ 行動 こうどう については 寧ろ むし それがレイシズムを 維持 いじ するものであること、さらに 様々 さまざま な 問題 もんだい (の 動員 どういん 、 差別 さべつ 的 てき 言辞 げんじ をもっての 対抗 たいこう 、 女性 じょせい 排除 はいじょ 、そしてこれらの 批判 ひはん を 受 う け 付 つ けない 姿勢 しせい など)があることについては 当 とう ブログでも 既に すで 書 か いてきたことである。 そして 今回 こんかい この「 東京 とうきょう 大 だい 行進 こうしん 」の「 成功 せいこう 」が 暴力 ぼうりょく 的 てき 排除 はいじょ によって 支 ささ えられてしまったことは 新た あら に 付 つ け 加え くわ ておくべきである。 「しばき 隊 たい 」や「プラカ 隊 たい 」といったカ 行動 こうどう については 従前 じゅうぜん より、 批判 ひはん に 対 たい して「」などのレッテル 張り ば や 誹謗 ひぼう 中傷 ちゅうしょう を 投げつけ な るばかりではあったがその 標的 ひょうてき として 度々 たびたび 矛先 ほこさき が 向 む けられるのが、そもそも「」という 語 ご の 由来 ゆらい ともされるに 反対 はんたい する 会 かい (以下「ヘ 会 かい 」)である。 ここで2つの 出来事 できごと を 紹介 しょうかい したい。 (1)「しばき 隊 たい」メンバーらによる、「ヘ 会 かい」 主催 しゅさい9.16 学習 がくしゅう 会 かい「 人種 じんしゅ 差別 さべつを 日本 にほんからなくす!どうすれば?」における 妨害 ぼうがい 予告 よこく、 当日 とうじつの 無断 むだん 録音 ろくおんと 公開 こうかい、 参加 さんかしゃ 者 しゃの 人定 じんてい ( 参照 さんしょう) (2)「しばき 隊 たい ・ 男組 おとこぐみ 」を 名乗 なの る 者 もの たちによる9 月 がつ 22 日 にち 「 東京 とうきょう 大 だい 行進 こうしん 」での 暴力 ぼうりょく 的 てき 排除 はいじょ ( 動画 どうが) ( 排除 はいじょ に 対 たい する「ヘ 会 かい 」の 抗議 こうぎ 声明 せいめい ) 上記 じょうきの(1)の 学習 がくしゅう 会 かいは「 東京 とうきょう 大 だい 行進 こうしん」に 向け むてその 趣旨 しゅしである「 人種 じんしゅ 差別 さべつ 撤廃 てっぱい 条約 じょうやくの 誠実 せいじつな 履行 りこう」を 求め もとるにあたって「どのような 差別 さべつ 問題 もんだいが、 人種 じんしゅ 差別 さべつ 撤廃 てっぱい 条約 じょうやくの 理念 りねんにもとづき 解決 かいけつされるべきか」を 考え かんがるために 設け もうらており、また(2)についても「 人種 じんしゅ 差別 さべつ 撤廃 てっぱい 条約 じょうやくの 誠実 せいじつな 履行 りこうを 日本 にほん 政府 せいふに 求め もとる 決議 けつぎ( 案 あん)」として作ったビラ( )を 会場 かいじょう 外 そとで 参加 さんか 者 しゃに 向け むて 配 くばっていたのであり、このような 学習 がくしゅう 会 かいや 表現 ひょうげん 活動 かつどうが 妨害 ぼうがいされたり 暴力 ぼうりょく 的 てきに 排除 はいじょされてしまう 程 ほどに 状況 じょうきょうは 極めて きわ 深刻 しんこくなのである。 また、これらに 先立 さきだって「ヘ 会 かい」が9. 22 大 だい 行進 こうしんへの 参加 さんかを 表明 ひょうめいしてから 以降 いこう、 大 だい 行進 こうしんに 関わ かかるものたちの 中 なかから 同会 どうかいに 対 たいする 恫喝 どうかつ 的 てきなメッセージが 出 だされたことも 記憶 きおくに 留め とどておくべきである。 ヘ 会 かい って ざいとくかい 以上 いじょう に 逃 に げ 回 まわ ってるんだから、 公開 こうかい の 場 ば で 詰め つ る 絶好 ぜっこう のチャンスなんじゃないの? 私 わたし は「ヘ 会 かい は 排除 はいじょ しない」「むしろ 参加 さんか させて、 市中 しちゅう 引 ひ き 回 まわ しの 上、 うえ 公開 こうかい 処刑 しょけい 」がよいと 思 おも います。 わりと 簡単 かんたん そうな 気 き がする。 僕 ぼく がやりたいのはヘ 会 かい ・北守の糾弾会 ほくしゅ きゅうだんかい だよ。 お 前 まえ の 退路 たいろ を 断 た った 上 うえ で 総括 そうかつ と 自己 じこ 批判 ひはん を 求め もと たい。 暴力 ぼうりょく が 不安 ふあん だっていうなら 公安 こうあん 警察 けいさつ の 人 ひと も 同席 どうせき してもらうからさ。 ここまでコケにしといてまさか 逃 に げないよな? 反論 はんろん の 機会 きかい はあるよ。 (2013. 2012:12 89Tweet) このように 言動 げんどうがエスカレートしてついには9.22の 暴力 ぼうりょく 的 てき 排除 はいじょへと 至って いたしてしまったわけである。 2. 批判的 ひはんてき 参加 さんかの 権利 けんりを 奪 うばうな 今回 こんかいの 大 だい 行進 こうしんにおける 暴力 ぼうりょく 的 てき 排除 はいじょおよびそれ 至 いたるまでの 上述 じょうじゅつの 恫喝 どうかつ、 脅迫 きょうはく 的 てき 言動 げんどうを 支持 しじないし 容認 ようにんする 者 ものたちの 主張 しゅちょうとしては、「ヘ 会 かい」は 大 だい 行進 こうしん に対 たいして< 妨害 ぼうがい>をはたらく 者 ものたちであるという 前提 ぜんていがあるようだが、 学習 がくしゅう 会 かいやビラの 内容 ないようはからそれを 導 みちびくのは 無理 むり 筋 すじである。 また「ヘ 会 かい」のメンバーが 個人 こじんとして 大阪 おおさかで7 月 がつ14 日 にちに 行 おこなわれた「 仲良 なかよくしようぜパレード」についてボイコットを 呼 よびかけ( 後 のちに 撤回 てっかい)、また 大 だい 行進 こうしんについても 一度 いちどはボイコットを 呼びかけ よた 件 けんをもってして 排除 はいじょを 正当 せいとう 化 かする 向き むもあるようである。 ボイコットの 呼 よびかけについては 具体的 ぐたいてきには 以下 いかの 発言 はつげんであろう。 とりあえず7.14 大阪 おおさか はボイコットを 推奨 すいしょう しております。 (2013.7.5 00:03 hokusyu82) 定期 ていき :7 月 がつ 14 日 にち の「 仲良 なかよ くしようぜパレード」についてボイコットを 呼 よ びかけます。 あえて 参加 さんか してカでもよいですが、その 際 さい は「 仲良 なかよ くしようぜ」の 寛容 かんよう さの 暴力 ぼうりょく に 取り と 込 こ まれないよう 注意 ちゅうい してください。 (2013.7.10 02:30 hokkusyu82) 仲 なか パレ in いん 東京 とうきょう 、とつるむ 反 はん 人種 じんしゅ 差別 さべつ などありえません。 当然 とうぜん ボイコットをすべきです。 (2013.7.26 20:05 hokusyu82) しかし、 同会 どうかいが8 月 がつ11 日 にちに< 目下 もっかの「 ざいとくかい」のヘイトデモ 及び およそのカに 対 たいする 声明 せいめい>と 題 だいする 声明 せいめいにおいて「 大 だい 行進 こうしん」の 参加 さんかを 公式 こうしき 的 てきに 表明 ひょうめいした 以降 いこうは( 当然 とうぜんかもしれないが)ボイコットの 呼 よびかけはない。 この 声明 せいめいの 中 なかでは「 ざいとくかいのような 集団 しゅうだんに 対 たいして 市民 しみんが 反対 はんたいの 声 こえをあげるのは 当然 とうぜん」としながら、カ 行動 こうどうの 現場 げんばで 起き おている 問題 もんだいを 指摘 してきしており、それをまとめると 以下 いかの3 点 てんになる。 具体的 ぐたいてきには、 ざいとくかいに 直接 ちょくせつ 反対 はんたいしたことをもって、 日本 にほんの 市民 しみん 社会 しゃかいはレイシズム 許容 きょようしていないという「ウソ」を 主張 しゅちょうする 者 ものや、 日本 にほんの「 みんど」の 高さ たかに 感動 かんどうし、 日本 にほんに 対 たいするナショナル・プライドを 高揚 こうようさせてしまう 者 ものさえいる。 このことは 反 はん 差別 さべつにおいて 大きな おお 連帯 れんたいをつくっていくことさえ 阻 はばむ。 上記 じょうきの 批判 ひはんがある 上 うえで 、声明は せいめい9 月 がつ22 日 にちの 大 だい 行進 こうしんについてその 趣旨 しゅしに 賛同 さんどうし、「 一緒 いっしょに 歩 あるき 、語り かたましょう」と 参加 さんかを 表明 ひょうめいして 締め しくくっている。 一度 いちどはボイコットを 呼びかけ よられたことを 仮に かり 妨害 ぼうがいとして 捉え とらたとしても、 撤回 てっかい 後 ごなおも 積極 せっきょく 的 てきに 排除 はいじょする 必要 ひつよう 性 せいがどこにあるのか 当該 とうがいの「しばき 隊 たい ・男組 おとこぐみ」の 者 ものたち、および 主催 しゅさいする 場 ばでそのような 排除 はいじょが 起き おたことに 対 たいして 運営 うんえいは 説明 せつめいをするべきである。 またそれまでの 過程 かていで 運営 うんえいに 携わ たずさる 木野 きの 氏 しがネット 上 じょうで 暴力 ぼうりょくを 示唆 しさし、さらには 個人 こじんの 顔写真 かおじゃしんまで 拡散 かくさんさせたことに 対 たいして 運営 うんえいの 見解 けんかいを 明らか あきにするべきであると考える。 「こいつを 見 みつけてとっちめてやろう」という 明らか あきな 加害 かがい 目的 もくてきで 個人 こじんの 顔写真 かおじゃしんを 拡散 かくさんさせる 行為 こういが、たとえ 仮に かりそれが 公開 こうかいされていた 写真 しゃしんであったとしても、 許容 きょようされて 然るべき しかことなのかハッキリと 説明 せつめいすべきである。 「 仕返し しかえし」のつもりなのであろう。 批判 ひはんされたことに 腹 はらが 立 たった、 邪魔 じゃまをされたという 気持ち きもでいっぱいなのだろう。 批判 ひはん に対して たい 応答 おうとうするのではなく 相手 あいてを 叩 たたくことに 夢中 むちゅうになるばかりでネットでの 誹謗 ひぼう 中傷 ちゅうしょう、 暴言 ぼうげん 罵倒 ばとうはどんどんエスカレートしていき、 相手 あいてにダメージを 与え あたるためなら 何で なんもありになっている。 もしかすると、エスカレートする 過程 かていで 言葉 ことば 数 かずで 圧倒 あっとうし 批判 ひはん 者 しゃを 挑発 ちょうはつすることで 対立 たいりつを 煽り あお、 周 まわりに 対 たいして「どっちもどっち」という 印象 いんしょうを 与え あたることによって、そもそも 告発 こくはつされていた 差別 さべつを 忘れ わすさせる、つまり 隠蔽 いんぺいを 図 はかろうとしているのではないかとも 思え おもてしまう。 これは 一連 いちれんのカ 行動 こうどうがまさに 批判 ひはんされてきた「 敵 てき」にダメージを 与え あたるためなら 差別 さべつ 的 てき 言辞 げんじをもって 対抗 たいこうすること、 相手 あいてをあからさまに「 力 ちから」でねじふせる 方法 ほうほうについて( 武闘派 ぶとうは 組織 そしきであると 自ら みずか 名乗 なのる「 男組 おとこぐみ」などその 最 さいたるものである)、これを 批判 ひはん 者 しゃ に対 たいして、 ざいとくかい」に 対 たいするのと 同様 どうように、「 敵 てき」として 認定 にんていし 適用 てきようしていることに 他ならな ほかいであろう。 批判 ひはん 者 しゃを「 敵 てき」と 認定 にんていする 作業 さぎょうに 便利 べんりなのが「」というレッテルなのであろうし、 相手 あいてを「」とみなせばその 実 じつを 問 とわず 何 なにをしてもよいというところまで 来 きている(たとえ 相手 あいてが「 ざいとくかい」であっても 何 なにをしてもよいわけでは 当然 とうぜんない)。 これは 実際 じっさいに「ヘ 会 かい」のメンバーであるかは 関係 かんけいなく 、大行進参加者に対して「 だいこうしんさんかしゃ たい I あいむ'm 北守」というプラカードを 掲げ かかげたひとについて、 本人 ほんにんに 断り ことわなく 勝手 かってにその 名前 なまえを 明か あし 写真 しゃしんを 拡散 かくさんしていることからも 明らか あきである。 この 間 かん、「どんな 運動 うんどうも 完璧 かんぺきではない」であったり「 外野 がいやから 批判 ひはんするのは 簡単 かんたん」「 文句 もんくがあるなら 現場 げんばに 来い こ」などと 言 こと 葉 ばを 幾度 いくども 見聞き みきしてきた。 これらについてはそれぞれに 対して たい 言 いいたいことはあるものの、しかし 前提 ぜんていとしてすくなくとも 批判的 ひはんてき 参加 さんかの 権利 けんり、 関かか わ りながら 口出し くちだができることすら 保証 ほしょうされていなかったことは 忘れられ わすてはならない。 黙 だまって 従 したがう 者 ものだけ「 仲良 なかよくしよう」、それ 以外 いがいは「しばきたい」と 臆面 おくめんもなく 振舞 ふるまってよいとされるようなマジョリティにとって 気持ち きもの 良い よ 運動 うんどうに 人 ひとが 集ま あつるのも 何の なん 不思議 ふしぎもないではないか。 3. 通 とおされなかった「 奴 やつら」 カ 行動 こうどう の 中 なか では 様々 さまざま なメッセージが 掲げ かか ら れてきた。 明らか あき に 差別 さべつ 的 てき なものについては 既に すで 当 とう ブログでも 批判 ひはん しているが、「 仲良 なかよ くしようぜ」という 一見 いっけん す ると 平和 へいわ 的 てき なようで 実質 じっしつ ハラスメント 的 てき なものや「 奴 やつ らを 通 とお すな」という 決意 けつい に 満ち み たものもある。 今回 こんかい 「 通 とお されなかった 奴 やつ 」、 共に とも 歩 ある くことを 許 ゆる されなかった、その 道 みち を 通 とお ることを 妨げ さまた られた 者 もの は「 ざいとくかい 」ではなく「」であった。 一番 いちばん 声 こえ のでかい 者 もの 、「 力 ちから 」を 行使 こうし できるものが 街 まち を 闊歩 かっぽ する 風景 ふうけい。 これはそのまま 日本 にほん である。 相手 あいて を 悪魔 あくま 化 か し、 暴力 ぼうりょく によって 疎外 そがい する、これは 反 はん 差別 さべつ ではない、 差別 さべつ である。

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オレ的ゲーム速報@刃(おれてきげーむそくほう じん) とは|KAI

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このでは、しばしばしい論争が起きています。 を書くときはをよく、に努めてください。 概要 におけるはにされた「 」。 だが、をしたりして界でとなる。 3作、 にされた「 」で 初のを達成。 数は13万をえ、氏の代表曲のひとつとなった。 にされた「 」の者により「」の発売、同時に氏執筆によるやのが発表された。 に際しては氏自らが全話の脚本を執筆した。 者としては、を際立たせた楽曲群が特徴。 は論のこと、にもが多用され、のは高い。 また「」のような一つの観を楽曲群で表現する方向性もあり、楽曲群を通しで聴くとを通して短編を味わうような雰囲気を楽しめる。 のに楽曲ごとのが掲げられていることからも分かるだろう。 な使用は製の。 頃から、では やも使用。 また楽曲と並行して、()とみずたと共に「族」に所属しており、とを担当している。 楽曲も行っており、最近ではから放送される「」のED「」(歌:)のを手掛けている。 このようにして間もないが、曲の数々が再生をえ、「」に始まる氏の描く観にはも多い。 界においては何かとのである。 未投稿の曲 「メカクシティデイズ」収録曲• の電紀行• デッンド• ー (あり・「」「MAKUCY V's」に収録)• シニガミ 「チルドレンレコード」収録曲• 「メカクシティレコーズ」収録曲• (あり・「MAKUCY V's」に収録)• 「メカクシティアクターズ」関連曲 歌ってみた・演奏してみた アルバム目録 個人 「 」 : 01. -- 02. の電紀行 05. ー 06. フォト 07. ト -- 「 」 「 」 「 」 関連商品 本・コミックなど.

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「奴(やつ)らを通(とお)すな」→「闊歩(かっぽ)していいのは俺(おれ)とその仲間(なかま)だけ」 ~ヘイトスピーチに反対(はんたい)する会(かい)に対(たい)する攻撃(こうげき)から考え(かんが)る~

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経歴 [ ] 高宗時代 [ ] 字は懐英。 のの出身。 祖父の狄孝緒は尚書左丞、父の狄知遜は、夔州長史であった。 幼年時代に、周囲に構わずに書を読みふけり、これを責められると、「聖賢の言葉が詰まった書をおいて、なぜ、俗吏の言葉に耳を傾ける暇があるのか?」と答えたという話が残っている。 のに合格し、汴州参軍に就任したが、の誣告に遭った時、汴州を視察していた画家としても高名なにその才を認められた。 その推薦によって并州法曹参軍に抜擢された。 その頃、同僚の鄭祟質が絶域への使者に選ばれたが、彼の母が老いていることを理由に、上司に代わりに行くことを懇願した。 このため、上司たちは常々「北斗より南、狄公(狄仁傑)以上の賢人はいない」と語っていたと伝えられる。 やがて朝廷に召されて大理丞となる。 1年間で、獄に滞っていた罪人1万7千人を処理し、ただの一人も冤罪を訴えるものはいなかった。 元年()、左威衛大将軍の権善才と左監門中郎将の范懐義の二人が、家を増築するために依頼した樵夫が誤って (の墓地)の木を伐ってしまった。 はこの二人を大逆罪として処刑する意思を表明し、群臣もこれに賛同した。 しかし、狄仁傑はこれに反対し、「両名を死罪には出来ません。 陵域の木を切る者を死罪に処すとの法律がないからです」と述べた。 高宗は怒ったが、狄仁傑の直言は聞き入れられ、結局、両名は死罪を免れ、嶺南と流刑に決まった。 数日後に、狄仁傑は侍御史に昇進した。 また、左司郎中の王本立が横暴であったため、告発した。 そのため、王本立は罰せられたため、朝廷は肅然としたと伝えられる。 さらに、朝散大夫が加えられ、度支郎中に昇進する。 高宗がに赴く際、妬女祠があり、祟りをなすため、道を別にとるように提案があった時、「天子が行くのに、妬女が害できるはずもない」として、却下した。 このため、高宗から「真の大丈夫なり!」と称えられた。 中宗・睿宗時代 [ ] 2年()、となり、異民族を安んじ、人心を得て、徳政碑が建てられるほどであった。 そのため、御史の郭翰が巡察に来た時、その治績を認められ、朝廷への推薦を受け、朝廷にもどり、冬官侍郎に任命される。 垂拱4年()には、江南道巡撫大使として、地方に多かった淫祠、千七百ヶ所を焚く。 その後、文昌左丞となり、刺史として出されたが、この時、越王貞の反乱に加わったとして連座される者が六、七百家もあり、五千人が官奴とされ、二千人が死罪となっていた。 狄仁傑は、彼らが無実であることを密奏し、太后となっていた武則天の許しを得て、に変えた。 流罪にあった人により、至るところで徳政碑が立てられる。 また、越王貞を討伐した唐軍の最高責任者であるの張光輔が賄賂を求めるのを拒否し、降伏してきたものを殺して手柄としているのを責め立てる。 そのため、不遜として復州刺史へ左遷させられ、さらに洛州の司馬まで降格させられた。 武則天の時代 [ ] 2年()、武則天に認められ、都に呼び戻され、地官侍郎、同平章事に任命される。 その筋の通った発言、諫言によって、武則天のさらなる信任を得る。 元年()、出身の官僚であるにより、謀反を企んだと告発を受ける。 狄仁傑は監視と拷問を緩めるため、謀反をあえて認めたが、酷吏の懐柔に対しては、自殺を図ることであくまで拒む。 さらに、免状を書き、衣の中にいれて、外にいた息子の狄光遠に渡す。 このため、免状は武則天に届き、狄仁傑と面会した武則天によって、出獄される。 その後、彭沢のに左遷させられた。 年間(~)に、がを陥いれられ、河北が動揺したため、魏州刺史に任命される。 前任の刺史が民を全て城に入らせ、城を守る準備していたが、「契丹は遠く離れており、必要はない。 万が一の時は、私が当たればいいだけで、百姓を労すことはない」として、民を農村に帰した。 契丹は、退いていき、各地で徳政碑が立てられた。 また、に任じられる。 元年()、朝廷に帰り、鸞台侍郎、同平章事に任じられる。 この時、異民族との戦いにおける軍事に力をいれていることを諫め、異民族の王に僻地を支配させ、()、防御に徹し、攻められた際には清野の計を行うことを進言している。 進言は採用はされなかったが、識者は同意したと伝えられる。 同年、武則天の甥にあたるとが太子の座を狙って色々な画策をした。 武則天が迷っていた時、狄仁傑は従容としてこれを諫めた。 「昔、太宗は風雨にさらされ、矢玉をおかし、自ら非常な苦難を乗り越えて、天下を平定し、これを子孫に伝えました。 また高宗は二人の皇子を陛下にお託しになったのです。 しかるに今、皇位を他の血族に移し変えようとなされるのは、天意ではないと存じます。 かつ、叔母と甥の間柄と、母子の間柄とは、どちらが親しみ深いと考えられますか。 陛下が御子をお立てになられましたなら、陛下崩御ののち、太廟に合祀されて、永く御子孫からの御供物をお受けになることが出来ますが、甥をお立てになりましたなら、甥が天子となって、その叔母を太廟に合祀した者のあることを聞いたことがございません」 武則天はいったん、家族の問題であると諫言を拒絶したが、狄仁傑は「王者は四海を家とする。 全てのものが家族であり、宰相である自分があずかり知らぬはずもない」と食いさがった。 ために、武則天は二人の甥を退け、前に短期間帝位についた後に廃された、高宗の子の廬陵王李顕()を召還し、改めて皇太子として立てたと伝えられる。 これによって唐王朝が元に戻る基礎づくりが出来上がった。 聖歴元年()、武則天から人材の推薦を求められ、息子の狄光嗣を推薦した。 狄光嗣は、地官員外郎に任じられ、優秀であり、武則天からさらなる信任を受けた。 また、元帥となった太子の代わりに、討伐に知元帥事として従事し、武則天に、自ら見送られている。 突厥は略奪を行った後に、逃げ去り、十万の兵で追ったが追いつかなかった。 この時、河北道安撫大使となり、突厥に脅されて、従っていたものたちを許すように奏上し、聞き届けられている。 久視元年()、内史に任じられる。 武則天からの恩寵が比が無いほどで、彼が契丹からの投降と官位授与を認めるように進言した李楷固や駱務整は契丹討伐において、手柄を立てたため、また賞された。 さらに、武則天が仏教に溺れないように度々、諫言し、仏教や僧が国家を侵害する実体を幾度も訴えた。 そのため、大仏製作の労役を中止したと伝えられる。 その死 [ ] 武則天は、狄仁傑を尊重して名前で呼ばずに「国老」と呼び、朝廷で討論の末に武則天が折れることが多く、拝礼と宿直を免除するほどであった。 狄仁傑は病気と老齢を理由に退職を願ったが、武則天は許さなかった。 同年に死去した時には、武則天も涙を流して悲しみ、「が、空となった!」と語るほどであった。 後日、で議論が決定しない時は、「天はなぜ、自分から国老を奪ったのだ」と嘆いたと伝えられる。 武則天に、文昌右相を贈られ、文惠と贈り名された。 その後、中宗にを、睿宗に梁国公を贈られる。 年間に、によって「梁公別伝」が撰されている。 狄仁傑は多くの優れた人材を推挙したことでも知られる。 特に、宰相に推薦したは狄仁傑によって推挙され、のちに、同じく彼が推薦した、とともに、武則天の力が弱まったときに退位を迫り、権力を唐王朝の手に引き戻した。 また、彼によって登用された人々は、宰相となったを筆頭に、のちにと呼ばれるの時代の唐の絶頂期を演出する原動力となった。 狄仁傑の息子 [ ] 狄仁傑の息子に、狄光嗣と狄景暉がいる。 狄光嗣は、司府丞、地官員外郎、州刺史を歴任する。 開元7年(),汴州刺史から揚州大都督府長史に転じ、汚職の罪によって、キン州別駕に降格された後、死去している。 狄景暉は、魏州の司功参軍となったが、貪婪暴虐に民を苦しめた。 そのため、魏州の人々はその父親である狄仁傑の祠を壊し、復元されることはなかった。 伝記資料 [ ]• 『』巻八十九 列伝第三十九 狄仁傑伝• 『』巻百十五 列伝第四十 狄仁傑伝• 『』 狄公案 [ ] 狄仁傑は、後世かららとともに、小説の題材としてとられ、清代には、作者不明の『』(武則天四大奇案とも)が出版されている。 前半では、県令時代の狄仁傑の公案小説が、後半はその後の中央としての活躍を描いた小説となっている。 また、近年でもドラマや映画の題材にとられている。 狄仁傑を主人公とした文芸作品 [ ]• 狄仁傑の不思議な事件簿 簡約版・『狄公案』 訳(文芸社 2007年) 「狄公案」の最後までを、ダイジェストに翻訳したもの。 『ディー判事シリーズ』著(三省堂 1989年) 地方官時代の狄仁傑を、あたかもの如き名判事に見立て、各地の難事件を解決していくという筋立ての作品。 なお、4人の助手は「狄公案」の登場人物からとられている。 『中国黄金殺人事件』訳• 『中国鉄釘殺人事件』訳• 『中国湖水殺人事件』大室幹雄訳• 『中国梵鐘殺人事件』松平いを子訳• 『中国迷路殺人事件』松平いを子訳 ちくま文庫 1995年刊行• 『ディー判事シリーズ』著(早川書房 ハヤカワポケットミステリ)• 『真珠の首飾り』訳 刊行日: 2001年2月9日• 『雷鳴の夜』和爾桃子訳 刊行日: 2003年4月16日• 『観月の宴』和爾桃子訳 刊行日: 2003年12月10日• 『紅楼の悪夢』和爾桃子訳 刊行日: 2004年6月11日• 『五色の雲』和爾桃子訳 刊行日: 2005年1月14日• 『柳園の壷』和爾桃子訳 刊行日: 2005年8月9日• 『南海の金鈴』和爾桃子訳 刊行日: 2006年1月6日• 『白夫人の幻』和爾桃子訳 刊行日: 2006年7月7日• 『北雪の釘』和爾桃子訳 刊行日: 2006年11月8日• 『東方の黄金』和爾桃子訳 刊行日: 2007年9月14日• 『紫雲の怪』和爾桃子訳 刊行日: 2008年2月15日• 『江南の鐘』和爾桃子訳 刊行日: 2008年9月5日• 『沙蘭の迷路』和爾桃子訳 刊行日: 2009年4月9日• 『水底の妖』和爾桃子訳 刊行日: 2009年10月9日• 『螺鈿の四季』和爾桃子訳 刊行日: 2010年1月7日• 『寅申の刻』和爾桃子訳 刊行日: 2011年2月4日 狄仁傑を題材にした作品 [ ] 映画• 2010年 中国・香港『』- 演• 2013年 中国・香港『 ()』- 演• 2018年 中国・香港『 ()』-マーク・チャオ 演 テレビドラマ• 1986年 中国『狄仁傑断案伝奇』- 演• 2001年 中国『』- 演• 2004年 中国『』- 演• 2005年 中国『月上江南-狄仁傑洗冤録』- 演• 2010年 中国『神探狄仁傑前伝』- 演• 2011年 台湾『神断狄仁傑』- 演• 2012年 香港『盛世仁傑』- 演 アニメ•

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