ほうけ いと は。 02帚木14 空蝉との一夜明け

キングダム (漫画)

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サ行とハ行の揺れ 日本語における「サ行とハ行の揺れ」 と 出雲弁 1.「ひちや」の問題 日本語における東西の比較では有名な「ひちや」の問題がある。 「質屋」の看板やのれんに東京ではまともに「しちや」と書かれているが、大阪では「ひちや」と書かれているのに驚いた、という話は戦前からよく聞かされた話である。 では数字の「七」はどうか、もちろん大阪では「ヒチ」と発音するわけだが。 ここであらためてお断りしておきたいことがある。 これから延べることは方言に関することである。 「私は今大阪に住んでいるがそんな言葉は聞いたことがない」と云われても困るわけで、方言は必然的に滅びかつ変化してゆくものだから、いま大阪に住んでいる人全体が「ヒチ」と云っているのだ、なんていうお話ではない。 かつてはこんな発音をしていたものだ、というような事柄をことさらに拾ってゆくという保守的ともいえる話なのである。 さて本題にかえって「ひちや」だが、生粋の東京育ち、いわゆる江戸っ子の「おシ様 お日様 はシがし 東 から昇る」「この街もシらけて ヒらけて きたねー」もまたかなり有名なのである。 仮定の問題として、戦前の大阪人に「七」をどういうか、と問えば10人が10人とも「ヒチ」と答え、書いて見ろといえば10人中7人は「ヒチ」と書き、残る3人は「シチ」と書いただろう。 サイト検索によるちょっとした調査 そこでこの「ひちや」が他にないだろうかとちよっとした検索をしてみた。 関西のある地方では今でも「お七夜」のことを「おひちや」と書く習慣が残っている。 大阪には今現在でも「ひちや」を冠した金融会社がある。 岐阜県の南端に「七宗町」という自治体があるが、これは「ひちそうちょう」というのが正式な行政名である ワープロでも変換する。 かつて私の勤務地であった鳥取市に「七福旅館」というのがあったがこの商業登記簿名は「ひちふくりょかん」である。 いくつかの用例をあげてみよう。 さすがにニュースアナは訓練されているのかこのような間違いはないが、スポーツアナやインタビュアー、それに民放になるとそうはゆかないようである。 「松井 稼 シだり 左 打席でまたシット ヒット 」「拉致シがいしゃ 被害者 のバスにはカーテンがシかれて ヒかれて いて中がよく見えません」「このシがいしゃ 被害者 のシたい 額 の傷は〜」・・・とにかく枚挙に暇がない。 特に野球の放送でもっともよく出てくる「ヒット ト にアクセント 」は気をつけないと 「シット」に聞こえても擬音であることが多い、よく聞けばほとんどのケースで「ヒット」と正しく云っているのに単に「シット」に聞こえることが多い。 上記の私のケースは疑いなく「シット」と云っているものである。 「シさしぶり ひさしぶり 」で検索すると80数件もヒットする。 これもドラマなどでよく聞かれるものだ。 なぜこんなことが起こるのだろうか。 それについては後に延べることとし、とりあえず序章を置くこととする。 念のため活用をみてみよう。 つまり「サ」も「ハ」も言葉の上では同じということになる。 このことから、もしかすると日本語には「サ行」と「ハ行」との間で一種の「揺れ」があるのではないか、と考えられたのである。 関西弁で「ソんならゆきまショか」は「ホな ゆきまヒョか」となる。 もっともこれだけはつきりしている「揺れ」が気づかれないわけはなく、おそらく言語学上での既説であろうが、私は私なりに実態を解明してみようと考えたのである。 3.「方言サイト」を利用した悉皆調査 考えたのはよいのだが資料がないことには話にならない。 そこで全国の方言サイトを利用して悉皆調査をしてみようと考えたのである。 これには問題点もあった。 各サイトはそれぞれ主宰者の感性で書かれているのだから、たとえば、「七」を実際には「ヒチ」と発音しているのに文字では「シチ」と書くものだという想定から、取り上げないでいるところもあるかもしれない、という危惧であった。 しかしそれは杞憂に過ぎなかった。 ほとんどのサイトが「人」は「シト」と書き、「シつこい」は「ヒつこい」と書かれていたのである。 いま私の手元に「全国方言一覧辞典 学研社 '98刊」という本がある。 よくみるとこの言葉は東北から中部日本にいたるいわゆる東日本では「シゃっこい」が多く、関西以西では「ヒゃっこい」で占められている。 幸いなことにこの「ひゃっこい」は各サイトの殆どが「方言」として取り上げているようであった。 そこでこの「ひゃっこい」を指標語として拾いながら、他の語も拾ってゆくという手法によることとした。 県別調査の問題点 もともと、方言の分布と県境とはまったく関係がない。 たとえば青森県の南部弁は山形県にもまたがっているのだし、お手元の島根県でさえ出雲弁圏と石見弁圏に二分されている。 しかし私はそれでよいと考えた。 の調査はなにも方言圏の問題ではないし、日本語全体に「サ行とハ行の揺れ」があるかどうかが主眼だからである。 したがって県別の区分は一応の目安にすればよいと考えた。 4.方言サイトによる「サ行語」と「ハ行語」の悉皆調査結果 表題の結果は次の表のとおりである。 (1)なぜ「揺れ」なのか 東日本は「しちや」「しゃっこい」に代表される「サ行圏」だなんてとんでもない感違いであった。 北端の青森ですら「シゃっこい」と「ヒゃっこい」が同居し、しかも「へんへ 先生 」 「へんべ せんべい 」などの「ハ行語」が津軽弁にある。 この「ひゃっこい」の語源が「ヒヤ」にあることは疑えないから、東北や北関東にある「しゃっこい」は明らかに「ヒ」から「シ」への転訛である。 ところが茨城など北関東にみられる「ヒッ語」はどうか、たとえば「ヒっぽかす すっぽかす 」の語源は「スっぽかす」だろうから、これは「ス」から「ヒ」への転訛であり逆のケースとなる。 福島から北関東一円にある「シっぱだぐ ひっぱたく 」は普通云われる「ヒっぱたく」とどちらが元祖で語源なのかはっきりしないまま「揺れて」いる。 これらには一定の法則性がない。 私が「揺れ」と名付けた所以である。 (2)「サ行圏」と「ハ行圏」の区分はあるのか ことに驚いたのは茨城 桐生市 の「ひちや 七夜 」であった。 たとえ「ひちや」は「質屋」のことだとしても、ことは音韻の問題である、その意味からは「質屋」も「七夜」も同じはずである。 「ひちや」は大阪以西に限られると単純に考えていた私には大きな衝撃であり、本論を書く動機ともなったのである。 (3)関西以西は「ハ行圏」 ところが、奈良、和歌山、を含むいわゆる関西地方以西には見事なまでに「サ行語」はなく「ハ行語」一辺倒であることも判明した。 これもまた収穫の一つであった。 (4) 「布団をシク」「車にシカレル」で孤立する出雲弁 面白い発見もあった。 それは「布団を敷く」である。 これは明らかに「シク」であるのに関西の全県、ことに出雲圏を取り巻く「岡山、広島、山口、鳥取県東部」は例外なく「ヒク」であった。 逆にまた「車に轢かれる」は「ヒカレル」であるのに出雲だけは「シカレー」である。 (5)出雲も「ハ」と「サ」の混交圏 ならば出雲は「サ行圏」か、というとさにあらずで、数多くの「サ行語」と「ハ行語」が併存する。 東北に多い「ほだな そうだな 」「ほんだ そうだ 」中部地方の「ほーきゃ そうか 」関西の「ほいで それで 」「へてから それから 」広島をはじめとする山陽側の「ほいじゃ それじゃ 」出雲、兵庫、岡山には「へーから それから 」などがある。 7.どうしてこんなことが起きるのか 「サ行」の発音は「上舌擦過音」である。 つまり「サーーー」と引っ張ろうとしても「サ」と発音できるのは最初だけであとは「アーーー」と母音しか残らない。 つまり最初の舌の動きをちょっとでもサボれば「サ」は「ア」になってしまうわけである。 一方「ハ行」はどうか、これは「開口音」だからちょっと事情が違う。 「フ」だけは「フーーー」と引っ張れるがあとの「ハ、ヘ、ホ」はやはり引っ張ることは少し難しい。 ただ「ヒ」は特殊である。 口を横に開いて「舌を上顎に近づけて しかも 開口音で」ということになるから「ヒーーー」と言い続けてみるとわかることだが、どうしても「シーーー」に変化し易い。 つまりいい加減な発音だと「ヒ」は「シ」に聞こえやすい、ということになる。 早口の野球放送で「ヒット」が「シット」に聞こえるのもこの擬音になるからであろう。 口をのき動きを極端に惜しむ出雲人にとって「シ」も「ヒ」も完全に発音することはほとんど不可能であろう。 だからといって出雲弁で「ヒ」を「シ」に置き換えるようなことはしない。 賢い出雲人は「ヒ」を「フ」にむりやり置き換えることで凌いだのである。 「引っ張られ現象」とでもいえようか。 「本当」はもともと漢語 今は使われていない だから日本の民衆の中で使われたとすれば比較的新しい言葉ということになる。 「そうだ」や「それ」は多くの地域で「ほだ」「ほーじゃ」「ほーなの」「ほいじゃ」・・・etc と変化している。 出雲弁の「ほんほん」は「それそれ」の転訛したものだと考える方が自然である。 古代の我が国での「稲干し」はどのように行われていたのだろうか。 この間テレビである農村の老婆が「稲干し」をしている映像を観た。 それは稲を一把づつ田んぼに直接伏せるように置く干し方であった。 それは田んぼの中に点々ととんがり帽子を置いたようにみえ、私は我が国の稲干しの原型を見るような気がした。 古代の稲干しはおそらくこのような方法をとっていたのではないかと思われる。 広辞苑に「すすし」という言葉が載っている。 出雲弁で云えば「ししし」と訛る「藁にお」のことである。 広辞苑の「すすし」の項には「すずきに同じ、山陰地方でいう」とあり「すずき」の項を見ると「立てた木を中心に藁を積み上げたもの」とある。 私は古代の「稲干し」は、この単に稲藁を積み上げただけの「すすし干し」ではなかったかと思う。 そのうち「さで」が登場した。 「さで」とは当て字で「叉手」と当て書きされる「二股の木」のことであり「さで網」の「さで」である。 この「さで」が登場して「稲干し」は一変する。 つまり「さで木」を立てて竹棒を差し渡しその竹棒に稲束を吊る干し方になり「さでぼし」と称するようになった。 この「さで」が転訛して「ハデ」と呼ばれるようになったものと考えられる。 後 記 この調査を終えてから気づいたことがある。 人にものを渡す時や、注意を促す時に使う感動詞「ほら ご覧なさい」の「ほら! 全国の方言サイトを悉皆調査するのはかなりの時間を要したし、何度もやり直しをすることとなったけれども、私にとっては楽しい時間でもあった。 しかしサイトを見て調査に代えたことは我ながら名案であったと少し満足している。 本来なら見たサイト名をあげて示すのが礼儀であろうがそれもならず恐縮している。 各方言サイトの方々にこの場を借りてお礼を申し上げたい。 金沢育司.

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源氏物語を読む 野分 のわき 源氏物語 28 野分 のわき 原文 現代文 八月野分の襲来 、秋の花を植ゑさせたまへること、常の年よりも見所多く、 色種 ( いろくさ )を尽くして、よしある黒木赤木の 籬 ( ませ )を結ひまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山も忘られて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。 春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを、名立たる春の御前の花園に心寄せし人びと、また引きかへし移ろふけしき、世のありさまに似たり。 これを御覧じつきて、里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、八月はの御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。 花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、草むらの露の玉の緒乱るるままに、御心惑ひもしぬべく思したり。 おほふばかりの袖は、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ。 暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上を思し嘆く。 中宮の前庭に、秋の花を植えていて、いつもの年より見所多く、色も種類も豊富で、趣のある黒木赤木の間垣を作って、同じ花の枝ぶりや姿ながら、朝夕露の光もすばらしく、玉と輝くように作っている野辺の色を見ると、春の山も忘れて、涼しく趣きがある秋に、心も浮き立つのであった。 春秋の争いに、昔から秋に心を寄せる人は多いが、名高い春の御前の花園に心を寄せた人びとも、取って代わって心変わりする様子は、世の有様に似ている。 これをご覧になりたくて、里居するうちに、管弦の遊びもしたいが、八月はの忌月なので、盛りがすぎるのを気にしながら暮らして、花の色がますます美しくなるのをご覧になっていると、野分が例年より勢いづいてやって来て、空の色が一変した。 花がしおれるのをそれほど気にしない人でも、まあどうしようと心を痛めるものなのに、まして草の玉の露が乱れるにつれて、中宮は心を惑わすのであった。 空を覆うばかりの袖は、秋の空にこそほしいものだった。 暮れゆくままに、物も見えなくなるほど吹き荒れて、とても不気味だったので、格子などを下ろすが、気がかりでたまらず、花の命を嘆くのであった。 2019. 折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。 大臣は、姫君の御方におはしますほどに、中将の君参りたまひて、東の渡殿の小障子の上より、妻戸の開きたる隙を、何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る。 御屏風も、風のいたく吹きければ、押し畳み寄せたるに、見通しあらはなる廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、気高くきよらに、、春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。 、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。 御簾の吹き上げらるるを、人びと押へて、いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。 花どもを心苦しがりて、え見捨てて入りたまはず。 御前なる人びとも、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず。 「大臣のいと気遠くはるかにもてなしたまへるは、かく見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、いたり深き御心にて、もし、かかることもやと思すなりけり」 と思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、西の御方より、内の御障子引き開けて渡りたまふ。 「いとうたて、あわたたしき風なめり。 御格子下ろしてよ。 男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」 と聞こえたまふを、また寄りて見れば、もの聞こえて、大臣もほほ笑みて見たてまつりたまふ。 親ともおぼえず、若くきよげになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。 女もねびととのひ、、身にしむばかりおぼゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて、立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ち退きぬ。 今参れるやうにうち声づくりて、簀子の方に歩み出でたまへれば、 「さればよ。 あらはなりつらむ」 とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と、今ぞ見咎めたまふ。 「年ごろかかることのつゆなかりつるを。 風こそ、げに巌も吹き上げつべきものなりけれ。 さばかりの御心どもを騒がして。 めづらしくうれしき目を見つるかな」とおぼゆ。 南の御殿にも、前栽を手入れをさせていて、野分が吹き始め、もとあらの小萩も及ばぬひどい風の吹きようだった。 枝も折れ、露も吹き散らすのを、紫の上は側に寄ってご覧になっている。 源氏は、明石の姫君の部屋にいたので、夕霧がやってきて、東の渡殿の小衝立の上から妻戸が開いている隙から、何気なく見入っていると女房がたくさんいて、じっと立ち止まって音も立てず見入っていた。 屏風も、風が強く吹いているので、折りたたんで寄せているので、すっかり見通せる廂の御座にいた人、紛れもない、気高く清らかで、さっと照り映える心地して、春の曙の霞の間から、風情のある樺桜の咲き乱れるのを見る心地がした。 圧倒的に、見ている自分の顔に移ってくるような、愛嬌が匂い散って、実に珍しく稀有な人の有様であった。 御簾が吹き上げられるのを、人々が押えて、どうしたのか笑っている様子が、実に美しかった。 吹き散っている花をいたわしく思い、見捨てて奥に入らないでいるのだった。 御前にいる女房たちもさまざまに美しい姿が見えるが、目移りはしなかった。 「大臣が常日頃遠ざけて近寄らせないのは、見る人が無関心ではいられないので、深く配慮して、もしこういうことがあってはいけないと思っておいでだからだろう」 と思い、恐ろしくなって立ち去ろうとした時、内の障子を引き開けて源氏が来た。 「ひどくあわただしい風だな。 格子を下ろしなさい。 男たちがいるだろう、まる見えだ」 と源氏が言うのが聞こえて、また寄って見れば、何か喋って、源氏も微笑んで見ている。 親とも思えず、若く美しく品があり、たいへんな男盛りに見えるのだった。 紫の上も女盛りで申し分なく、非の打ちどころのないお二人の様子は、夕霧は身にしみて感じたが、この渡殿の格子も吹き渡って、立っている所があらわになれば、と恐ろしくなって立ち退いた。 今来たばかりのように声を作って、簀子の方に歩み出れば、 「やっぱり。 見えたかもしれない」 とて、「あの妻戸が開いているよ」と、今見咎めるのだった。 「今まではこんなことはなかったのに。 風こそ、実に岩をも吹き上げるものだ。 お二人の心を騒がせて、珍しくうれしい気持ちになったかな」と思うのだった。 2019. 艮の方より吹きはべれば、この御前はのどけきなり。 馬場の御殿、南の釣殿などは、危ふげになむ」 とて、とかくこと行なひののしる。 「中将は、いづこよりものしつるぞ」 「三条の宮にはべりつるを、『風いたく吹きぬべし』と、人びとの申しつれば、おぼつかなさに参りはべりつる。 かしこには、まして心細く、風の音をも、今はかへりて、若き子のやうに懼ぢたまふめれば。 心苦しさに、まかではべりなむ」 と申したまへば、 「げに、はや、まうでたまひね。 老いもていきて、また若うなること、世にあるまじきことなれど、げに、さのみこそあれ」 など、あはれがりきこえたまひて、 「かく騒がしげにはべめるを、この朝臣さぶらへばと、思ひたまへ譲りてなむ」 と、御消息聞こえたまふ。 道すがらいりもみする風なれど、、三条宮と六条院とに参りて、御覧ぜられたまはぬ日なし。 内裏の御物忌などに、えさらず籠もりたまふべき日より外は、いそがしき公事、節会などの、暇いるべく、ことしげきにあはせても、まづこの院に参り、宮よりぞ出でたまひければ、まして今日、かかる空のけしきにより、風のさきにあくがれありきたまふもあはれに見ゆ。 宮、いとうれしう、頼もしと待ち受けたまひて、 「ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ」 と、ただわななきにわななきたまふ。 大きなる木の枝などの折るる音も、いとうたてあり。 御殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、「」 と、かつはのたまふ。 、この君を頼もし人に思したる、常なき世なり。 今もおほかたのおぼえの薄らぎたまふことはなけれど、内の大殿の御けはひは、なかなかすこし疎くぞありける。 中将、夜もすがら荒き風の音にも、すずろにものあはれなり。 心にかけて恋しと思ふ人の御ことは、さしおかれて、ありつる御面影の忘られぬを、 「こは、いかにおぼゆる心ぞ。 あるまじき思ひもこそ添へ。 いと恐ろしきこと」 と、みづから思ひ紛らはし、異事に思ひ移れど、なほ、ふとおぼえつつ、 「。 たとしへなかりけりや。 あな、いとほし」 とおぼゆ。 大臣の御心ばへを、ありがたしと思ひ知りたまふ。 人柄のいとまめやかなれば、似げなさを思ひ寄らねど、「さやうならむ人をこそ、同じくは、見て明かし暮らさめ。 限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかし」と思ひ続けらる。 人びとが来て、 「ひどく激しく吹きますね、この風は。 東北の方から吹いていますから、この御殿は大丈夫です。 馬場の御殿や釣殿の方は、危ないののではないか」 とて、あれこれ準備に騒がしい。 「中将はどちらから参りましたか」 「三条の宮におりましたが、『風が激しく吹いています』と人びとが言いますので、こちらが心配でお見舞いに上がりました。 あちらでは、いっそう心細くしておられ、風の音にも、今は昔にかえって子どものように恐れております」 と夕霧が言いますと、 「そうだ、早く行きなさい。 老いて再び若くなることは、世の道理でありえないが、気持ちはそんなこともあるだろう」 となどと、おいたわしくお思いなされて、 「このように激しい風ですが、この中将がいればと思い、わたしは失礼します」 と文を託した。 道すがら風は激しく吹いていたが、夕霧は几帳面な性格なので、三条宮と六条院をお尋ねにならぬ日はなかった。 内裏の物忌みなどで、やむを得ず籠る日以外は、忙しい公事や節会などに時間をとられて多忙であっても、まずはこの三条の宮を尋ね、ここから内裏へ出仕しているので、まして今日は、こんな空模様の時には、風の先に立ってあちこち顔を出すのも、実に感心なことであった。 宮は、うれしく頼もしき気持ちで待っていて、 「この齢になって、こんな激しい野分にあったことがない」 とわなないているのだった。 大きな木の枝が折れる音も、恐ろしかった。 御殿の瓦も残りなく吹き飛ばされるのに、「こうしてわざわざお出でくださり」 とお言葉であった。 あれほど権勢を誇った勢いは静まって、今はこの君を頼もしく思う、常なき世であった。 今も世間の評判は薄れてはいないけれど、息子の内大臣の気持ちはすこし離れているのだった。 中将は、夜もすがら荒れ狂う風の音にも、気持ちが騒ぐのであった。 心にかけて恋しいと思う人のことは差し置いて、あの面影が忘れられず、 「これは、一体どうしたことか。 あってはならない思いがつのって、恐ろしいことだ」 と自ら思い紛らして他の事に思いを移したが、なお思い浮かべて、 「今までもこれからも、またとない美しさだろう。 このような夫婦仲にあって、どうして花散里などのお方が、肩を並べているのだろう。 比べようもない。 まったくお気の毒だ」 と思った。 大臣の心ばえは、及びもつかないと思い知った。 夕霧は真面目な人柄なので、自分に似合わないことは考えないが、「あのような人を、同じ人生なら、眺め暮らしたいものだ。 限りある命も、いま少し延びるかもしれない」と思い続けるのだった。 2019. 「六条院には、離れたる屋ども倒れたり」 など人びと申す。 「風の吹きまふほど、広くそこら高き心地する院に、人びと、おはします御殿のあたりにこそしげけれ、東の町などは、人少なに思されつらむ」 とおどろきたまひて、まだほのぼのとするに参りたまふ。 道のほど、横さま雨いと冷やかに吹き入る。 空のけしきもすごきに、あやしくあくがれたる心地して、 「何ごとぞや。 またわが心に思ひ加はれるよ」と思ひ出づれば、「いと似げなきことなりけり。 あな、もの狂ほし」 と、とざまかうざまに思ひつつ、東の御方に、まづまうでたまへれば、、とかく聞こえ慰めて、人召して、所々つくろはすべきよしなど言ひおきて、南の御殿に参りたまへれば、まだ御格子も参らず。 おはしますに当れる高欄に押しかかりて、見わたせば、山の木どもも吹きなびかして、枝ども多く折れ伏したり。 草むらはさらにもいはず、 桧皮 ( ひはだ )、瓦、所々の 立蔀 ( たてじとみ )、 透垣 ( すいがい )などやうのもの乱りがはし。 日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧りわたれるに、そこはかとなく涙の落つるを、おし拭ひ隠して、うちしはぶきたまへれば、 「中将の声づくるにぞあなる。 夜はまだ深からむは」 とて、起きたまふなり。 何ごとにかあらむ、聞こえたまふ声はせで、大臣うち笑ひたまひて、 「」 とて、とばかり語らひきこえたまふけはひども、いとをかし。 女の御いらへは聞こえねど、ほのぼの、かやうに聞こえ戯れたまふ言の葉の趣きに、「ゆるびなき御仲らひかな」と、聞きゐたまへり。 明け方に風がすこし弱まって、村雨のように降っていた。 「六条院の離れの家屋が倒れた」 などと人びとが言う。 「風が吹き惑う間、広くて高くそびえる感じの院に、人びとは源氏のいる御殿のあたりこそ多くいるが、東の町などは人は少な目だろう」 と気がついて、まだ暗いうちに来た。 途中、雨は横に冷ややかに吹き込んだ。 空の気色も荒涼としていたが、不思議と気持ちが高揚していて、 「どうしたことだ。 わたしの心にまた物思いが加わったのか」と思うと、「わたしにまったく似合わなことだ。 何と、気違いじみた」 と、あれこれと思いながら、まず東の御方に行くと、1花散里はおびえて着かれきっていたので、とにかく慰めて、人を呼び、あちこちなおすべき箇所を言い置いて、南の御殿行くと、まだ格子も上げていなかった。 部屋のあたりの高欄に寄りかかって庭を見わたすと、築地の木々を吹きなぐって、枝も多数折れたり倒れていた。 草むらはいうまでもなく、屋根の 桧皮 ( ひはだ )や瓦、 立蔀 ( たてじとみ )、 透垣 ( すいがい )などが散乱していた。 日が少しばかり射しだして、愁え顔の庭の露がきらきらして、空は濃い霧がこもり、何ということもなく涙が落ちるのを、拭って隠してから、咳払いをすると、 「中将の声作りだ。 まだ夜中なのに」 とて、起きた。 何があったのか、紫の上の声はしないで、源氏が笑って、 「昔だって経験したことがなかった暁の別れだ。 今経験するのはお気の毒だ」 などと言って、いあばし語らい合っている気配は、優雅だ。 女の答えは聞こえなかったが、かすかに、このように言って戯れる言葉の趣に、「しっかりした仲だな」と、聞いていた。 2019. 「いかにぞ。 昨夜、宮は待ちよろこびたまひきや」 「しか。 はかなきことにつけても、涙もろにものしたまへば、いと不便にこそはべれ」 と申したまへば、笑ひたまひて、 「今いくばくもおはせじ。 まめやかに仕うまつり見えたてまつれ。 内大臣は、こまかにしもあるまじうこそ、愁へたまひしか。 人柄あやしうはなやかに、男々しき方によりて、親などの御孝をも、いかめしきさまをば立てて、人にも見おどろかさむの心あり、まことにしみて深きところはなき人になむ、ものせられける。 さるは、、いとかしこき人の、末の世にあまるまで、才類ひなく、うるさながら。 人として、かく難なきことはかたかりける」 などのたまふ。 「いとおどろおどろしかりつる風に、中宮に、はかばかしき宮司などさぶらひつらむや」 とて、この君して、御消息聞こえたまふ。 「夜の風の音は、いかが聞こし召しつらむ。 吹き乱りはべりしに、おこりあひはべりて、いと堪へがたき、ためらひはべるほどになむ」 と聞こえたまふ。 源氏が格子を自分で上げるので、あまり近くできまりが悪いので、夕霧は退いている。 「どうであった。 昨夜、宮はよろこんでいたであろう」 「はい、なんでもないことにも、涙もろくなっていますので、かわいそうです」 と申し上げると、笑って、 「先は長くはないのだ。 丁重にお仕えしてくれ。 内大臣は、細かな配慮がないと、宮は嘆いています。 人柄が実に派手で、男性的な性格で、親の追悼にあっても、大げさにしたてて、人を驚かそうとの気持ちがあり、まことに心にしみる深いところのない人なのです。 そうは言っても、思慮深く、賢い人で、この末世にはもったいなく、学問もできる、気難しいところはあるが。 人として、これだけ欠点がないのはちょっといない」 と仰せになった。 「おそろしい風であったので、中宮にしっかりした宮司がついているのだろうか」 とて、夕霧をして、お見舞いに伺わせた。 「昨夜の風の音は、いかがお聞きでしたでしょうか。 吹き荒れていましたときに、持病があって堪え難かったので、伺いできませんでした」 と仰せになった。 2019. 朝ぼらけの容貌、いとめでたくをかしげなり。 東の対の南の側に立ちて、御前の方を見やりたまへば、御格子、まだ二間ばかり上げて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾巻き上げて人びとゐたり。 高欄に押しかかりつつ、若やかなる限りあまた見ゆ。 うちとけたるはいかがあらむ、さやかならぬ明けぼののほど、色々なる姿は、いづれともなくをかし。 童女下ろさせたまひて、虫の籠どもに露飼はせたまふなりけり。 、時にあひたるさまにて、四、五人連れて、ここかしこの草むらに寄りて、色々の籠どもを持てさまよひ、撫子などの、いとあはれげなる枝ども取り持て参る、霧のまよひは、いと艶にぞ見えける。 吹き来る追風は、紫苑ことごとに匂ふ空も、香のかをりも、触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心懸想せられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて、歩み出でたまへるに、人びと、けざやかにおどろき顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。 、入り立ち馴れたまへる、女房なども、いとけうとくはあらず。 御消息啓せさせたまひて、宰相の君、内侍など、けはひすれば、私事も忍びやかに語らひたまふ。 、さまざまにもの思ひ出でらる。 夕霧は下りて、中の渡りの戸を通って行った。 朝ぼらけの容姿は、じつに美しく優雅であった。 東の対の南側に立って、御前の方を見れば、格子は二間ばかりが上がって、ほのかな朝ぼらけのなかに、御簾と巻き上げて女房たちがいた。 高欄に寄りかかって、若い女房たちがたくさんいた。 くつろいだ様子はどうだろう、明けきらない曙のなか、色とりどりの姿は、どれもが鮮やかだ。 童女を下ろさせて、虫の籠を露にあてているのであった。 紫苑 ( しおん )、 撫子 ( なでしこ )、濃き薄き 衵 ( あくめ )どもに、女郎花の 汗衫 ( かざみ )など、季節に合った衣装で、四五人が連れ立って、あちこちの草むらに寄って、色とりどりの籠を持ってさまよって、撫子などの風に傷んだ枝を持って霧の中をさまよっている様子は、風情があった。 吹き渡る追風も、紫苑の花がいっせいに匂っているような空も、中宮が香に触れたせいだろうかと想像するのもめでたく、緊張してしまい、立ち去りがたく、静かに咳払いをして歩み出ると、女房たちはひどく驚いた風は見せなかったが、皆すばやく中に入った。 中宮が入内した頃は、夕霧は幼かったので、御簾の中に入って馴れ親しんだ女房たちもよそよそしくはない。 源氏の消息を告げて、宰相の君や内侍など中にいる気配がして、女房たちと私事を語らったりした。 この御殿は御殿で、気品高く暮らしている有様を見るにつけても、いろいろと思い出されるのだった。 2019. 中将、御階にゐたまひて、御返り聞こえたまふ。 「荒き風をも防がせたまふべくやと、若々しく心細くおぼえはべるを、今なむ慰みはべりぬる」 と聞こえたまへれば、 「あやしく。 女どちは、もの恐ろしく思しぬべかりつる夜のさまなれば、げに、」 とて、やがて参りたまふ。 御直衣などたてまつるとて、御簾引き上げて入りたまふに、「短き御几帳引き寄せて、はつかに見ゆる御袖口は、さにこそはあらめ」と思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するも、うたてあれば、他ざまに見やりつ。 殿、御鏡など見たまひて、忍びて、 「中将の朝けの姿は、きよげなりな。 」 とて、わが御顔は、古りがたくよしと見たまふべかめり。 いといたう、 「宮に見えたてまつるは、恥づかしうこそあれ。 何ばかりあらはなるゆゑゆゑしさも、見えたまはぬ人の、奥ゆかしく心づかひせられたまふぞかし。 いとおほどかに女しきものから、」 とて、出でたまふに、中将ながめ入りて、とみにもおどろくまじきけしきにてゐたまへるを、心疾き人の御目にはいかが見たまひけむ、立ちかへり、女君に、 「昨日、風の紛れに、中将は見たてまつりやしてけむ。 かの戸の開きたりしによ」 とのたまへば、面うち赤みて、 「いかでか、さはあらむ。 渡殿の方には、人の音もせざりしものを」 と聞こえたまふ。 「なほ、あやし」とひとりごちて、渡りたまひぬ。 御簾の内に入りたまひぬれば、中将、渡殿の戸口に人びとのけはひするに寄りて、ものなど言ひ戯るれど、思ふことの筋々嘆かしくて、例よりもしめりてゐたまへり。 南の御殿では、格子を上げて、昨夜見捨て難かった花々が、見るかげもなく折れ臥しているのを、源氏と紫の上は眺めていた。 夕霧は御階に腰かけて、中宮のご返事を申し上げた。 「荒い風も防いでくださいましょうかと、子どものように心細く感じておりましたが、今ようやく安心しました」 と中宮のご返事を申し上げると、 「ひどく怖がりな宮です。 女だけでは、ものおそろしいく思った夜だったろうから、実にわたしとしては行き届かなかったな」 とて、源氏はすぐ向かった。 直衣などと着るために、御簾を引き上げて入ったが、「短い几帳を引き寄せている端からちらりと見える袖口は、紫の上に違いない」 と思うと、夕霧は胸がどきどき鳴るのもいやなので、他の方を見ていた。 源氏は鏡などを見て、小声で、 「中将の朝の姿は美しいな。 今は幼さの残る年頃だが、見苦しくないのは、親の欲目かな」 とて、自分の顔は老けずによしと見ているようだ。 良く見せようと大変な気づかいをして、 「宮にお会いすいるのは、実に気づかわされるよ。 何か特に目立った風情があるようには、見えない人だが、奥の深い感じで気づかいをさせられる。 じつにおおらかで女らしいのだが、どこか人とは違ったところがおありだ」 とて、出かけようとすると、中将がどこかをぼんやり眺めていてすぐには気がつかない様子なので、心さとい人の目にはどう見えたのだろう、引き返して、女君に、 「昨日、風にまぎれて、中将は覗いたのではないか。 あの妻戸の開いたところから」 と仰せになると、紫の上は顔を赤らめて、 「どうしてそんなことがありましょう。 渡殿の方に、人の音もしなかったですから」 とおおせになった。 「いや、あやしいな」と独り言を言って、出て行った。 中宮の御簾の中に入ったので、中宮は渡殿の戸口に女房たちの気配を感じて寄って行き、冗談など言って戯れるが、思いのそれぞれが嘆かわしくて、いつもより沈んでいた。 2019. 童女 ( わらわべ )など、、心とどめ取り分き植ゑたまふ 龍胆 ( りんどう )、朝顔のはひまじれる 籬 ( ませ )も、みな散り乱れたるを、とかく引き出で尋ぬるなるべし。 もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、、 小袿 ( こうちき )ひき落として、けぢめ見せたる、いといたし。 端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、心やましげなり。 「」 とひとりごちけり。 中宮の所からそのまま北へ抜けて、明石の方の御殿を見れば、これといって家司なども見えず、ものなれた下働きの女たちが、草の中をあちこち歩いている。 童女など、しゃれた 衵 ( あくめ )姿でくつろいで、明石の上が丹精こめて植えた 龍胆 ( りんどう )や朝顔の交じった垣もみな散り乱れたのを調べているらしい。 明石の上は物のあわれを感じて、筝の琴を掻きまさぐりつつ、端近くにいたが、前駆の声が聞こえたので、着慣れた不断着に 小袿 ( こうちき )を下ろして着る、けじめを見せるところは、すばらしい。 源氏がちょっと座って、風の騒ぎのお見舞いをして、つれなく立ち去ったのは、意に満たぬ思いであった。 「一様に荻の葉を吹きすぎる風の音も この憂き身にはひとしおしみる心地がします」 と独り言を言うのだった。 2019. 「ことことしく 前駆 ( さき )、な追ひそ」 とのたまへば、ことに音せで入りたまふ。 屏風 ( びょうぶ )なども皆畳み寄せ、ものしどけなくしなしたるに、日のはなやかにさし出でたるほど、けざけざと、ものきよげなるさましてゐたまへり。 近くゐたまひて、例の、、堪へずうたてと思ひて、 「かう心憂ければこそ、今宵の風にもあくがれなまほしくはべりつれ」 と、むつかりたまへば、いとよくうち笑ひたまひて、 「風につきてあくがれたまはむや、軽々しからむ。 さりとも、止まる方ありなむかし。。 ことわりや」 とのたまへば、 「げに、うち思ひのままに聞こえてけるかな」 と思して、みづからもうち笑みたまへる、いとをかしき色あひ、つらつきなり。 酸漿 ( ほおずき )などいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々うつくしうおぼゆ。 まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。 その他は、つゆ難つくべうもあらず。 玉鬘の西の対では、恐ろしいと思い明かした名残で、寝過ごして今鏡を見て化粧していた。 「大げさに 前駆 ( さき )追いしてはいけない」 と源氏が仰せになり、音もたてずに入った。 屏風なども皆たたんで寄せ、物が取り散らかったなかで、日がはなやかにさし出てくるなかで、際立って、きれいに身つくろいして座っている。 源氏は近くに寄って、例によって、台風の見舞いをしても、色めいた冗談を言うので、玉鬘は嫌がって、 「いやなことばかり仰せですから、昨夜の風にのって行きたかったですわ」 と機嫌を悪くしたので、面白そうに笑って、 「風とともに行ってしまうとは、また軽率な。 それとも、泊まるところがあるのかな。 ようやくそのような気持ちになってきたのですね。 ごもっともです」 と仰せになれば、 「ほんとう、思ったとおり言ってしまったわ」 と思って、自分で笑っているところは、実に可愛らしい色合い、顔つきであった。 ほおずきのようにふっくらして、髪がかかっている隙々が美しいと思う。 目元がにこやかすぎるのが、あまり上品には見えないのだった。 その他は、難点がない。 2019. かく戯れたまふけしきのしるきを、 「あやしのわざや。 親子と聞こえながら、かく懐離れず、もの近かべきほどかは」 と目とまりぬ。 「見やつけたまはむ」と恐ろしけれど、あやしきに、心もおどろきて、なほ見れば、柱隠れにすこしそばみたまへりつるを、引き寄せたまへるに、御髪の並み寄りて、はらはらとこぼれかかりたるほど、女も、いとむつかしく苦しと思うたまへるけしきながら、さすがにいとなごやかなるさまして、寄りかかりたまへるは、 「ことと馴れ馴れしきにこそあめれ。 いで、あなうたて。 いかなることにかあらむ。。 むべなりけりや。 あな、疎まし」 と思ふ心も恥づかし。 「女の御さま、げに、はらからといふとも、すこし立ち退きて、異腹ぞかし」など思はむは、「などか、心あやまりもせざらむ」とおぼゆ。 昨日見し御けはひには、け劣りたれど、見るに笑まるるさまは、立ちも並びぬべく見ゆる。 八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。 折にあはぬよそへどもなれど、なほ、うちおぼゆるやうよ。 花は限りこそあれ、そそけたるしべなどもまじるかし、人の御容貌のよきは、たとへむ方なきものなりけり。 御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめき語らひ聞こえたまふに、いかがあらむ、まめだちてぞ立ちたまふ。 女君、 「」 詳しくも聞こえぬに、うち誦じたまふをほの聞くに、憎きもののをかしければ、なほ見果てまほしけれど、「近かりけりと見えたてまつらじ」と思ひて、立ち去りぬ。 御返り、 「 なよ竹を見たまへかし」 など、ひが耳にやありけむ、聞きよくもあらずぞ。 中将は、源氏が親しく話しているのを見て、「どうかして玉鬘の容貌を見たいものだ」と思って、隅の間の御簾の几帳が乱れていたので、そっと引き上げて見ると、見通しをさえぎる調度も取り払っていて、よく見えた。 こうして戯れている様子がよく見えたので、 「おかしなことだ。 親子といっているのに、懐に寄って、馴れ馴れしくしてよいものか」 と目にとまった。 源氏が「見つけるのではないか」と恐ろしかったが、不思議なのですっかり驚いてなお見ていると、玉鬘が柱に隠れて横を向いている、源氏が引き寄せると、髪が寄ってはらはらとこぼれかかるほどに、女も、とても迷惑でつらいと思っている様子ではあったが、結局はおだやかな様子で寄りかかっているので、 「こんなに馴れ馴れしいのか。 全く何ということだ。 どうしたことなのだろう。 女については抜け目のないお人ゆえ、生またときから育てていないので、こんな思いもだくようになったのだろうか。 無理もないのか。 ああ、いやだ」 と思う心も恥ずかしい。 「女の美しさは、実に姉弟といっても、すこしさがって、腹違いだと」と思えば、「どうして、心得違いをしない事があろうか」と思うのだった。 昨日見た方の美しさには劣るが、見ていると微笑みたくなる美しさは、肩も並べそうに見える。 八重山吹の咲き乱れ盛りに、露のかかる夕映えをふと思い出される。 折に合わぬたとえではあるが、印象のままに言うのです。 花の美しさには限りがあるが、ほうけたしべもまじったりするが、人の容貌の美しさは、たとえようもないものだ。 御前に人も来ないので、細やかに語っていたが、どうしたのだろう、真面目になって立ち上がった。 女君は、 「吹き荒れる風に女郎花は しおれてしまいそうなです」 はっきりとは聞こえなかったが、源氏が口ずさむのをかすかに聞くと、憎いが興味がひかれるので、最後まで見届けたいけれど、「近くにいただろう」と気づかれそうで、立ち去ったのだった。 ご返事、 「人目につかぬ下葉の露になびいたら 荒い風にしおれることもないでしょう なよ竹をご覧なさい」 などと、聞き違いであろうか、ひどい仰りようだ。 2019. 今朝の朝寒なるうちとけわざにや、もの裁ちなどするねび御達、御前にあまたして、細櫃めくものに、綿引きかけてまさぐる若人どもあり。 いときよらなる朽葉の羅、今様色の二なく擣ちたるなど、引き散らしたまへり。 「中将の下襲か。。 かく吹き散らしてむには、何事かせられむ。 すさまじかるべき秋なめり」 などのたまひて、何にかあらむ、さまざまなるものの色どもの、いときよらなれば、「かやうなる方は、南の上にも劣らずかし」と思す。 御直衣、花文綾を、このころ摘み出だしたる花して、はかなく染め出でたまへる、いとあらまほしき色したり。 「中将にこそ、かやうにては着せたまはめ。 若き人のにてめやすかめり」 などやうのことを聞こえたまひて、渡りたまひぬ。 花散る里の東の御方へ、ここから渡って行った。 今朝の肌寒さに思い立った家事か、裁ち物などする古女房が御前に大勢いて、細櫃のようなものに綿を引っかけてまさぐっている若い女房たちもいる。 美しい朽葉色の羅や、今風の色に見事に艶出しした絹など、広げている。 「中将の下襲ですか。 宮中の壺前栽の宴も中止になったらしい。 こんなに激しく吹いては、何が出来よう。 すさまじい秋ですね」 などと仰せになって、なんであろうか、様々な物の色が実に美しいので、「このような方面の技は、南の上にも劣らないな」と思うのだった。 直衣はこの頃摘み出した露草で花文様に薄く染めあげた、こうありたいと思う見事な色だった。 「中将にこそ、このようなものは着せてください。 若い人のものとしては無難でしょう」 などと仰せになって、渡って行った。 2019. 「まだあなたになむおはします。 風に懼ぢさせたまひて、今朝はえ起き上がりたまはざりつる」 と、御乳母ぞ聞こゆる。 「もの騒がしげなりしかば、宿直も仕うまつらむと思ひたまへしを、宮の、いとも心苦しう思いたりしかばなむ。 雛の殿は、いかがおはすらむ」 と問ひたまへば、人びと笑ひて、 「扇の風だに参れば、いみじきことに思いたるを、ほとほとしくこそ吹き乱りはべりしか。 この御殿あつかひに、わびにてはべり」など語る。 「ことことしからぬ紙やはべる。 御局の硯」 と乞ひたまへば、御厨子に寄りて、紙一巻、御硯の蓋に取りおろしてたてまつれば、 「いな、これはかたはらいたし」 とのたまへど、、文書きたまふ。 紫の薄様なりけり。 墨、心とめておしすり、筆の先うち見つつ、こまやかに書きやすらひたまへる、いとよし。 されど、あやしく定まりて、憎き口つきこそものしたまへ。 「」 吹き乱れたる 苅萱 ( かるかや )につけたまへれば、人びと、 「交野の少将は、紙の色にこそととのへはべりけれ」と聞こゆ。 「さばかりの色も思ひ分かざりけりや。 いづこの野辺のほとりの花」 など、かやうの人びとにも、言少なに見えて、心解くべくももてなさず、いとすくすくしう気高し。 またも書いたまうて、馬の助に賜へれば、をかしき童、またいと馴れたる御随身などに、うちささめきて取らするを、若き人びと、ただならずゆかしがる。 気疲れのする方々を源氏のお供で歩いて、中将は、何となく気が晴れず、書きたい文など日が高くなるのをおもいつつ、姫君の所に来た。 「まだあちらにおります。 風に怖じて、今朝は起きることができませんでした」 と乳母が言う。 「ひどい風でしたから、宿直をしに来ようかと思いましたが、大宮が大層怖がっておりましたので。 お人形の御殿は、無事でしたか」 と問えば、女房たちも笑って、 「扇の風でも、あたれば一大事と思っていのに、壊れそうなほどに吹き荒れましたので。 この御殿の世話には困っております」など言う。 おおげさでない紙がありますか。 硯もお貸しください」 と頼めば、厨子に行って、紙一巻を硯の蓋にのせて差し上げると、 「いや、これは恐縮です」 と言ったが、明石の上の出自の低さ考えると、そう気を遣うこともないと思い、文を書いた。 紫の薄い紙であった。 墨を心をとめてすり、筆の先によく見て、気をくばって書いたのが、すばらしい。 けれど、妙に型にはまって、おもしろくない詠みっぷりであった。 「風が騒ぎむら雲が飛ぶ夕べでも あなたのことは忘れません」 咲き乱れた刈萱につけると、女房たちが、 「交野の少将は、紙の色に合わせたそうですよ」と言う者がいる。 「それくらいの色のことも気がつかなかったか。 どこの野辺の花をつけたらいいのか」 など、このような親しい女房たちにも、言葉は少なく、気を許さず、きまじめで気品が高い。 もう一つ文を書いて、馬の助に渡すと、可愛らしい童女と、なれた随身にささやいて渡すのを、若い女房たちは、相手を知りたがるのだった。 2019. 、あながちに、妻戸の御簾を引き着て、几帳のほころびより見れば、もののそばより、ただはひ渡りたまふほどぞ、ふとうち見えたる。 人のしげくまがへば、何のあやめも見えぬほどに、いと心もとなし。 薄色の御衣に、髪のまだ丈にははづれたる末の、引き広げたるやうにて、いと細く小さき様体、らうたげに心苦し。 「一昨年ばかりは、たまさかにもほの見たてまつりしに、またこよなく生ひまさりたまふなめりかし。 まして盛りいかならむ」と思ふ。 「、これは藤の花とやいふべからむ。 木高き木より咲きかかりて、風になびきたるにほひは、かくぞあるかし」と思ひよそへらる。 「かかる人びとを、心にまかせて明け暮れ見たてまつらばや。 さもありぬべきほどながら、隔て隔てのけざやかなるこそつらけれ」など思ふに、まめ心も、なまあくがるる心地す。 明石の姫君がこちらに戻ってくるので、女房たちは動き回り、几帳を整えたりする。 見てしまった美しい顔を、比べてみたくて、普段は覗き見する性格ではないが、無理して妻戸の御簾に体を入れて、几帳の隙間から見れば、調度類の端にほんのわずか通るのが見えた。 女房たちがたくさん動くので、細かいところは何も見えないので気が気でない。 薄紫の衣に、髪はまだ丈までのびていないが、ふっさりと広がって、細く小さい体つきは、可愛らしく痛々しい。 「一昨年までは、時々はちらりと見ていたが、またずいぶん美しくなられたようだ。 このまま成長すればどんなに美しくなるだろうか」と夕霧は思うのだった。 「先に見た紫の上と玉鬘を、桜、山吹にたとえるなら、これは藤の花だろう。 小高い木から咲いて、風になびいた美しさは、こんなだろう」と思うのだった。 「こんな人たちを思いにままにいつも見ていたい。 そうできる立場にいながら、それぞれの隔てがきびしいのが恨めしい」などと思うに、生真面目な心も何やら落ち着かない。 2019. よろしき若人など、ここにもさぶらへど、もてなしけはひ、装束どもも、盛りなるあたりには似るべくもあらず。 容貌よき尼君たちの、墨染にやつれたるぞ、なかなかかかる所につけては、さるかたにてあはれなりける。 内の大臣も参りたまへるに、御殿油など参りて、のどやかに御物語など聞こえたまふ。 「姫君を久しく見たてまつらぬがあさましきこと」 とて、ただ泣きに泣きたまふ。 「今このごろのほどに参らせむ。 心づからもの思はしげにて、口惜しう衰へにてなむはべめる。 女こそ、よく言はば、持ちはべるまじきものなりけれ。 とあるにつけても、」 など、、。 そのついでにも、 「いと不調なる娘まうけはべりて、もてわづらひはべりぬ」 と、愁へきこえたまひて、笑ひたまふ。 宮、 「いで、あやし。 」 とのたまへば、 「それなむ見苦しきことになむはべる。 いかで、御覧ぜさせむ」 と、聞こえたまふとや。 夕霧が、祖母の大宮の下へ再び来ると、のどかにお勤めなどしていた。 若い女房たちがここにもいたが、物腰や様子、装束なども、今が盛りの六条院には比べようもない。 容貌のよい尼君たちが、墨染めの衣に身を包んで、かえってこのような所にしては、それなりにしみじみとした趣があった。 内大臣もお見えになって、灯りをともして、のんびりとお話をしている。 「姫君に久しく会っていないのはあまりのことです」 といって、ただ泣いている。 「いずれそのうちお目にかけましょう。 自分からふさぎ込んでしまって、すっかりやつれています。 女こそ、はっきり申せば、持つものではありませんね。 何かにつけて、心配ばかりかけるものです」 などと、内大臣は今でもわだかまり根に持っているので、大宮は情けなくて、強くも申し上げない。 話のついでに、 「たいへんできの悪い娘を引き取りまして、手を焼いております」 と、心配をこぼして、笑うのだった。 大宮は、 「あら、おかしい。 あなたの娘が、出来が悪いはずがないですわ」 と申し上げれば、 「それが実に見苦しい有様でして。 ぜひお目にかけましょう」 と申し上げるのだった。

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源氏物語を読む 野分 のわき

ほうけ いと は

この記事にはやの一覧が含まれていますが、 による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事のにご協力ください。 ( 2019年7月) この項目には、一部のコンピュータやで表示できない文字(要追記 どの文字? )が含まれています ()。 キングダム ジャンル ・・ 漫画 作者 出版社 掲載誌 レーベル 発表号 9号 - 巻数 既刊58巻(2020年6月現在) ゲーム:キングダム 一騎闘千の剣 ゲームジャンル 対応機種 開発・発売元 メディア プレイ人数 1 - 3人 発売日 レイティング : B アニメ:キングダム 第1シリーズ 原作 原泰久 監督 シリーズ構成 キャラクターデザイン 、大竹紀子、波間田正俊 音楽 関美奈子 アニメーション制作 製作 、、ぴえろ 放送局 放送期間 - 話数 全38話 アニメ:キングダム 第2シリーズ 原作 原泰久 監督 岩永彰 シリーズ構成 荒川稔久 キャラクターデザイン 竹田逸子、徳永久美子、下島誠 音楽 関美奈子 アニメーション制作 ぴえろ 製作 NHK、総合ビジョン、ぴえろ 放送局 NHK BSプレミアム 放送期間 2013年 - 話数 全39話 アニメ:キングダム 第3シリーズ 原作 原泰久 監督 シリーズ構成 キャラクターデザイン 音楽 、KOHTA YAMAMOTO アニメーション制作 ぴえろ、 製作 キングダム製作委員会 放送局 放送期間 - - プロジェクト ・・ ポータル ・・ 『 キングダム』は、によるの作品。 『』()にて9号より連載中。 第17回のマンガ大賞受賞作品である。 単行本販売部数 発行部数と電子版の売上部数を足した物 は58巻発売時点で累計6,600万部を突破している。 2008年に集英社運営の『』にて全8回のラジオドラマが放送された。 2010年11月にはから用ゲームが発売された。 2011年11月に化が発表され、2012年6月から2013年2月にかけて第1シリーズが、2013年6月から2014年3月にかけて第2シリーズが放送された。 2020年4月より第3シリーズが放送中。 2018年4月の第50巻達成を記念して実写映画化が発表され 、2019年4月に劇場公開された。 2020年5月29日には映画続編の制作が発表された。 あらすじ 紀元前3世紀のの末期を舞台にして、後のとなると、の武人である主人公・信の活躍を中心に描かれている中国時代劇である。 信は後のの大将軍・であることがあらかじめ明かされている。 1 - 24巻 嬴政との邂逅 - 王弟反乱編(1巻 - 5巻) 時代は紀元前。 500年の争乱が続く春秋戦国時代、中国最西の大国「」に「 (しん)」と「 漂(ひょう)」という名の二人のがいた。 二人は、下僕の身分ながら、「天下の大将軍」を夢見て日々修行に明け暮れていた。 やがて、秦国大臣・に見出され仕官した漂は、ある夜、深手を負った状態で戻って来る。 息絶えた漂から託された紙に書いてあった場所に辿り着いた信は、そこで漂と瓜二つの少年を目の当たりにする。 その少年こそ秦国第三十一代目大王・ (せい)であった。 漂落命の原因となった政に激昂する信だったが、自らに託された漂の思いと自らの夢のため、乱世の天下に身を投じるのだった。 初陣編(5巻 - 7巻) 反乱鎮圧の功により平民の身分を得た信は三ヶ月後、兵卒として秦魏戦争で初陣を迎える。 戦場である蛇甘平原で劣勢の秦軍の中で信のは奮闘、千人将・縛虎申と共に軍副将・宮元を倒して戦場の要地を奪う。 そこに突如現れた秦の怪鳥の異名を持つ秦国大将軍・。 信は図らずも天下の大将軍と会話する機会を得る。 戦は秦魏両軍総大将同士ので決着し、勝利した秦軍は帰国の途についた。 信は功により百将に昇進。 暗殺者襲来編(8巻 - 10巻) 王宮に政を狙う暗殺団が放たれた。 これを迎え撃つ信は、暗殺団の中に戦場を共にしたの姿を見つける。 羌瘣こそは、伝説の女刺客「」に名を連ねる者だった。 彼女に圧倒されるが、他の暗殺団の到着に図らずも共闘し、撃退。 発覚した首謀者の名は秦国・であった。 今は手を出せぬ政敵に、政陣営は忍耐を余儀なくされるも対抗するために王弟陣営を吸収し、着実に力をつける。 馬陽攻防編 - 王騎の死(11巻 - 16巻) 、を攻める隙に、軍から馬陽を攻められた秦では、急遽編成した迎撃軍を最後の六大将軍・王騎に託す。 そこで初戦を迎えた信率いる百人隊は王騎の特命により、趙将軍・馮忌を討つ。 その功で「飛信隊」の名を授けられた信は、将軍への道を垣間見た。 軍の活躍もあって趙将軍・趙荘の采配を悉く上回る王騎であったが、総大将の趙国三大天・との決着のために、罠を承知で軍を進める。 龐煖は妻となるはずだった秦国六大将軍・を討った因縁深き相手だった。 本軍同士が激突、総大将同士が一騎討ちを戦う最高潮の中、突如秦軍の背後に未知の新手が姿を見せる。 率いるのはもう一人の趙国三大天・であった。 一転して死地に追い込まれた秦軍、一瞬の隙を突かれて王騎も致命傷を負う。 信に背負われ激戦の末脱出に成功した王騎は、信に自らの矛を託し、皆に多くのものを残してこの世を去る。 秦趙同盟 - 山陽攻略編(17巻 - 23巻) 、王騎亡き後、諸国に国境を侵され始める中、三百人隊に増強された飛信隊は各地を転戦。 そんな中、呂不韋の画策により趙国宰相が秦を訪れることが伝わる。 その宰相こそ誰あろう李牧その人であり、秦趙同盟という土産を携えていた。 同盟成立後の宴席で李牧と直接話す機会を得た信は、李牧を戦場で倒すことを宣言した。 、秦趙同盟の効果は早くも現れ、魏国要衝の地「山陽」の奪取を目的とした、対魏侵攻戦が開始される。 総指揮官は「白老」の異名を持つ秦国大将軍・。 遠征軍に加わった飛信隊は同じく三百人隊の玉鳳隊()、楽華隊()と競い合いながら功を挙げていく。 秦軍の前に立ちはだかった魏軍は、元趙国三大天・に率いられていた。 廉頗の登場で全中華が注目する中、秦魏両軍は決戦の火ぶたを切る。 六将級と評される、の両名を副将に擁する秦軍と、廉頗四天王が率いる魏軍の間で交わされる激戦の中、信は廉頗四天王・輪虎を討ち取り、戦功第三位の大功を挙げる。 ついに相対した総大将同士の一騎討ちの中、蒙驁は六将と三大天の時代の終焉を廉頗に告げる。 自らの存命を理由にそれを否定する廉頗であったが、輪虎を討ち取った信から王騎の最期を聴き時代の流れを悟る。 敗北を認めた廉頗は信に六将と三大天の伝説を塗り替える唯一の方法を教え、堂々と去って行った。 幕間(23巻 - 24巻) 先の戦功により千人隊に昇格した飛信隊であったが、軍略の要たる羌瘣の不在で苦戦を続け再降格の危機に陥るも、河了貂の加入により救われる。 秦の山陽奪取により生まれた新たな情勢に対し、李牧はある決意を固め動き出す。 25 - 40巻 合従軍侵攻 - (25巻 - 30巻) 、突如六国から同時侵攻を受け、自国城塞を次々と失陥するという凶報が秦国都「」へもたらされた。 秦の本営に立て直す間も与えぬ破壊力を示し、かつ進撃を止めぬ侵攻軍。 これこそ、李牧が画策し、発動させた多国籍連合「」であった。 たった一国で六国全部を迎え撃つために、秦国の本営は防衛線を一切放棄、国門「」での集中防衛に国運を賭けた。 開戦初日には信が趙軍の万極を、騰が軍の臨武君をそれぞれ討ち取る活躍を見せた。 2日目に楚軍の将軍である媧燐による献策により、主力を温存し消耗戦による秦軍の疲弊を狙い、全軍総攻撃を仕掛け函谷関を落とす策を行い、15日目に全軍による総攻撃が行われた。 各所で行われた死闘によって、秦軍大将軍のが韓軍による毒兵器によって瀕死の状態になるも、桓騎軍ら共に僅かな軍勢を引き連れ、韓軍本陣を奇襲し韓国大将軍・成恢を討ち取るとその後に死去した。 一方楚軍と対峙していた・蒙武連合軍は激しい戦いの末、蒙武がを討ち取り、そのままの勢いで汗明軍を半壊させる活躍を見せたが、媧燐の二重三重に張り巡らせた策により、函谷関が開門寸前にまで陥るも、王翦の活躍により函谷関を守り切ることに成功した。 合従軍侵攻 - (31巻 - 33巻) 北門の函谷関では秦軍の奮戦もあって凌ぎきるも、南門の武関から咸陽に至る道沿いの城が次々と陥落するという不測の事態が発生。 この軍の正体は国都・咸陽を陥落させるべく電撃戦を開始した、李牧が自ら率いる別働軍であった。 この動きを察知した麃公軍の猛追が間に合うも、龐煖との一騎討ちの末に麃公を討たれ、飛信隊も敗走。 その頃、呂不韋が不穏な画策をするなど内外から危機の迫る咸陽を、国を守る最後の拠点「蕞」を防衛すべく、政は自ら出陣する。 蕞に辿り着いた信達敗残軍は政達と合流。 政は蕞の住民達を奮い立たせて皆兵とし、李牧軍と激しい攻防戦を繰り広げる。 奮闘空しく城門が突破されるが、そこに密かに救援を要請した楊端和ら「山の民」が現れ形勢逆転し、信は龐煖と対峙し死闘の末彼を撃退し李牧軍を撤退させて蕞を守り抜いた。 李牧はこの敗北が決定的となり、合従軍総撤退を余儀なくされる。 幕間(33 - 34巻) 合従軍に辛勝し、亡国の危機を脱した秦国では戦災復興と国境防備の再編に忙殺。 一方、列国でも李牧や春申君ら合従軍を主導した要人らが遠征失敗の責により左遷され、国体の変化を遂げつつあった。 その頃、飛信隊を離脱して久しい羌瘣は、仇敵・幽連の居所を突き止め、決戦の地へ乗り込む。 幽連含む幽族に羌瘣は襲われ、大いに苦戦するも飛信隊の繋がりが彼女の力となり敵討ちに成功し、羌瘣は再び飛信隊へと戻った。 に蒙驁が危篤状態となる。 駆けつけた信と蒙恬らに自身の半生を語り、彼らに激励の言葉を送り、そのまま死去した。 編(34 - 35巻) 、合従軍以来、久しく無かった敵国侵攻を退けた屯留から、突如「王弟謀反」の凶報が咸陽にもたらされた。 自ら立ち上がったの人間的成長を認める政としてはにわかに信じがたく、政陣営の予想通り、王弟謀反は呂不韋と屯留代官・蒲鶮の策謀によるものだった。 この事態を解決すべく飛信隊と壁軍が成蟜救出の命を受け出陣、屯留を奪還するも一歩間に合わず成蟜は信に政を託し落命。 著雍攻略編(36巻 - 37巻) 戦災復興と防備の再編を経て、再び攻勢に移った秦国は、山陽に続く魏国の「著雍」奪取に狙いを定めた。 騰へその任が下ると、独立遊軍の玉鳳隊と飛信隊へも増援招集がかかった。 しかし、ただでさえ堅固な「著雍」防衛網に、呉鳳明を急遽呼び寄せてまで要衝の防衛強化に努める魏軍に苦戦。 そこで北方の王翦軍に増援を求めようとしようにも、王翦軍と対峙中の趙軍まで招き入れてしまう懸念から、現有戦力だけでの継戦を騰は決断。 王賁の献策で三方から一斉に攻め込む秦軍だが、その魏陣営には、かつての秦国六将や趙国三大天と並びうる魏国大将軍「魏火龍七師」の旗が翻っていた。 大いに苦戦を強いられるも玉鳳隊と飛信隊の奮戦により魏火龍三将のうち二将を討ち、「著雍」奪取に成功。 信と王賁は大功により五千人将に、羌瘣は三千人将に昇進。 嬴政加冠編 - 嫪毐の乱(37巻 - 40巻) 奪取した著雍を、山陽と並ぶ不退転の要地として要塞化するのに莫大な資金を必要とする難題は、に隠棲していたはずのが後宮による負担を突如申し出てきたことで解決を見出した。 ただし、その見返りに北の辺地「太原」での暮らしと、その地方長官へ有能なる宦官・を据えろとの要求を、大王派ばかりか相国派でさえも呑むこととなった。 ところがやがて千・万規模で守備兵を引き抜かれた著雍では、魏軍の襲来対応に忙殺される。 引き抜かれた守備兵たちの転出先は北の辺地「太原」。 そればかりか「毐国」と国家を僭称した太原では、中央政府からの勧告の使者すら取り合わぬ始末。 秦内外から人や資金を続々と入手し、国家としての体裁を整えていく「毐国」への対応に手をこまねき、越年した()秦では、とうとう政が成人した。 そう、内外に向けた正式な王としての宣言であり、大王派と相国派の長きに亘る暗闘に終止符を打つ「加冠の儀」を迎える年である。 しかし、その儀式を厳かに執り行えるほど、国内情勢は穏やかではなかった。 加冠に乗じ、毐国が反乱を起こす。 しかもその乱は政を葬るため呂不韋が仕組んだものであった。 三者三様の思惑が複雑に絡み合う中、咸陽では反乱を知った飛信隊が蕞兵と共に防戦に当たる。 内では呂不韋と舌鋒を交わす政は自らの信じる道を示し、その大器を呂不韋に認めさせ、決着を咸陽の戦いに委ねる。 呂不韋一派の妨害もあり飛信隊ら防衛軍は咸陽防衛に大いに苦戦するも、呂不韋陣営を離脱した率いる援軍が敵総大将・公ワテギを討ち反乱軍は撃退。 9年におよぶ呂不韋との争いに完全勝利した。 41巻以降 新章・へ - 黒羊攻防戦(41巻 - 45巻) 長年の政争はついに決着。 ようやく国内をまとめた政はいよいよ、国家総動員で戦い抜ける限界年数の「十五年」で中華統一させる大構想を信に明かす。 最初の標的は魏国「」。 昌平君は「山の民」という切り札を早くも晒し、秦国の新たな戦略を内外に示した。 一方楚国では、との両名が立て続けに死去し、長年に渡り楚国を支えて来た両名の死により、国が大きく揺れ動く不安定な状態になってしまった。 秦国が次に攻め込む戦地の趙国「黒羊」は城が無い、大森林の中で森林にある五丘の丘を取り合うという複雑な戦場。 そこへ最後の三大天に最も近いと言われると離眼城主の知られざる名将・紀彗が立ちはだかる。 それに対し、飛信隊は己と全く異質な桓騎軍の指揮下で戦いに臨む。 地の利を生かした趙軍に苦戦を強いられるも、信は激戦の末慶舎を討ち取ったが、紀彗は慶舎の死を隠してなおも徹底抗戦をする構えを見せる。 だがその時、桓騎による非道な作戦が密かに行われる。 との会談(45巻) 桓騎によって黒羊丘を占領し、結果的に大勝利を収めた。 その戦いで慶舎を討ち取る大功を立てた信だったが、桓騎軍との刃傷沙汰で武功取り消しとなる。 その後、黒羊丘の守備を楽華隊と交代し、内地へ帰還。 そのころ、蔡沢の手引きによって王と李牧が密かに咸陽へ訪れた。 まず斉王との密談で、中華統一が空論ではない訳を問われた政は新たな統治方法を示して、斉王を感嘆させ、非公式の口約束ながら、斉王から事実上の降伏宣言を勝ち取る。 だがその後の李牧による謁見の場では「同盟」を提案されても一蹴。 それを宣戦布告と受け取った李牧は、滅ぶのは秦国だと宣言して咸陽を去る。 幕間(45巻 - 46巻) 内地へ戻った飛信隊は、三ヶ所で募兵を行う。 その過酷な入隊試験で、秦国唯一の「中華十弓」であった蒼源の子、蒼仁と蒼淡の兄弟を含めた選りすぐりの新兵千人を増員した。 編 - 出征 ~ 鄴包囲(46巻 - 48巻) を目指す秦の本営では、趙西部に複雑な防衛網の構築が続くことにより、「十五年」での中華統一は困難と判断した昌平君は、李牧を出し抜くために敢えて王都「」の喉元の「」を一気に狙う、軍の全滅もあり得る奇策を献言し、政はそれを決断。 昌平君ら本営は王翦を総大将に抜擢し、そこに楊端和が率いる「山の民」、桓騎軍を加えた三軍連合軍に加えて、飛信隊、玉鳳隊、楽華隊らを合わせた総勢20万超えの大軍を、鄴攻略に向けて派兵。 咸陽を発つ際、見送る政から長年預かってもらっていた王騎の矛を受け取ると、信はそれを携えて鄴に向けて出陣する。 趙では連合軍の出陣が解ると、李牧らは秦を迎え撃つべく準備をしている最中に、燕からオルドが率いる軍が侵攻して来た事を知り、趙は「秦」と「燕」両国の迎撃に当たる事になる。 李牧はオルド軍が「青歌」に向かっていると解ると、無名ながらも「三大天」を担う事の出来る実力があり、「三大天」の任命を断った青歌城城主・司馬尚に燕軍の迎撃を任せた。 李牧は秦軍の動向を探っていた副官・舜水樹からの情報により、秦の本当の狙いが鄴と言う事に気がつく。 飛信隊と「山の民」により趙国国門といえる列尾を半日で陥落させたが、李牧により仕掛けられた列尾の秘密に気付いた王翦は、昌平君による戦略の破綻を悟る。 王翦は密かに列尾から僅かな兵を引き連れて、鄴を自身の目で見に行く。 鄴を自身の目で見た王翦は鄴が力技では落とせないと分かると、新たに鄴を落とすための策を即興で新たに練り上げ、列尾を放棄する事で兵站を断ち、全軍で王都へ攻め込み、軍の兵糧が尽きる前に鄴を落とすことを決断。 鄴を落とすための必要な下地作りを三軍に命じて鄴を包囲した。 一方の趙では、の身勝手さで邯鄲からの援軍に頼れず、窮地の鄴を救い得る近場の城塞は「橑陽」と「閼与」の二つのみ。 李牧は舜水樹に橑陽軍を任せ、自らは閼与軍を率いて出陣。 対する王翦は鄴の包囲と橑陽軍と閼与軍以外の迎撃を桓騎軍に任せると、橑陽軍を対峙する楊端和軍へ、壁を援軍に向かわせ「山の民」らに橑陽軍を任せて、自らは李牧が指揮するであろう、閼与軍を迎撃に出た。 王翦軍に組み込まれた飛信隊・玉鳳隊・楽華隊も李牧を討つべく、朱海平原へ転進する。 鄴攻略編 - 朱海平原 ~ 犬戎族(48巻 - 51巻) 朱海平原での一日目には趙軍右翼の紀彗軍を討つべく、飛信隊は楽華隊・麻鉱軍と連携して優位に戦況を進めるが、李牧の奇襲により王翦左翼軍の指揮官・麻鉱将軍を討たれたことでたちまち劣勢に陥った。 壊滅寸前まで弱った中核の麻鉱軍を、機転で立て直させた蒙恬の手腕と戦術眼を大いに認めた王翦は、蒙恬を臨時将軍に昇格させて左翼軍大将に命じた。 一方、橑陽では楊端和率いる「山の民」と壁率いる秦軍が当初は圧倒していたが、舜水樹が到着すると、舜水樹は趙軍を橑陽城まで撤退することを決断。 橑陽城まで撤退することで、橑陽城城主・ロゾ一族が率いる異民族・族による援軍が加勢することになり、彼らによる加勢で戦は膠着状態に陥る。 朱海平原戦三日目、秦軍右翼の玉鳳隊・亜光軍への合流命令を受けた中央予備軍の飛信隊は、元趙国三大天軍「藺家十傑」の尭雲・趙峩龍らの趙軍左翼と対峙する。 彼らに加え李牧の副官・馬南慈と元慶舎の副官・岳嬰の猛攻の前に劣勢に立たされる秦軍右翼。 そこへ元々、兵糧に不安のあった秦軍では、橑陽で壁が預かる兵糧の大半を焼かれてしまう。 李牧は算出させた鄴の残りの兵糧が、秦軍よりも上回っていると判断し、長期戦に持ち込んで自壊させることを目論む。 鄴攻略編 - 橑陽攻略(51巻 - 53巻) 趙軍左翼の猛攻を何とか凌ぐ朱海平原では、九日目に尭雲と馬南慈によって王翦右翼の将軍・亜光が意識不明の重体となる。 だが、その代わりに信は仇討ちに燃える岳嬰を討ち取ることに成功する。 橑陽では兵糧が尽きかけることで楊端和は総攻撃を決断。 壁も失態を挽回するために主攻の一つを願い出る。 ロゾの息子達を討つなど攻勢だった「山の民」と壁軍だったが、舜水樹とロゾに見抜かれて、総戦力での迎撃に遭い、散り散りとなる。 楊端和は執拗に狙われる中、自らを囮とすることによって別動隊による大逆転を画策し、ロゾを壁が討ち取った。 そして残存の犬戎族を従属させた楊端和は、橑陽城を接収した。 敗北した舜水樹ら趙軍は秦軍の退路を断つべく列尾へ撤退する。 鄴攻略編 - 覚醒(53巻 - 55巻) 朱海平原では、岳嬰を討っても変わらぬ劣勢で、大将不在の状態にも関わらず本陣からの指示も無く、そのうえ兵糧まで尽きるせいで、士気も著しく低下し絶望的な状況に陥る王翦右翼軍。 万策尽きかける中、十一日目の夜に信を呼び出した王賁は、両隊を覚醒させることを訴える。 そして翌日の十二日目で、隊長からの渾身の檄に促された飛信隊・玉鳳隊は、趙軍左翼を圧倒し大きく後退させる。 この一報に、王翦の中央軍も前進を始め、朱海平原の戦況が大きく動く。 趙軍左翼も反撃を受けた十三日目には王賁が尭雲によって瀕死の状態に追い込まれる。 その夜に右翼では、状況を公転するために右翼の大将を信にする決断をした。 そのころ鄴では、鄴が包囲される前に密かに負傷した民に化けて、鄴に侵入していた王翦の兵士によって、鄴の兵糧庫が焼かれてしまい、兵糧の殆どを失ってしまう。 十四日目には右翼で信が趙峩龍を討ち取り、趙軍の左翼に大きな打撃を与えることに成功した。 一方でその夜、蒙恬の陣営では突如三大天・ 龐煖の単独夜襲を受けた。 鄴攻略編 - 朱海平原決戦(56巻 - ) 十五日目の朱海平原中央では、兵糧難を察して守備に徹することで秦軍を干上がらせる算段の李牧だったが、肝心の鄴で兵糧の殆どを焼かれた報告を受けて方針を大転換。 目前の王翦軍を撃破し、そのまま鄴を包囲している桓騎軍を四散させ鄴を開放させる必要性に迫られた李牧軍が、いよいよ王翦の本軍と会戦。 独自の戦術によって王翦軍に苦戦を強いるも、戦術の謎を解いた王翦によって互角の戦況に戻される。 その間、右翼では王賁が尭雲を討ったことで趙軍左翼を突破し、そのまま李牧軍への挟撃を仕掛けるも、趙軍も傅抵・馬南慈が王翦軍に挟撃を仕掛け、さらに蒙恬軍と紀彗軍も中央に駆け付けて激しい攻防戦となる。 飛信隊が李牧を目前にまで迫ったその時、 龐煖が立ちはだかる。 登場人物 声の項は原則としてテレビアニメ版。 第1-2シリーズと第3シリーズで演者が違うものと、VOMIC版・PSP版のものは別途記載する。 は実写映画版。 得物は漂が持っていた。 合従軍編以降は主力武器を剣から矛に変え、鄴編では王騎の矛を扱う。 大将軍を目指すで、下僕だった少年。 豪気かつ直情径行で、自分の意志を貫く頑強な心を持つ。 短気で乱雑なところがある一方で、「自分の馬を殺されても、相手を咎めず、酒を振る舞って饗した」という穆公の逸話を聞いて感動するなど、純真なところもある。 に疎い。 相手が格上でも、比例して実力を底上げする天才。 当初は武偏重の猪突猛進型であったが、幾多の助言や経験を経て「本能型の将軍」としての実力を身に付けて行く。 宮仕えした幼馴染の漂が秦王・嬴政の影武者として身代わりとなったために瀕死の状態になり夢を託され最期を看取る。 その後、漂の死の原因となった政と一悶着を起こすも叱咤され王都奪還に協力。 放たれた刺客・徐完、ムタを返り討ちにし、山民族との会談で同盟締結の一助を成す。 王都奪還戦で王宮門を開放し、竭軍将軍・左慈を討ち、さらに成蟜子飼いの護衛官・ランカイを山民族の援護もあって撃退。 これらの功績により恩賞として土地と家を与えられ下僕から平民になる。 蛇甘平原編では一兵卒として初陣を飾り、そこで出会った尾平・尾到兄弟と羌瘣と共に澤圭の伍に組まれ、千人将・縛虎申の指揮下に入る。 要所奪取と魏将軍・麻鬼討伐の功により、異例の百人将へ昇進。 刺客襲来編では肆氏の要請で政暗殺を目論む刺客と奮戦。 馬陽編では秦六将・王騎に「飛信隊」の名を貰い、彼の最期を見届けた後に矛を譲り受けた。 馬陽戦後、趙将軍・馮忌討伐を初めとした功により三百人将へ昇進。 山陽編では、臨時千人将となり山陽戦後、廉頗四天王・輪虎討伐の功により、正式に昇進。 しかし、千人隊になった後、羌瘣が一時離脱したことで弱体化し降格の危機に瀕していたが、河了貂が軍師として加わったことで改善される。 合従軍編では 麃公軍へ所属、臨時二千人将扱いとなる。 その後、秦国大将軍・麃公の最期を見届けた後に盾を託された。 叢攻防戦終盤では、趙国三大天・ 龐煖を一騎討ちの末に撃退。 合従軍戦後、趙将軍・万極討伐の功も評価され、三千人将へ昇進し、国境の防衛と復興に尽力。 王弟謀反編では四千人将に昇進。 成蟜救出の密命を受けるも間に合わず、成蟜の最後を看取り、政を託された。 著雍編では、魏軍本陣陥落のための三主攻の一つを任され、魏火龍七師・凱猛撃退と霊凰討伐の功により、五千人将に昇進。 秦国統一編では政の危機を知り、独断で兵一千を率いて咸陽攻防戦に参戦し、陽や向と麗母子を救出し、毐国将軍・樊琉期を捕縛。 黒羊編では趙将軍・慶舎を討ち取るも、同士討ちの罪で武功取り消しになった。 鄴編では出陣前に政から王騎の矛を受け取り、楊端和軍と共に列尾を陥落。 朱海平原戦では、最終的に秦軍右翼の主力となり、最終戦では大将代理となる。 列尾では王騎の矛の重さに慣れず扱いに苦労していたが、朱海平原での激しい戦いの中で王騎の矛に急激に慣れていき、右翼の戦いで九日目に趙将軍・岳嬰と十四日目に藺家十傑・趙峩龍を討ち、十五日目には中央の戦いで因縁の 龐煖を死闘の末に討ち取る。 龐煖を討った直後に力を使い果たして倒れるが、羌瘣の蘇生術によって復活する。 咸陽へ凱旋後、政から将軍になるために姓が必要だと教えられ、漂が「」の姓を与えられたことを知って自身も「李」の姓にすることにし「 李信(り しん)」と名乗ることを決めた。 また、以前から田有に頼んでいた家が、大豪邸として完成する。 そして、その後の論功行賞で二人の将軍と三大天・龐煖を討った功績でついに将軍へ昇進する。 後の始皇帝。 漂と瓜二つの容姿をしている。 幼少時代を趙で育ち、その際、趙人に憎悪の対象として虐げられていたため感覚が殆ど無く、他人を一切信用しない荒んだ性格であった。 昭王崩御後、秦への帰路で紫夏との出会いを通じて失っていた五感や人を信じる気持ちを取り戻した。 現在は冷静でを崩さないが、昌文君や信のことを信頼している。 発想が柔軟かつ大胆な賢人ながらにも長けている。 王都奪還の際、中華統一を公言、成人して正式に王となるために呂不韋陣営と政争を繰り広げる。 合従軍編では思考停止に陥る上層部を叱咤激励して戦意を復活させ、蕞攻防戦では自ら出陣、率先して鼓舞し続け、途中で重傷を負うも、秘かに援軍を要請した「山の民」の出現によって勝利を得る。 秦国統一編では、加冠の儀をやり遂げ、呂不韋との対談では中華統一の真意を語って呂不韋を感嘆させた。 そして、咸陽での勝利で遂に呂不韋との長年の政争に勝利。 黒羊戦後、斉王・王建王との会談で斉王を感嘆させ、非公式に斉の事実上の降伏を勝ち取った。 山民族の一つ梟鳴(きゅうめい)族の末裔。 鳥頭の蓑を被っており、初見は困惑されることが多い。 得物はの戦士ムタから譲り受けた。 当初は金のため政と信に協力していたが、共に行動するうちに仲間となる。 やや幼い容姿と男勝りな性格、さらに着ている蓑のために登場時は性別不明であった。 王都奪還編の時に女性と明らかになるが、信は千人将になるまで気づいていなかった。 幼くして天涯孤独になって以降、生き抜くために様々な知識や技能を身につけており、字を読むことも出来、史についても学んでいる。 特に料理の腕前は一級品。 王都奪還後は信と共に暮らしていたが、刺客襲来編で急激に力をつけていく信や同性の羌 瘣の姿を見て、として力になることを決意。 昌平君の下で蒙毅と共に兵法を学び、山陽編後に飛信隊の軍師として配属。 魏の間永軍に苦戦する飛信隊を魏軍師・氷鬼を上回る戦略で勝利に導き、以後は飛信隊の軍師として活躍する。 その一方で蕞攻防戦で旧知のカイネを思わず助けたりするなど、非情に徹しきれない一面がある。 著雍編では、初日に荀早隊に囚われる失態を犯す。 その夜、凱孟からの問いに臆せず素直に胸の内を語ったことで、それ以降は粗略にされず、翌日の人質交換で飛信隊に生還し、勝利に貢献。 この経験が信への想いを明確にした。 秦国統一編では加冠の儀での危機を知り、政に伝えた後に飛信隊一千と共に咸陽に駆けつけ、昌平君の策を完成させるための援護をし勝利に貢献。 黒羊編では二日目に丘右側を奪取するために奇策を立て、丘右側を奪取に成功。 鄴編では、朱海平原戦後半で秦軍右翼全軍の軍師を担い、最終決戦では金毛軍の奇襲を受け討たれ掛けるも、蒼兄弟に救われる。 伝説の刺客一族「」の後継候補として育てられた羌族の少女。 年齢は信の一つ下。 緑穂(りょくすい)という剣を武器に戦う。 蛇甘平原編で信と出会い同じ伍となる。 信達に戦車対策の助言をしたり、澤圭達の援護をしていた。 刺客襲来編では一度信と敵対するも呉越同舟で共に刺客を撃退、馬陽編で百人隊として結成された飛信隊副長となり参謀としても支えていく。 当初は他人との慣れ合いを嫌っていたが、徐々に周囲に心を開くようになり、飛信隊を自分の居場所だと思うようになる。 しかし、自分の道はあくまで復讐の先にあるという思いから、山陽編後に出奔を決意。 この時、女であることを飛信隊に知られる。 飛信隊を出奔後、合従軍戦後に趙の老山で幽連と遭遇。 窮地に追い込まれるも復讐を果たし、飛信隊出奔後392日目に帰途に付いた。 帰還した後、帰還前に立てた二つの目標の一つである大将軍になるという願いを叶えるために武功を重ね、王弟反乱編では既に千人将に昇進。 さらに対騎馬戦術「剛力」 を考案する。 著雍編では、本陣陥落の功により三千人将に昇進。 黒羊編では趙将軍・劉冬を討ち取るも、混達を虐殺されたことに激高して味方の桓騎兵を殺傷した罪で信共々武功帳消しになる。 鄴編では、朱海平原戦で獅子奮迅の活躍により幾度も飛信隊の窮地を救い、重傷を負った王賁の治療を担った。 十五日目には 龐煖と対峙し、善戦するが撃退されて左足首を折られる重傷を負う。 そして、倒れた信を復活させるべく、蚩尤に伝わる禁術である蘇生術を行う。 精神世界で羌象と幽連の魂に自分の命を懸ける覚悟を見せ、何もかも忘れて天に上ろうとする信を必死に止めて全てを思い出させて、信の復活に成功する。 信を現実世界に送り、自分はそのまま力尽きようとするが、松左と去亥の魂によって現実世界への穴に送られて、羌象と会話した後に現実世界で目覚める。 戦後、五千人将に昇進。 信に対して全面的に信頼し、気遣ったりしている場面がよく見られる。 特に、秦趙同盟の席にて舞妓に鼻の下を伸ばす信を蹴ったり、河了貂と二人きりになろうとする信に疎外感を覚えたりと、恋愛感情を持っているようにも見える。 後に飛信隊への帰還前に立てた二つの目標の一つである信の子を産むという願いにその想いが反映されていたが、河了貂から子作りについての詳細を聞かされたことで、しばらく信を避けていた。 王族は崇高な存在であるという考えから、自らの血筋に誇りを持ち、臣下を道具の如く扱う暴虐な性格。 平民の血を引くという理由から政を憎み、王位を奪うため竭氏と組んでクーデターを起こすも失敗。 軟禁されていたが、政によって一派共々解放され、見返りに協力を行う。 合従軍編では、出陣する政に王宮を任され呂不韋を監視。 この一件も含め兄を認められるようになり、信が感嘆するほど人間的にも大きく成長する。 始皇八年に支持基盤である屯留を侵攻されるも、自ら出征して趙軍を一時的に撃退。 ところが屯留代官・蒲鶮に拘束された上に、軍の首謀者に仕立て上げられてしまう。 しかし、中央からの鎮圧軍との戦闘の最中に幽閉先から脱出。 瑠衣の救出に向かうも、遭遇した蒲鶮兵との交戦で重傷を負うも自ら蒲鶮を討ち取り、駆け付けた信に政を託し、瑠衣に一派の取りまとめを頼み息を引き取った。 瑠衣(るい) 成 蟜の正室で、秦国公女。 北東の大都市・屯留出身。 嬴政との関係は疎遠ではないが、当初はよく思っていなかった。 始皇八年、趙軍を撃退した成蟜軍が蒲鶮によって反乱軍に仕立て上げられ、自身も幽閉されていた。 鎮圧軍との戦闘中に成蟜に助け出されると、末期の夫から一派の取りまとめを託され、呂不韋打倒を誓った。 秦国統一編では、政の加冠の儀に列席し、政と呂不韋の対談にも立ち会い、政の語る中華統一の真意に涙した。 麗(れい) 始皇七年に、嬴政と向の間に生まれた娘。 扶蘇の異母妹。 秦国統一編では、樊琉期に命を狙われるが、飛信隊に救われた。 (ふそ) 嬴政と妃との間に生まれた息子で、秦国太子。 秦国統一編では、樊於期に命を狙われるが、昌平君が手配した近衛兵に救われた。 (ぼくこう) 秦国第九代目秦王。 政と成 蟜の先祖。 愛馬を殺されたにも関わらず、山の民に馬肉に合う酒を振る舞う粋なところを見せた。 こうして結ばれた交流は一代限りで途絶えたが、その威徳は未だに忘れ去られてはおらず、穆公の離宮を整備し続けた程である。 (しょうおう) 声 - 国第二十八代目秦王。 政と成 蟜の曽祖父。 在位五十五年の大半を戦に費やし、戦神と呼ばれ、秦国中の武人に慕われた。 晩年には、目元を隠す仮面のようなものを付けていた。 (そうじょうおう) 秦国第三十代目秦王。 政と成 蟜の父。 呂不韋の力で秦王となるも、操り人形同然だった。 郭景(かく けい) の甥。 と摎の従兄弟。 嫪毐の反乱時に、樊琉期に殺害された。 秦の王宮内を竭氏と二分し、権力争いを繰り広げる。 昌平君からは、・に比肩する偉人と評されている。 王弟反乱鎮圧後は、政に代わって政治を執り行っている。 後に、丞相よりさらに上のという地位に就く。 合従軍編後、大王派に勢力争いで押されるも再び逆転。 始皇八年には謀略で成蟜を葬り、さらに著雍攻略編から二ヶ月以上後に、食客に編纂させていた一大書物『』が完成し公開。 秦国統一編では、毐国の乱を利用して秦国新王になろうと企む。 政との対談では、自身の「中華の統治」の持論を語った。 そして、政の語る中華統一の真意を聞いた直後に政の成長に思わず涙ぐんだ。 そして、咸陽からの知らせで政との長年の政争に敗れたことを受け入れ、その後は罪状について審議中であるため、監視付きではあるが咸陽を自由に出歩きしていた。 始皇十年には、相国を罷免され所領での隠居を命じられた。 呂不韋打倒を目論む野心家であり、王位を奪った後の国政委任を約束した成 蟜と共に謀反を起こした。 その後、山の民が咸陽に現れた際、山の民の戦力の欲しさと盟を結びたいという言葉を信じたせいで山の民に紛れた政一派の咸陽侵入を許してしまう。 本殿での戦いでランカイが敗れたため成 蟜を見捨てて逃げ出すも騰に阻まれた上、河了貂の吹き矢を受けて怯んだところをバジオウとシュンメンに討たれ死亡した。 蒲鶮(ほ かく) 屯留代官。 騒動前年から屯留に現れた新参者のようで成 蟜はおろか瑠衣ですらその存在を知らなかったが、治政能力はあったようで城主である瑠衣の曾祖母からは信任を得ていた。 しかし裏で呂不韋と通じており、始皇八年に成蟜軍が趙軍を撃退した前後に瑠衣を拘束した上に、城内で成蟜を拘束した。 そして成蟜を首謀者に仕立て上げて、屯留の反乱を引き起こした。 本来の計画では、鎮圧軍が屯留城内に侵入した時点で成蟜の首を刎ねて差し出し、褒美として瑠衣と屯留を手中に収める予定だったが、成蟜に脱獄されて真相露見の危機に陥る。 兵と城内を追うも、待ち構えていた成蟜に斬殺された。 翡翠(ひ すい) 景城城主の娘で、容姿端麗で聡明な美女。 父の死後、権限を氷雷に乗っ取られ策略で蝸牛と結婚させられそうになる。 前日に出会った信に諦観と本音を涙ながらにぶつけると信に救出を約束され、信の過去を知ったことで如何なる状況でも諦めない精神力を手に入れた。 別れ際に信への想いを心中に隠そうとしたが、信の方から再会を約束されたことで、その日を楽しみに景城城主として堅実に統治する。 氷雷(ひょう らい) 景城代官。 翡翠の父である城主の死後、権力を手中に収めて景城を牛耳っていた。 翡翠を追い出すために魏と取引して政略結婚させようとしたが、魏将軍・蝸牛に裏切られ一族ごと根絶やしにされた。 周囲に高く評価される熟練の将軍。 武勇に優れ投槍術に長ける。 王都奪還編後は文官として自らの派閥を秦王派として立ち上げる。 王都奪還の際に無力であった己を恥じ、文官の極みであるを目指すことを誓い、呂不韋の昇格に伴い、左丞相となった。 合従軍編終盤の蕞攻防戦では、政に同行し参戦。 秦国統一編では、加冠の儀に列席し、儀式後に昌平君と共に兵一千を率いて、咸陽攻防戦に参戦。 得物は剣で、後に矛に変更。 名家出身だが生真面目で気取らない性格で信の兄貴分。 基本戦術を得意とするが、奇策や奇襲と言った戦法には対応が遅れがちになることが多い。 漂の死に最も悲しみの態度を見せた人物であり、信に漂と別れた時の振る舞いを語っていた。 「山の民」の元に訪れた際、楊端和に一目惚れする。 王都奪還編では別働隊に参加、宮中の秘密通路を通って王弟たちの元へと向かうが、その途中で待ち構えた左慈と遭遇。 一太刀を浴びせるものの重傷を負わされるが生還。 この際力不足を実感し、より力をつけを目指すことを誓う。 蛇甘平原編で千人将として登場。 山陽編においては王翦軍に配属される。 千人将として基本戦術を習得し、地形を利用して優勢な敵相手に踏みとどまるなど成長が見られた。 合従軍編では三千人将に昇進し、蕞攻防戦では麃公軍の残兵を指揮していた。 王弟謀反編では将軍に昇進、屯留の反乱軍の鎮圧軍総大将に任命された。 飛信隊と合流後、成蟜救出を託して鎮圧に専念し反乱軍将軍・龍羽を討ち取る。 秦国統一編では加冠の儀に列席し、終了後に昌文君と共に咸陽攻防戦に参戦。 鄴編では、三軍連合軍の一員として参戦。 鄴を兵糧攻め後一万の軍を率いて山民族軍の援護に向かった橑陽戦の二日目に預かっていた全兵糧の半分を焼き払われる失態を犯すが、九日目の決戦では犬戎王・ロゾを討ち取った。 当初の構想では成蟜反乱時に戦死する予定だったが、史記文中の「壁死」の意味に別解釈(壁=城内にて将軍が死んだ)が出たため生き残ることになったと、コミックス35巻末あとがきで語られている。 肆(し)氏 声 - (第1-2シリーズ) 演 - 政傘下家臣。 文官としての能力なら昌文君より上。 元は竭氏筆頭家臣で、反乱の総指揮を執っていたが敗れ鎮圧後、反逆罪を不問とされ一部の竭氏残党を任される。 竭氏にいたころから政を高く評価しており、自身を登用してくれた恩から尽力して働く。 刺客襲来編では、信を護衛に呼び寄せて暗殺阻止に貢献。 後に才能を認められて、政の側近の一人として信任を得る。 信とは同じ下僕の。 共に大将軍になることを夢見て、武芸の稽古に明け暮れた。 政と瓜二つの容姿により、昌文君に身請けされ王宮にとして仕官。 王弟反乱の際、重傷の身を押して村へと戻り、信に全てを託して力尽き死亡した。 壁曰く、初陣ながらも影武者としての役割を全うし、窮地に陥りながらも兵を鼓舞し、戦う姿は既に将であったという。 葬儀の際には、隣村から弔問する者がいるほど様々な人に慕われていた。 羌瘣の蘇生術による生と死の狭間の世界では、役割を制限された魂の状態で信と再会し、信と昔話をしながらあの世への入り口である朱い階段へと到着するが、直前で信が羌瘣によって大将軍になる夢を思い出したことで現実世界への穴が出現し、羌瘣に礼を告げながらあの世へ戻った。 影武者として仕えることで姓を与えられた際、姓を思案している時に政が「李(すもも)」を食べていたのを目にしたことで「李(り)」と決め、「 李漂(り ひょう)」と名乗った。 そのことを政が信に話したことで、信が「李信」と名乗ることとなる。 武明(ぶ めい) 政傘下家臣。 政の護衛を務める槍の達人。 合従軍編で、蕞攻防戦に参戦。 信の政に対する態度に、内心では激怒していた。 蕞攻防戦五日目で矢を受け、怯んだ所を斬られ戦死。 政が邯鄲にいた際、その脱出の手引きをするため、紫夏に協力を要請。 脱出戦の際に死亡。 「法の番人」の異名を持つ。 秦国統一編では、呂不韋を王位につけるために咸陽の守備兵を少なくするという暗躍を行ったことで、咸陽攻防戦後に入牢。 しかし翌年に、その存在が不可欠と判断した昌文君の懇願により復帰し、政の側近に加わる。 確実さを重視する生真面目な性格のため、呂不韋の考えを理解出来ず振り回されることが多かった。 秦国軍総司令官兼右丞相。 得物は矛。 蒙武とは幼馴染で親友。 軍略家だが、戦場では先陣を切る文武両道の名将。 幼少期は蒙武よりも強く、側近の介億曰く「誇張すれば武力は蒙武級、誇張無しに頭脳は李牧級」 山陽編、合従軍編でそれぞれ戦略を完成させ、さらに蕞に迫る李牧軍撃退のため尽力。 秦国統一編では、加冠の儀の前に飛信隊に暗号文を送り危機を伝え、咸陽には麾下軍を配置し、加冠の儀が終了した直後に呂不韋陣営から離反。 兵一千を率いて咸陽に駆け付け、毐国将軍・ワテギを討ち取り勝利。 始皇十年に李斯復帰直後に、政に鄴攻略を進言する。 時代の丞相であり、秦国筆頭外交官として各国の交渉を担当。 「強者にのみ仕える」という考え方を持っている。 「剛成君」という称号で呼ばれることもある。 合従軍編では斉王に謁見し、斉の合従軍離脱を成功させた。 始皇十年、容態が悪い中で斉王と李牧を咸陽まで招き、政と斉王の会談を実現させ自身も同席した。 そして、中華統一後の統治のあり方を問う斉王に対して政が話した「法治国家」という答えに満足し、李牧との会談に向かう政を見送り激励した後、眠るように息を引き取った。 蒙武 呂不韋四柱の一人。 秦国軍 秦国大将軍 (もう ごう) 声 - 秦国筆頭大将軍。 「白老」の異名を持つ。 蒙武の父にして、蒙恬・蒙毅の祖父。 得物は矛。 元々は出身。 伍長から昇進を重ねてきた歴戦の将であったが、廉頗によって幾度も敗北させられたことから故郷での出世の道を諦め、蒙武と共に秦へ移住。 自ら前線で武勇を示すのではなく本陣で全体の指揮を執り、不利な戦況でも柔和な笑みを崩さずどっしりと構えている。 攻城戦を得意とし、戦闘で負傷した部隊への見舞いや兵卒に対しても親愛のこもった檄を飛ばすなど、末端への配慮も欠かさない。 六大将軍のことは偉大さゆえに嫌っていた反面、憧れ尊敬してもいた。 周囲から凡将との評価に反し、人材登用においては中華一と評される。 考えに行き詰まると一兵卒に変装し、自軍陣営内を徘徊する癖がある。 山陽編において、因縁の相手である旧趙国三大天・廉頗と四十年ぶりに対決。 一兵卒に扮して徘徊していた時に邂逅した信との会話で当初の弱腰を払拭し、廉頗のためだけに四十年間練り上げた秘策で迎え撃つ。 廉頗からも高く評されるが突破され、本陣に迫られる。 そこで挑んだ一騎討ちでは廉頗を馬ごと弾き飛ばす怪力で善戦するも左腕を失う。 しかし、桓騎による魏軍本陣を陥落の報に廉頗が降参したことで、目的であった山陽攻略に成功。 戦争終結後、この時の負傷から事実上は引退状態にあるとされたが、合従軍編において国門の守将を任され死守した。 始皇七年に危篤状態となり、信と蒙恬が駆け付けた際に一時意識が戻り、王賁と三人で高みへ登れと二人を激励して死去。 (ひょうこう) 声 - 秦国大将軍。 大きく見開いた目と、鋸の歯のようなギザギザの歯が特徴の巨漢。 敵軍に突撃する際は棘をあしらった仮面と盾を装備し、矛を振う。 昭王も認める六将級の猛将だが、王からの招聘を無視して長年前線を拠点としていたことから、中央での知名度は低かった。 戦を「燃え盛る大炎」という独特の感性で表し、戦の局面が動く時と判断した際の決断は大胆で、戦が最高潮に達した時は、自ら出陣して敵総大将の首を狙うといった独特な戦い方をする。 言わば知略や軍略よりも本能で戦う武将で、李牧・王翦が「本能型の極致」と称賛するほどであった。 蛇甘平原編では滎陽攻略のため出陣し、蛇甘平原で魏軍と対峙。 信達の奮戦で大炎を感じ取ると自ら出撃。 魏将軍・朱鬼を瞬殺し、魏火龍七師・呉慶を一騎討ちの末に討つも、自軍の損害を省みて帰国。 合従軍編では、侵攻する魏軍を足止めするため交戦するも、魏国大将軍・呉鳳明が仕掛けた罠を察して撤退。 その際、援軍に現れた飛信隊を指揮下に加える。 函谷関攻防戦では、序盤に趙軍と相対し、三倍もの兵力差を物ともせず互角に渡り合う。 初日の夜に信を臨時の二千人将に任命する。 終盤には李牧軍の暗躍を察知して猛追。 新趙国三大天・李牧の迎撃策を看破して本陣へ迫るも、出現した新趙国三大天・龐煖との一騎討ちで、片腕を折るも敗死。 死の間際、加勢しようとする信へ盾を投げ渡して自分に構わず咸陽へ行くよう命じ、「火を絶やすでないぞォ」と言い遺した。 (ちょう とう) 声 - 秦軍大将軍。 十五歳で初陣して以来五十年間、戦歴を重ねた老将。 得物は矛。 しかし昭王時代には六大将軍の影に隠れており、それ故に彼らを嫌っていた。 性格は頑固そのもので、秦国軍人であることを誇りに思っている。 反目する桓騎の才能だけは認めている。 合従軍編で咸陽に招集され、函谷関の守将の一人になる。 だが韓軍の毒兵器により余命を悟ると、桓騎軍と共に韓軍を襲撃して韓国大将軍・成恢を討ち取った。 桓騎には「秦国一の武将となれ」と言い残して力尽き、死亡した。 蒙驁の子であり蒙恬・蒙毅の父。 得物は大。 戦闘方法は、己の武力を筆頭に士気を高めた兵で一気に押し潰す、軍師泣かせの力技。 列国からは猪突猛進という評価を受けているが、兵の士気を上げるために戦を使って練兵をする等、軍への理解は深い。 馬陽編では、秦軍副将となる。 序盤こそ武力で勢いに乗るが、終盤では趙荘の策によって壊滅寸前の窮地に陥る。 その後、王騎を戦場から離脱させるために突破口を開き、王騎から秦軍の顔になるべき一人とこれからのことを託される。 合従軍編では、騰軍と共に楚軍を担当。 15日目に楚国大将軍・汗明を一騎討ちの末に討ち取って汗明軍に再起不能の打撃を与えたばかりか、撤退する合従軍を猛追してさらに打撃を与えた。 その後の論功行賞では、第一功として大将軍に任命された。 毐国建国宣言後、秦国に侵攻してきた楚軍を蒙恬と共に迎撃した。 (とう) 声 - 演 - 王騎傘下筆頭将軍。 常に王騎の傍に控えており、普段は飄々としてポーカーフェイスを崩さない御茶目な紳士だが、実力は王騎からは「私に見劣りしない」評価しており、呉鳳明がその実績と経験から秦国の武将の中で1番警戒している程。 王騎へ答える時は、「ハ。 片手に持った剣を高速回転させ、撫で斬りにする。 その際、「ファルファルファル」という独特の擬音が出る。 馬陽編では、終盤で趙軍本陣に突撃して趙将軍・趙荘を討ち取り、その後で王騎から王騎軍の全てを託された。 合従軍編では、七将の一人として蒙武軍と共に楚軍と対峙。 初日楚将軍・臨武君を一騎討ちで討ち取り、その後は媧燐軍と激闘を繰り広げた。 著雍編では、秦軍のさらなる強化を見据え、信と王賁に主攻を託し、攻略に成功。 この功により、秦国第二位の大将軍に任命された。 鄴編では、鄴陥落後に魏の前線から北上し、趙軍に塞がれていた列尾を落とすべく向かうも、敵が撤退したことで難なく制圧する。 山民族からは「山界の死王」と呼ばれる美女。 女性ながらその武力は山界一とされ、自ら先頭に立って統合していった。 幼少より世界を広げたいと考えており、かつてない国の広がりを求めて、政と強固な盟を結び王都奪還に力を貸した。 奪還後も戦に明け暮れ、さらに北の討伐のため大軍を引き連れて北上中、匈奴軍十万以上が屍となっている光景を目の当たりにし、その事態からそれを成した人物への注意を政に伝えた。 合従軍編ではバンコ族と戦っていたが、窮地の秦国を救うべくそれまでの全ての戦績と犠牲を投げ打って蕞攻防戦に援軍として参戦。 その功績で秦の大上造(大将軍)の爵位を貰い、嫪毐処刑後にの衍氏を攻略した。 鄴編では、三軍連合軍の一角として参戦。 飛信隊と共に列尾を陥とす。 さらに橑陽で対峙した犬戎将軍・ゴバを討ち取ると、自らを囮に敵を引き付ける間に橑陽城を陥落させ、犬戎族を配下にした。 得物は大矛。 かつて昌文君と共に昭王に仕え、中華全土から讃えられた武人。 本家の王翦らと違い、分家の出。 ありとあらゆる戦場にどこからともなく参戦し、その武で猛威を振るったことからついた異名が「秦の怪鳥」。 個人的武勇と戦場全体を見渡せる知略の双方を兼ね備える、最強の六大将軍。 またの出生の秘密を知る一人であり、想われ人でもあった。 昭王に心酔し、その亡き後は一線を退いていたが、気まぐれで竭氏陣営に付き昌文君と争うが昌文君から政の評価を聞き竭氏陣営にいながら秦王派を援護する行動に出る。 王都奪還戦では終盤に兵を率いて登場し竭軍将軍・魏興を討ち戦いを止めて政と問答し、未熟と一蹴しつつ彼を認める。 蛇甘平原編では、魏国に亡命した廉頗を見舞いに行く途中で通り掛かり、あくまで丘に登りたいという名目で魏軍を一蹴しそこで邂逅した信に大将軍が如何なる存在かを示唆した。 呉慶戦死後、魏将軍・白亀西の前に立ちはだかり撤退させた。 馬陽編にて突如として復帰し、蒙武を退けて秦軍総大将となる。 序盤は趙軍を圧倒し趙将軍・渉孟を討ち取るが、深追いし過ぎた蒙武の救援に向かったところを趙本軍とその伏兵との挟み撃ちに遭う。 そして、ほぼ互角だった 龐煖との一騎討ちにて、止めの一撃を加える好機を得るも中華十弓・魏加から不意に狙撃されたために 龐煖の矛に胸を貫かれた。 その後、重傷を負いながらも包囲を突破し、騰や蒙武、信に言葉を残し、最後に信に矛を託して力尽き死亡した。 出陣直前に政を仕えるべき主と認め、昭王に託されていた遺言を伝えていた。 (はく き) 秦国六大将軍筆頭。 せり出した両目が常に血走っている、特異な容貌で描かれる。 得物は大矛。 危険を冒さず、相手がムキになるほど力を抜いて勢いをかわす戦い方をし、廉頗から「六大将軍の中でも最もやりづらい」「正真正銘の怪物」と評される。 において秦軍総大将を務め、投降した趙兵四十万人を全員生き埋めにするという無慈悲な決断を下した。 (きょう) 声 - 秦国六大将軍の一人。 六将の中で最も謎に包まれている人物。 得物は長剣。 六将最年少にして、苛烈さは六将一と言われており、かつて戦ったことのある廉頗も笑いながら殊更酷いと思い返す程。 その正体は、昭王の実の娘。 昭王の子ながら生母の身分が低く、暗殺を危惧した母親によって王騎の屋敷に引き取られた。 政と成蟜にとっては大叔母にあたる。 母親はその後焼身自殺し、あたかも娘と共に心中あるいは権力争いによって殺害されたかのように見せかけ、娘を守った。 本人はその事実を知らず召使いとして育てられ、同時に王騎を間近で見てきたことにより武人へと成長。 戦場へ出るより前の幼いころに王騎と「将軍になって城を百個とったら妻にしてください」という約束をしており、そのために召使いという身分であったが、王騎の側近として幾度も戦場へ出ていた。 その後、昭王との対面で互いに親子であることを感じ取るが、公に出来ず暗黙の了解となる。 このころより、素性を探られることを防ぐために顔の上半分を覆う兜を付けるようになった。 それから戦果を挙げ続け、将軍となりさらに戦の才能を開花させ、六人目の大将軍に任命された。 その後、馬陽を攻略中に突如現れた 龐煖との戦闘で落命。 皮肉にも馬陽が約束の百個目の城であった。 この事実が与える影響が大きいと判断した王騎と昌文君によって、病死したことになっていた。 (おう こつ) 秦国六大将軍の一人。 長く伸ばした鬚髯と、顔を斜めに走る傷が特徴。 六将随一の怪力豪将と呼ばれ、得物は長柄大斧。 かつて人知れず楚へ侵攻した際、汗明との一騎討ちに敗れて撤退していると汗明は語ったが、真偽は不明。 (こ しょう) 秦国六大将軍の一人。 六大将軍唯一の軍師出身。 自由に戦っていたという六将も、実際には胡傷が戦略の大枠を作り、皆がそれに従っていたと言われている。 昌平君の師でもあり、王翦を高く評価していた。 (しば さく) 秦国六大将軍の一人。 秦国軍人 信軍(飛信隊) 渕(えん) 声 - 飛信隊副長兼千人将。 得物は槍。 元々は壁と信の連絡役であったが信に同行した結果、なし崩し的に王騎からの修行に付き合わされ、そのまま副長となる。 隊における現場の支援兼纏め役。 「集」の基本的な戦い方を把握しており、特出した武力や知力は無く目立った活躍が描かれることは少ないが、誰よりも責任感が強く飛信隊にとって重要な存在。 黒羊編では、二日目に決死の激流の渡河に成功し、奇襲して馬呈軍を退ける功を立てた。 鄴編の朱海平原決戦では将として自覚が強くなっており、鼓舞により士気を保たせている。 元郭備隊所属。 左眼を縦断する傷がある武人。 得物は矛。 郭備隊の副長だったが、山陽編で郭備が輪虎に暗殺されたことにより部下共々急造千人隊の飛信隊へ転属し、仇の輪虎を討つことを目指す。 終盤、輪虎と一騎打ち中の信を狙おうとした魏将軍・魏良を阻んで討つ。 その際、目の前にいた輪虎に思わず斬り掛かろうとして返り討ちに遭うが、一命を取り留める。 その後、正規千人隊となった飛信隊の補給を一任。 河了貂が加入した後は主力の騎兵隊を率いて戦う。 岳雷(がく らい) 飛信隊千人将。 「黒飛 麃」隊指揮官。 元 麃公軍所属。 得物は矛。 無骨な性格で、信を嫌う旨 の発言もあるが、その実力は認めている。 乱戦特化兵「飛 麃」の指揮官として猛威を振るう。 かつて蒼源に窮地を救われたことがあり、息子の蒼兄弟が飛信隊への入隊試験を受けた際に、蒼兄弟が知らなかった蒼源の活躍を彼らに教え、間接的ではあるが自分が蒼源の死の遠因を作ったと彼らに詫びた。 信が将軍になると、二つに分かれた「飛 麃」の内の「黒飛 麃」隊指揮官に就任。 我呂(が ろ) 飛信隊千人将。 「赤飛 麃」隊指揮官。 元麃公軍所属。 得物は矛。 やや軽い性格で気が強く毒舌だが、実力は確かで常に前線に立つ。 作戦会議でもよく口を出し茶々を入れるが、筋が通ったことには義理を尽くす。 「飛 麃」の一員として岳雷とともに行動している。 朱海平原戦の十五日目には、「十槍」の三番槍・平秀に圧倒されるが、蒼仁の矢を右腕に受けて怯んだ平秀の一瞬の隙を突いて討ち取った。 信が将軍になると、千人将に昇進し、二つに分かれた「飛 麃」の内の「赤飛 麃」隊指揮官に就任。 那貴(な き) 飛信隊千人将。 元桓騎軍所属。 得物は曲剣。 常に飄々としていて冷静沈着な性格だが、一度キレると本人曰く「雷土よりもおっかない」という。 彼を含め隊員は元野盗であることから、隠密・斥候などに長けている。 黒羊編では、桓騎軍で行なっている隊の入れ替えをするために、尾平隊の代わりに飛信隊に加わる。 初日の飛信隊の失態によって桓騎から信の右腕を持ち帰るよう言われた時は、自身が飛信隊に加わった経緯から自身の責任でもあるため自身が預かると言ったことでことなきを得て、4日目には趙将軍・慶舎を信に討たせる貢献を果たす。 戦後、飛信隊の居心地の良さに惹かれ、転属する。 鄴編の朱海平原決戦では随所で活躍を見せ、14日目には、窮地の信を羌瘣と共に助け、さらに軍を立て直す為に撤退した、趙峩龍の居場所を元野盗の経験から見つけ出し、退路を塞ぎ信に討たせる援助をした。 蛇甘平原編で、伍作りで大人気だった巨漢の大工の棟梁。 見た目通りの怪力の持ち主で、飛信隊の主力を担う。 得物は槍だったが、後に矛に変更。 当初は信のことを「騎兵殿」と呼んで実力を認め、戦後は地元で彼の武勇を語っていた。 その後、鎧を買いに地元に来ていた信と再会し、鎧を売ってくれずに困っていた彼を助けた。 飛信隊結成時に第十四伍長となり、沛浪と共に精鋭の歩兵を集めた。 飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将となる。 合従軍編では、蕞攻防戦で傅抵に重傷を負わされ一時前線を引くも、六日目に復帰。 秦国統一編では、呂不韋派の弓隊の伏兵から信を守るために矢を浴びるが、一命を取り留める。 黒羊編では、桓騎の非道な作戦で信達が騒動を起こした際、危うく桓騎兵達に処刑されそうになる。 鄴編では、千人将に昇進。 出征前から信に新たな住居の建築を頼まれており、咸陽に凱旋した時に丁度自身の組によって完成していた。 飛信隊第三位の剣士。 崇原の側近は、彼同様に皆が剣の達人。 十七歳で初陣を飾った時に、尿意を我慢していたところに奇襲を受けて小便を漏らしたことから、「小便もらしの崇原」と馬鹿にされた過去を持つ。 飛信隊結成時に、第五伍長として所属。 馬陽編で左眼を失い、三百人隊になると什長へ、黒羊編後には歩兵長に就任。 信が将軍になると、千人将へ昇進。 得物は剣だったが、後に矛に変更。 経験豊富な歴戦の兵士。 蛇甘平原編では伍長として山和、脇次、筏建、英の四人と伍を組む。 信と出会った当初は彼を見下していたが、活躍を目の当たりにして考えを改める。 飛信隊結成時に第一伍長となり、田有と共に精鋭歩兵を集めた。 飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将へ昇進。 信が将軍になると、五百人将へ昇進し、副歩兵長に就任。 強面の大男で、旧友の沛浪の誘いで飛信隊に配属。 得物は槍。 口が悪く、喧嘩っ早い。 また時に自己中心的な一面も見せるが、本質を見誤らないしっかり者。 飛信隊結成時に、第六伍長として所属。 飛信隊が三百人隊になると什長へ、信が将軍になると、五百人将へ昇進し、騎兵隊の指揮官となる。 飛信隊随一の巨漢。 得物は棍棒。 妻子持ちで、鄴編の時点で五人生まれている。 本人曰く田有の三倍の膂力の持ち主で、その膂力を生かして敵の防御陣を破壊する。 飛信隊結成時に飛信隊第十六伍長になり、飛信隊が三百人隊になると什長へ、千人隊になると百人将へと昇進。 信が将軍になると、五百人将へ昇進。 馬陽編では、趙将軍・馮忌を奇襲する際、妻子を想うあまり尻込みしていたが、信の喝を受けて決心し、突破口を開く。 合従軍編では、蕞攻防戦で傅抵に重傷を負わされるが、不意を突いて城壁から突き飛ばして落下させた。 その後、治療のため一時前線を引くが、六日目に復帰。 信が初陣で伍を組んだ時の。 得物は剣だったが、後に槍に変更。 頼りない外見と性格のせいで常に最弱の伍を率いるが、弱者なりの戦い方を熟知しており、蛇甘平原編まで彼の伍は今まで誰も死んでいなかった。 飛信隊結成時に第十一伍長になり、三百人隊になると什長に昇進。 信が将軍になると、二百人将へ昇進。 信の同郷。 出っ歯が特徴。 尾到の兄。 お調子者で小心な性格だが、飛信隊のムードメーカー的存在。 得物は槍。 蛇甘平原編で尾到とともに徴兵された時に信と再会し、澤圭の伍の一員となる。 飛信隊結成時に第十二伍長となり、三百人隊になると什長へ、鄴編では三什長へと昇進。 信が将軍になると、百人将へ昇進。 黒羊編では一時的に桓騎の軍に配属したが、混の遺品を持っていたことで信と羌瘣の怒りを買って除隊される。 途方に暮れていたところ、信を嘲笑した岩迅達に激怒し、殴り掛かって返り討ちに遭うが那貴に助けられる。 その後、飛信隊の幕舎で手当てを受け、信に謝罪して飛信隊に復帰。 蛇甘平原編で、伍作りで大人気だった強面の大男。 「富村の殺し屋」の異名を持つ。 得物は曲刀。 飛信隊結成時に第十五伍長になり、三百人隊になると什長に昇進。 信が将軍になると、百人将へ昇進。 蛇甘平原戦第二軍の生存者。 得物は槍。 気難しい性格で、当初は信達に悪態をついていた。 元料理人のため料理上手で、鄴編では斉国の食材を見て心を躍らせていた。 飛信隊結成時に第十八伍長になり、三百人隊になると什長へと昇進。 信が将軍になると、百人将へ昇進。 飛信隊結成時に、第二十伍長として所属。 得物は槍。 山民族の一つ青石族族長。 彼を筆頭に聴覚など身体能力や特殊能力に優れた者が多数おり、要所で飛信隊に貢献。 鄴編では、結婚式を挙げていたために不参戦。 槍術の達人。 飄々とした性格をしているが、頭が切れ核心をついた発言も多く、精神面でも飛信隊を支える。 崇原とは、初陣の時からの付き合い。 飛信隊結成時に第十伍長となり、飛信隊が三百人隊になると什長に昇進。 合従軍編では、途中で負傷して療養していたため、蕞攻防戦に加わっていない。 著雍編では百人将になり、同時に副歩兵長も務める。 鄴編では、朱海平原決戦十四日目に河了貂から視野の広さから各隊の救援の判断を託され、窮地の干斗達の救援に向かい助け出すも、致命傷を受けてしまう。 敵が撤退した後、愛槍を干斗に与え、最後は信の腕の中で息を引き取った。 羌瘣の蘇生術による精神世界に現れ、羌瘣を救った。 右目の周りに大痣が特徴。 得物は槍。 蛇甘平原編で壊滅状態に陥った秦国第二軍の生存者であり、第四軍で大功を挙げた信達には当初不満を募らせていた。 飛信隊結成時に第十七伍長になり、三百人隊時に什長へ、飛信隊が千人隊になると百人将へと昇進。 羌瘣の指揮下で戦うことが多い。 鄴編で、先陣を切って李牧軍を攻め込み李牧の目前にまで迫るが、立ちはだかった 龐煖に斬られ戦死。 羌瘣の蘇生術による精神世界に現れ、羌瘣を救った。 諏順(す じゅん) 飛信隊将校。 崇原の側近。 左眼を髪で隠している。 得物は剣。 飛信隊結成時から崇原の伍に所属しており、崇原同様に剣の達人。 田考(でん こう) 声 - (第3シリーズ) 飛信隊将校。 河了貂の補佐と伝令役を担う。 呂敏(ろ びん) 飛信隊将校。 那貴の側近で、元桓騎軍所属。 得物は槍。 消極的な性格だが、実力は確か。 曹火(そう か) 飛信軍将校。 元郭備隊所属。 朱海平原決戦三日目で戦死。 里斗(り と) 飛信軍将校。 朱海平原決戦十五日目で金毛軍の奇襲から河了貂を守り、戦死。 最年長で戦場の経験も豊富な老兵。 得物は槍。 知恵袋的存在として、時に信に助言をしている。 飛信隊結成時に第八伍長になり、三百人隊になると什長へと昇進。 山陽編後に引退。 尾到(び とう) 声 - (幼少期:) 飛信隊伍長。 信の同郷。 尾平の弟。 兄より高い背と角刈りが特徴で、真面目な性格。 得物は剣。 蛇甘平原編では、尾平と同じく澤圭の伍の一員となる。 飛信隊結成時に、飛信隊第十三伍長となる。 夜襲して来た 龐煖の援護のために現れた万極軍の矢を受け、信を背負いながらも襲撃から逃れるが、その矢傷が元で戦死。 死の間際、信に大将軍になって欲しいという願いを託した。 得物は剣(脇次)、矛(山和)、槍(筏建)。 蛇甘平原編では、沛浪の伍の一員。 飛信隊結成時に伍長となるが、 龐煖に討たれ死亡した。 得物は槍。 龐煖に討たれ死亡した。 黄(こう) 飛信隊の崇原隊所属の伍長。 得物は槍。 列尾戦で干斗達と伍を組むが、魯平の暴走で陣形が崩れた隙を襲われ戦死。 蒼仁(そう じん) 飛信隊弓兵。 黒羊戦後の始皇十年に飛信隊が募集した入隊試験に臨んだ狩人の少年で、蒼淡の兄。 小柄な体格で、入隊試験の体力検査で弟と共に不合格となるが信と河了貂らに、卓越した弓術を披露したことで、兄弟共に飛信隊に特例合格で入隊し飛信隊弓兵隊所属。 初陣となった鄴編では随所で大きな功を挙げ、最終決戦では指がボロボロになるまで弓を引き続け、金毛軍の奇襲で窮地に陥った河了貂を身を呈して死守した。 蒼淡(そう たん) 飛信隊弓兵。 兄の蒼仁と共に飛信隊の入隊試験に臨んだ狩人の少年で、兄と違い大柄な体格をしている。 弓の腕前は父や兄譲りであるが、気が弱い一面を見せる。 思ったことをすぐに口にするため、度々蒼仁に叱られる。 列尾戦では、敵を射ることを躊躇って本来の力を発揮できずに終えてしまい、蒼仁から叱られて落ち込んだ。 朱海平原戦では、馬を射ることで敵を圧倒した。 その後も人を射れずに蒼仁の補佐に徹していたが、金毛軍により蒼仁が重傷を負ったことで激昂し、人体を吹き飛ばす程の豪弓で金毛軍を圧倒し、趙将軍・金毛を討ち取った。 昂(こう) 声 -下妻由幸 飛信隊の尾平隊所属の少年歩兵。 得物は槍。 信の同郷で当初は小柄で気が弱いところを見せていたが、「母親に楽をさせるために出世したい」という熱意を持つようになる。 空気が読めないところがあり、何かと余計な一言が多い。 慶(けい) 声 - 青木強(第1-2シリーズ) 飛信隊の尾平隊所属の兵卒。 信の同郷。 得物は槍。 尾平とは馬が合うようで、よく絡んでいる。 黒羊編では、尾平とともに一時桓騎軍に配属する。 干斗(かん と) 飛信隊の兵卒。 得物は槍で、後に松左の愛槍を受け取る。 飛信隊に憧れ、入隊試験を受けるも一度不合格となり、仲間と共に食って掛かるが、崇原に叩きのめされる。 崇原から今一度チャンスをもらい合格し入隊。 鄴編では、初陣の列尾戦で魯平の暴走により窮地に陥るが、崇原に助けられる。 戦後は己の不甲斐なさに憤っていたが、尾平達が労いに来て励まされ、その際に信の初陣の時の武勇伝を聞いて感嘆としていた。 そして朱海平原戦では、三日目に晋陸隊の奇襲で負傷するも、蒼兄弟の援護で仲間を叱咤反撃したことで反撃するきっかけとなった。 趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を松左の捨て身の救出で救われ、その最期を看取り、彼の愛槍を継承した。 平来(へい らい) 飛信隊の兵卒。 干斗の親友で彼よりも長身。 得物は槍。 列尾戦では窮地を崇原に助けられる。 朱海平原戦では、奮戦を続けるも十四日目の趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を、松左の捨て身の救出で救われる。 兄弟揃って、肥満体の体格。 得物は槍。 列尾戦で五人ずつ敵を倒したことで、戦果を出せなかった干斗達を見下していた。 朱海平原戦では奮戦を続けるも、十四日目の趙峩龍軍との戦いで絶体絶命の危機を、松左の捨て身の救出で救われる。 十五日目には、開戦前に干斗らに松左から教えられた言葉を言ったことで、気を引き締める様に忠告した。 戦後、尾平隊に配属。 ハシュケン 飛信隊の石隊所属の兵卒。 得物は槍。 石と同じ青石族。 感覚が鋭く、索敵などで活躍する。 岐鮑(き ほう) 飛信隊の渕隊所属の兵卒。 峡村出身の兵卒で、実家が漁師のため、隊内で一番川に詳しい。 黒羊編では河了貂を補佐し、激流を単身で渡河し、懸け橋となる綱を繋いだ。 土南(ど なん) 飛信隊の渕隊所属の兵卒。 黒羊編で、渡河する任務で先陣を名乗り出たが、あまりの激流に耐え切れず流されて死亡。 魯平(ろ へい) 飛信隊の兵卒。 得物は槍。 列尾戦で干斗達と伍を組むが、戦場の空気に飲まれ暴走し、一人で突っ走って返り討ちに遭い戦死。 王家嫡男。 王騎とは同族で、王賁は本家筋になる。 得物は槍。 堅物で真面目、プライドが高くエリート志向が強い。 そのため信への対抗心が強い。 一方で独断専行が多いことから軍の上層部に快く思っていない者も少なくない。 山陽編では、独自に用意した井蘭車で攻城戦で大いに武功を立てる。 その後、臨時千人将になり戦後の平定の最中に正式に昇進、合従軍編前には二千人将に昇進。 合従軍編では騰軍に所属、臨時五千人将になる。 戦後、三千人将に昇進。 著雍編では四千人将に昇進し、玉鳳隊は五千人隊に増員。 騰に戦略を献策、三主攻の一つを担い、さらに魏火龍七師・紫伯討伐の功も評され五千人将に昇進。 鄴編では、三軍連合軍の一員として出陣。 朱海平原戦で秦軍右翼の一角を担う。 藺家十傑・尭雲に一度は敗れ意識不明となるが、最終日の再戦では尭雲を討ち取った。 凱旋後の論功行賞で、将軍へ昇進する。 番陽(ばん よう) 声 - 高塚正也 王賁筆頭家臣。 玉鳳隊副長。 王賁の教育係で老練な武将。 得物は槍。 王賁に心酔しているが、やや傲慢な性格。 飛信隊や楽華隊に対しては王賁以上に辛辣な言葉を浴びせるが、内心では信や蒙恬の実力を認めている。 関常(かん じょう) 玉鳳隊千人将。 元王翦軍所属。 得物は矛。 よく軽口を叩き不真面目な印象が強いが、実力は将軍に匹敵する。 王賁からは、王翦からの監視役と思われている。 また元王翦軍所属のため、王翦軍についても詳しく、王賁に王翦軍の将軍のことを教えている。 鄴編では、朱海平原戦の十三日目に雷獄に捕まった王賁を逃がすために、尭雲の前に立ち塞がって重傷を負うが、一五日目には負傷した身体を押して復帰。 松琢(しょう たく) 玉鳳隊将校。 関常の側近。 口元を顔当てで隠している小柄な二刀流使い。 宮康とは長年共に戦ってきた間柄で、「兄弟」と呼び合うほどの絆がある。 鄴編で、朱海平原戦の十三日目に王賁を死守し、自分に変わり捨て身の殿軍を買って出た宮康に王賁を託され、その最期を看取る。 その後は「十槍」を討つことに執心する。 宮康(きゅう こう) 玉鳳隊将校。 関常の側近の巨漢。 得物は。 鄴編で、朱海平原戦の十三日目に尭雲に敗れた王賁を救うべく捨て身の殿を引き受け、「十槍」に討たれ戦死。 黒金(こく きん) 玉鳳隊将校。 左眼の傷が特徴。 血気盛んで好戦的な性格。 そのため、よく王賁に窘められる。 夏久(か く) 玉鳳隊将校。 得物は槍。 鄴編で朱海平原戦初日に、馬南慈に討たれた。 蒙家嫡男。 得物は剣。 飄々とした掴み所のない奔放な性格だが、昌平君の軍師養成学校を卒業しており、昌平君から才能の底が見えないと評価される程であり、時に大将軍級の軍才を見せる天才。 当初は千人将に値する実力を持つと評されていたが、蒙驁によって三百人将の地位にいた。 山陽編では臨時千人将になり、戦後正式に千人将昇進。 合従軍編では騰軍に所属し臨時五千将になり、蒙武と汗明の一騎打ちの時に背後を狙った楚将軍・媧偃から父を守った結果、楚大将軍・汗明に重傷を負わされるも一命を取り留める。 戦後、二千人将に昇進。 毐国建国宣言後、秦に侵攻してきた楚軍を蒙武と共に迎撃。 咸陽攻防戦後に四千人将に、鄴編では五千人将に昇進しており、三軍連合軍の一員として出陣。 朱海平原戦では左翼の一角を担い、初日戦死した麻鉱に代わり、王翦からの指示により秦軍左翼大将として臨時の将軍に昇進。 十五日目には王翦のもとへ駆けつけて馬南慈の右目を斬り、傅抵を防いで王翦を守った。 凱旋後の論功行賞で将軍へ昇進する。 胡漸(こ ぜん) 声 - 蒙恬筆頭家臣。 楽華隊副長。 得物は矛。 蒙武に頼まれて幼少期から蒙恬の教育係を務め、蒙恬に過保護な面が多い。 蒙恬から「じい」と呼ばれている。 鄴編で、朱海平原戦十四日目の夜に楽華隊本陣に忽然と現れた龐煖に襲われ重傷を負いが、蒙恬の元へ行かせまいと立ちはだかって剣で刺して一矢報いた後討たれた。 陸仙(りく せん) 声 - 楽華隊副長。 若手の将校。 得物は槍。 蒙恬に過保護な胡漸に苦言を呈すことが多い。 胡漸から王賁に劣らぬほどの槍の腕を持つと評されているが、本人は否定している。 愛閃(あい せん) 楽華隊副長。 元蒙武軍所属。 鄴攻略戦後に胡漸の後任で蒙武軍から配属。 中性的な見た目で口数は少ない。 軍内最強にして随一の激情家。 得物は矛。 馬陽編において万極軍と交戦中に王騎の死の知らせを受けて激昂し暴走、万極軍に大打撃を与えた。 合従軍編で、楚将軍・臨武君と一騎討ちを繰り広げるが力およばず敗北し、騰に救出される。 次に媧燐軍戦象隊に苦戦をするも指揮官を討ち、次に乱戦を生き残り、干央軍と共に媧燐軍の背後に急襲。 著雍編では将軍に昇進しており、魏軍本陣を陥落させるための三主攻の一つを任された。 戦後、王賁と共に蒙武軍の援護のために楚国国境へ向かい、毐国編で媧燐軍を迎撃した。 軍内随一の智将。 得物は矛。 馬陽編では驀進する蒙武を止められず、趙荘の策によって壊滅的な被害を負った。 王騎の最期に立ち会い、騰が王騎軍を託されたことへの証人となった。 その後は、参謀の役割に就いている。 合従軍編では、前線で暴れる騰に代わり、本陣で総指揮を代行。 著雍編では将軍に昇進し、戦後は魏国境での総指揮を任され、飛信隊と共に転戦する。 用兵術に疎い信を厳しく指導している。 毒舌家。 得物は矛。 馬陽編で、渉孟と争った。 その後、王騎の死の知らせを受けると言葉を発せず、泣き崩れた。 合従軍編で秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と同金とともに迎撃。 函谷関攻防戦で録嗚未とともに臨武君に襲い掛かろうとするが、白麗に射殺された。 死闘を最も得意とし、軍の突破力は王騎軍で一二を争う。 得物は矛。 馬陽編の序盤で馮忌軍と対峙し、馮忌を討ち取った信の名を高らかに宣言する粋な計らいを見せた。 その後、龐煖の夜襲にいち早く反応して攻撃を仕掛けるが、援軍としてやってきた万極と交戦し、隙を突かれ負傷。 合従軍編で、媧燐軍戦象隊に苦戦をするも堅実な攻めで撤退させ、次の乱戦を生き残り、録嗚未軍と共に媧燐軍の背後に急襲。 著雍編では、将軍に昇進。 得物は矛。 馬陽編では王騎の死の知らせを受け号泣していた。 合従軍編で、秦に侵攻した楚軍を氾斗平原で騰と鱗坊とともに迎撃するが、臨武君に瞬殺された。 隆国軍所属。 得物は矛。 隆国から軍内でも精強と評されていたが、合従軍編で媧燐軍本隊に突撃を敢行するも返り討ちに遭う。 合従軍編で媧燐軍と戦い戦死。 桃加(とう か) 王騎軍将校。 馬陽編で渉孟と戦うも部隊ごと殲滅された。 蒙驁軍 桓騎 蒙 驁軍副将。 王翦 蒙 驁軍副将。 土門(ど もん) 声 - 玉木雅士 蒙驁傘下将軍。 得物は矛。 山陽戦では、栄備と共に本隊の正面軍を率いる。 初戦では第一陣を指揮し、不利な戦況では自ら前線に立ち、兵を鼓舞する。 始皇十一年の鄴攻略戦にも参戦し、金安での本陣への呼び出しに最後に到着した信を叱った。 羅元(ら げん) 声 - 竹内栄治 蒙驁傘下将軍。 顔に一閃の傷跡がある。 山陽編では、輪虎に郭備ら八人の千人将を討たれて蒙恬に危機を忠告されるもそこまで深刻に受け止めておらず、山陽へ進軍中に奇襲を仕掛けた輪虎に討たれる。 栄備(えい び) 声 - 竹内栄治 蒙驁傘下将軍。 得物は矛。 山陽戦では、本隊の正面軍を率いる。 最終局面では輪虎の突破力を目の当たりにして敗北を悟り、果敢に突撃をするも輪虎に討たれた。 乱銅(らん どう) 蒙驁軍千人将。 得物は剣。 制圧後の高狼城で部下達と乱暴狼藉を働き、それを咎めた信に逆上して斬り掛かるが、返り討ちに遭い重傷。 後に蒙恬の働きで信は軽い罰で済み、部下達は罰せられることとなる。 郭備(かく び) 声 - 蒙驁軍千人将。 知勇兼備の武人で将来が期待されていた良将。 実は下僕出身であり、子のいない郭家の養子となった。 そういった経歴から、信の活躍に共感と親近感を覚えていた。 山陽編で、飛信隊と対面して激励するも、直後に輪虎に暗殺された。 後に信が臨時千人将に抜擢された時、七百人が郭備隊から補充されるも郭備が生前に信のことを好意的に語っていたことから、すんなりと信の指揮下に入ることを受け入れた。 山陽編で、廉頗四天王・輪虎に暗殺された。 山陽編で臨時千人将に昇進するも、廉頗四天王・輪虎に討たれた。 蒙武軍副官。 隆々とした豪傑。 得物は矛。 研布(けん ふ) 蒙武軍将校。 三十年以上も敵国前線にいた老兵。 だが、王齕の楚侵攻は知らなかった。 麃公軍 岳牙(がく が) 声 - 麃公傘下筆頭将軍。 麃公軍副官。 得物は矛。 麃公が若いころから仕える、歴戦の将。 蛇甘平原編や合従軍編で麃公の傍で仕え、終盤には李牧軍を猛追し、麃公と共に敵本陣まで辿り着く。 そして、新趙国三大天・李牧を討とうと奮戦するも戦死。 縛虎申(ばく こしん) 声 - 麃公軍千人将。 自他共に厳しい激情家。 信が初陣の時の上官。 得物は剣。 将の目的は勝利であり、そのために如何なる犠牲も躊躇わないと言う考えの持ち主。 苛烈な性格のため猪突猛進という印象を与えているが、勇猛と無謀の違いを信に諭すなど本人なりの考えを持っている。 配下の部下にも篤く信頼されていた良将。 蛇甘平原編では、要所の丘を奪取するために無謀とも思える突撃を敢行、満身創痍になりながらも頂上へ到達し、魏将軍・宮元と相討ちになって戦死。 合従軍編で、緒戦で第一陣に配置し、疲弊して後方軍へ回った時に背後から万極軍の猛攻を受けるが、信の檄に応えて反転して反撃に出る。 蒼源(そう げん) 麃公軍将校。 特殊弓騎兵団「蒼弓隊」隊長。 蒼仁と蒼淡の父親。 かつて秦国唯一の「中華十弓」に名を連ねるほどの名手。 同じ「中華十弓」の馬朱離と戦うために幼い二人を置いて戦場へ赴き、その弓の実力を麃公に認められたことで特殊部隊の指揮を任され、戦場で大いに活躍をし、魏の「中華十弓」の白公を討ち取ったことで「中華十弓」と認められる。 その後、ある戦場で敵の伏兵に遭って戦死したが、彼に救われたことがある元 麃公兵の岳雷達からは深く尊敬されている。 仁と淡は父の活躍を知らず、麃公軍に配属されて直ぐに亡くなったと聞かされていた。 桓騎軍 (かん き) 声 - 秦国将軍。 元は秦南方の団の首領。 独自の兵法を駆使し、奇策を得意とする六将級の軍略家。 得物は剣。 かつて落とした城の住民全員の首を自ら斬り落とした逸話から「首斬り桓騎」の異名を持ち、将軍となっても投降兵諸々を殺してしまう残忍な性格の持ち主。 傲岸でもある一方、蒙 驁には敬服している。 砂鬼一家の中に桓騎軍の最古参を名乗る者がおり、桓騎の中にある根源は「全てへの激しい怒り」であることを那貴に語っていた。 傘下の兵や将校達は元々はそれぞれ別の野党団であり、それらを一つ一つ説得したり、潰したりしていった。 山陽編では、秦国右軍を指揮し、遊撃戦で介子坊軍を翻弄。 敵伝令兵に変装して廉頗四天王・玄峰を討ち、その後も敵本陣を奇襲して魏国大将軍・白亀西を討って勝利に貢献。 合従軍編で函谷関の守将の一人に抜擢され初日に「巨大井闌車」を焼き尽くし死守。 さらに15日目には「巨大井闌車」を逆に利用し地上に降り、張唐と自軍の僅かな兵で韓軍本陣を奇襲をし、張唐に成恢を討ち取らせる貢献を果たす。 秦国統一編で函谷関から敗走する毐国軍を迎え撃ち、毐国王・嫪毐を生け捕る。 黒羊編では、総大将として飛信隊と共に慶舎軍と対峙。 3日目に敢えて一切何もしないことで慶舎を怒らせ、4日目には慶舎を誘い込んで討ち取りに掛かる。 信が慶舎を討ち取った後に総大将が紀彗に変わったのが分かると、捕らえていた趙兵を拷問したことで紀彗の過去と離眼兵の関係を知り、その後は手段を択ばぬ非道な戦略により、予想よりも圧倒的に少ない損害で黒羊を奪取。 鄴編では、三軍連合軍の一角として参戦。 王翦が鄴へ兵糧攻めを仕掛けた後は、鄴包囲軍を担当する。 鄴の兵糧が焼かれて失ったことを知ると、兵士らを使い降伏を呼び掛けて城内の難民達の暴動を煽る。 そして、難民達によって城門が解放されるとすぐに攻撃を仕掛けて鄴を陥落させる。 配下からは「姐さん」と呼び慕われる眼力が鋭い女傑。 得物は弓。 弓の名手で一流の戦術家。 面食いで、部下の扱いは容姿で差がある。 桓騎に惚れている。 また勘が鋭く摩論曰く「いつも外さない」。 料理が非常に下手で雷土曰く「生肉食った方がマシ」。 黒羊編では、副官として中央丘の右翼で紀彗軍と戦い、紀彗を黒羊戦の鍵を握る人物だと警戒した。 雷土(らい ど) 声 - 桓騎傘下将軍。 左目の周りに輪っかの入れ墨がある巨漢。 得物は矛。 粗暴な性格だが、戦況を見極めることに長けており、野盗時代に培った知恵と経験を駆使する。 その実力は高く、かつて桓騎が雷土とその一家を取り込もうとした時には相当苦労した。 黒羊編では、左翼軍大将として岳嬰軍と戦い、初日に慶舎による策で危機に陥った時には、ゼノウと共にかつて野盗時代に使用していた笛「火兎」 を吹いたことで、危機を脱しその後ゼノウらと共に中央丘にいた趙軍を襲撃した。 鄴編では、鄴解放軍の迎撃に当たり、鄴へ到着した疲労困憊の李牧軍をゼノウ一家と迎え撃つ。 摩論(ま ろん) 声 - 佐久間元輝(第3シリーズ) 桓騎傘下将軍。 桓騎軍随一の智将。 得物は持たず手に羽毛扇を持つ。 黒桜同様、野盗時代からの配下で自称紳士と呼称し、相手には常に丁寧語を話す。 料理が得意。 黒羊編では、参謀として中央丘の左翼で金毛軍と戦う。 鄴編では、同じく参謀として鄴解放軍の迎撃を担う。 戦後の論功行賞では、桓騎の代理で訪れる。 ゼノウ 桓騎傘下将軍。 桓騎軍最強の武力かつ随一の獰猛さを誇り、死地にも嬉々として突っ込んでいくため、戦狂いとまで言われるゼノウ一家棟梁。 得物は。 蒙武よりも一回り大きい体格と、野牛を素手で捩じ切る程の膂力の持ち主。 大きく見開いた目をギョロギョロと動かす。 黒羊編では初日は桓騎の指示で雷土軍とともに行動し、趙軍を圧倒するも慶舎による策で危機に陥ると、雷土から「火兎」を使う用言われ使用することで危機を脱し、その後は合流した雷土達と中央丘にいた趙軍を襲撃した。 2日目には左翼で動かない理由を雷土に問い質し、自分らの出番があると聞かされると納得した。 4日目には飛信隊を襲撃した慶舎を逆に追い詰め、五日目の最終戦では飛信隊と共に中央丘奪取の立役者になる。 鄴編でも参軍し、到着した李牧軍を雷土達とともに迎え撃つ。 鄴が開門すると李牧軍との交戦を勝手に止め、鄴から逃げ出す難民達を押し除け真っ先に入城し、趙兵を殲滅した。 砂鬼(さ き)一家 残虐さでは桓騎軍随一とされる一家。 拷問を好み、「砂鬼に捕まることが中華一の不運」と言われている。 桓騎軍の拷問係を担当。 皆切断された指や耳で作られた装飾品を装着し、常に死臭を漂わせている。 また一家の中には桓騎軍最古参と名乗る人物がいる。 黒羊編では捕らえていた趙兵を拷問し、黒羊丘近辺に住む村人達の屍で作った「贈り物」を紀彗に届けて脅し、勝敗を決定づける。 オギコ 桓騎軍千人将。 独特の髪型に鼻輪など、非常に奇抜な格好をしている。 得物は曲剣。 実力は確かなのだが、落ち着きがなく頼りない言動が多い。 また、壊滅的なまで弓が下手。 桓騎が千人将に抜擢した理由は「面白いから」。 黒羊編では何故か飛信隊への伝令として訪れるが、あまりに怪しすぎたため飛信隊の兵に止められていた。 倫玉(りん ぎょく) 桓騎軍千人将。 精鋭騎馬隊指揮官。 得物は双剣。 顔にピエロのような刺青をしているが、曲者揃いの桓騎軍の中では比較的良識派。 黒羊編では騎馬隊を発揮出来ない森林地帯のため桓騎の傍らに待機。 桓騎軍と飛信隊が衝突した際、那貴と入れ替わりで桓騎軍に一時加入していた尾平を割って入らせたことで同士討ちを阻止した。 鄴編では、鄴解放軍を相手に騎馬隊を指揮し奮戦する。 角雲(かく うん) 桓騎軍千人将。 黒桜軍所属で黒桜に想いを寄せており、大活躍して惚れさせるのが夢。 得物は矛。 「鉄壁」と呼ばれるほど守戦に長けているが、黒羊編では奇襲してきた趙将軍・紀彗に首を刎ねられ戦死。 中貴(ちゅう き) 桓騎軍将校。 山陽編では、桓騎と共に敵本陣を落とす。 馬印(ば いん) 桓騎軍将校。 辮髪の巨漢。 黒羊編では、飛信隊の伝令として活躍。 一日目に失態を起こした信に対し片腕を斬るように命じるも、逆に自分の腕を斬られそうになるが、この一件関しては黒羊戦の前に飛信隊に加わっていた那貴が預かることでことなきを得た。 蛇甘(だ あん) 桓騎軍将校。 黒桜軍所属で黒桜軍最強とされる。 外摩(がい ま) 桓騎軍将校。 黒桜軍所属の太った中年の醜男。 得物は剣。 黒羊編では、苦戦して黒桜に援軍を要請するが、出さなければ退却すると身勝手なことを言ったため黒桜の反感を買う。 智春(ち しゅん) 桓騎軍将校。 黒桜軍所属の美形の青年。 得物は槍。 黒羊編では、外摩と同じく苦戦して黒桜に援軍を要請するが、外摩と違ってあっさりと増援を差し向けられる。 岩迅(がん じん) 桓騎軍将校。 雷土軍所属の大男で、仲間達とともに信を嘲笑したことで殴り掛かって来た尾平を逆上して殴り殺そうとしたが、仲裁に入った那貴を侮辱したことで彼に殺害された。 クオ 桓騎軍将校。 鄴編で密かに兵糧を横領していたために摩論の怒りを買い、みせしめとして砂鬼一家差し向けられ一家もろとも粛清された。 尾喜(び き) 桓騎軍将校。 鄴編では一家で北を見張っており、鄴を包囲している桓騎に、李牧軍が南下して鄴に向かって来てることと、それを追撃しようとしている王翦軍の動きを伝えた。 王翦軍 (おう せん) 声 - 秦国将軍。 王賁の父親で、王一族の現頭首。 得物は矛。 恐ろしい形相を模した鎧に身を包み、目元を隠す仮面を付けている。 秦六将・胡傷に「軍略の才だけで六大将軍の席に割って入ることの出来る」、三大天・廉頗から「白起に匹敵」、秦国内では「王騎と同等」と評価される名将だが同時に秦国一の危険人物とされ、長年冷遇されていた。 その理由として、自らが王になりたいという野望を抱えているという噂があるためである。 蒙鰲の下で一緒に副将を務めていた桓騎からは「負ける戦は絶対にしない」と評する。 山陽編では秦軍左軍を指揮して姜燕軍と対峙し、壁軍を囮に使い窪地に姜燕軍を誘い込み包囲するが、廉頗が現れたことで分が悪いと判断し後退。 その後、秘かに築いていた山砦に籠城、虎視眈々と出撃の機会を狙っていたがそのまま終戦となる。 合従軍編では、燕軍を担当。 15日目には燕軍を終始翻弄しつつ、さらに函谷関の裏手に現れた楚軍を一掃して、函谷関陥落の危機を救った。 鄴編では三軍の総大将として参戦。 列尾では李牧による罠を見抜くと、昌平君の戦略を放棄し己の立てた戦略による継戦を決断し、列尾を放棄し全軍で趙国王都圏に侵攻。 そして、鄴に兵糧攻めを仕掛けた後、鄴を桓騎軍に任せ、鄴を解放しようとする超軍を迎え撃つべく朱海平原で秦軍中央軍から総指揮を担う。

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