昭和 同人。 純愛同人

ホトトギス (雑誌)

昭和 同人

作者コメにだらだら書いたのでそこは省いて、とにかく「同人編始まったよー」というお知らせです。 需要があるかわからない漫画なんですが、まあ天体モノよりはとっつきやすいんじゃないかと思いまして…。 更新は不定期月イチくらいになります。 冗談ではなく5年前よりかなり体力が衰えているので週イチ更新なんてハードな描き方はもうできませんね。 当時は「イベント」と呼ばなかったのでセリフで苦労しました。 「即売会」とみんな言っていたころです。 やっとBLが出て来たころかなー。 昔過ぎて記憶があいまいです。 しかし、BLが今みたいに主流になるとは思いませんでした。 あのころは逆に怒られたり避けられたり、はじっこでコソコソやりとりをしていたような気がします。 私の見た世界に、いろいろ盛って、漫画はできています。 ここ見てる人結構多いので(目的はわからないんですが)Twitterがなくてもいいかなーと思います。 アンチに屈して辞めたTwitterですのでほんとは復活したいんですがねー。 アンチの相手をするのも面倒だし暇がないし、どうしようかしらね。 この「同人編」はそう長くは続かないと思います。 そのあとのもうひとつの続編、「平成駆け出し新人漫画家死闘編」も描きたいです。

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純愛同人

昭和 同人

歴史 [ ] 戦前 [ ]• (30年)に社員柳原極堂がで創刊。 雑誌名は正岡の俳号「子規」にちなんだもので、創刊時はひらがなで『ほとゝぎす』。 子規、、、らが選者であった。 (明治31年)10月 場所をに移して虚子が継承する。 (明治34年)10月 雑誌名を『ホトヽギス』とする。 (明治35年) 子規没。 (明治37年)10月 選者となる。 (明治38年)1月 漱石『吾輩は猫である』連載開始、大好評を博す。 10月 『団栗』掲載。 このころより虚子小説に傾倒、碧梧桐新傾向色を強める。 (明治39年)1月 『』。 4月 漱石『坊っちゃん』。 5月 『千鳥』。 8月より碧梧桐第一回全国行脚。 9月 『海のほとり』。 (明治40年)1月 漱石『』。 2月 『縁』。 11月 『佐渡が島』。 このころ、が挿絵を描いている。 (明治41年)10月 漱石『文鳥』(ただし他誌からの転載)、選者となる。 (明治42年)から、らの批評が連載される。 4月より碧梧桐第二回全国行脚。 7月をもって雑詠欄廃止。 (明治43年)4、6月 『社会の柱』。 9月号発禁処分。 (明治44年)4月 『狐火』、『御殿女中』。 10月 雑誌名を『ホトトギス』とする。 碧梧桐編集より離れる。 (明治45年)7月 虚子選雑詠欄復活。 挿絵を描くようになる。 (2年)3月 『南国』、虚子俳壇復帰。 5月 『椿の花』。 6月 『菎蒻本』。 7月 『臆病者』。 8月 虚子がに編集の一切を任せることを表明。 10月 『護持院原の敵討』。 11月 『悪魔の弟子』。 (大正3年)4月 『青草』。 、課題選者となる。 (大正4年)1月 、が雑詠欄巻頭を飾る。 7月 『藪陰』。 、課題選者となる。 (大正5年)4月以降東洋城ホトトギスより離脱。 漱石没。 (大正6年)1月 の句掲載。 ホトトギス社を退社。 (大正8年)8月 の句掲載。 9月 神陵俳句会(翌年より京大三高俳句会)結成。 (大正9年)2月 嶋田青峰ホトトギス社を退社、編集から退く。 (大正10年)4月 の句掲載。 (大正11年)4月 、ら結成(帝大俳句会の再興)。 (大正12年)1月 発行所をへ移転。 8月 水原秋桜子『海辺にて』。 (大正13年)1月 『山の手から』。 8月 『風懐を養うこと』。 (大正14年)10月 、ら九大俳句会結成。 (大正15年)1月 山口誓子『我が小さき芸術観』。 ら雑詠句評会に参加。 (2年)、表紙、裏表紙を描くようになる。 (昭和3年)7月 東大俳句会機関誌を「馬酔木」と改題、水原秋桜子が主宰。 (昭和4年)3月 が雑詠欄巻頭を飾る。 (昭和5年)6月 により姉妹誌『玉藻』創刊。 7月 『生き物三つ』• (昭和6年)4月 星野立子『どんぐりの芽』• (昭和8年)12月- 川端茅舎『花鳥巡礼』。 (昭和10年)表紙を描くようになる。 (昭和11年)1月 ら『余生病院』。 10月 日野草城、吉岡禅寺洞、杉田久女をホトトギス同人より除名。 フランスを中心に海外詩人による俳句が掲載されるようになる。 (昭和12年)碧梧桐没。 4月より外国俳句座談会連載、虚子の句のフランス語訳の試み。 、表紙、裏表紙を描くようになる。 (昭和13年)3月 『最も痛烈に感じた』。 4月 『現代徒然草』。 裏表紙を描くようになる。 (昭和14年)6月 『蓄音機』。 『砲車』ベストセラーに。 表紙を描くようになる。 -(昭和15-18年)。 (昭和18年)6月 が雑詠欄巻頭を飾る。 (昭和20年)6-9月 休刊。 戦後 [ ]• (昭和21年)12月 通巻600号。 が雑詠巻頭欄を飾る。 (昭和22年)9月 ホトトギス社が代表の合資会社となる。 (昭和24年)、史上最年少で同人に推挙される。 (昭和54年)10月 が主宰となる。 (25年)8月 通巻1400号。 2013年(平成25年)10月 が主宰となる。 現況 [ ] 現在のホトトギス社主宰は高浜虚子の曽孫である稲畑廣太郎が務めている。 1979年から2013年まで主宰を務めた稲畑汀子はその母で高浜虚子の孫。 ホトトギス社はホトトギス誌以外に書籍も編集・発行しているが、発売元はホトトギス社のものと他の版元のものがある。 例えばは、虚子編「新歳時記」やホトトギス編「ホトトギス新歳時記」をが発売している。 虚子編「新歳時記」は基本的に高濱虚子が編集したものだが、ホトトギス編「ホトトギス新歳時記」は、全国の俳人からホトトギス誌に寄せられた句を元に編集したもの。 ホトトギス社は長年、に入居していたが、丸ビルの建て替えのため、に移った。 脚注 [ ].

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昭和 同人

作者コメにだらだら書いたのでそこは省いて、とにかく「同人編始まったよー」というお知らせです。 需要があるかわからない漫画なんですが、まあ天体モノよりはとっつきやすいんじゃないかと思いまして…。 更新は不定期月イチくらいになります。 冗談ではなく5年前よりかなり体力が衰えているので週イチ更新なんてハードな描き方はもうできませんね。 当時は「イベント」と呼ばなかったのでセリフで苦労しました。 「即売会」とみんな言っていたころです。 やっとBLが出て来たころかなー。 昔過ぎて記憶があいまいです。 しかし、BLが今みたいに主流になるとは思いませんでした。 あのころは逆に怒られたり避けられたり、はじっこでコソコソやりとりをしていたような気がします。 私の見た世界に、いろいろ盛って、漫画はできています。 ここ見てる人結構多いので(目的はわからないんですが)Twitterがなくてもいいかなーと思います。 アンチに屈して辞めたTwitterですのでほんとは復活したいんですがねー。 アンチの相手をするのも面倒だし暇がないし、どうしようかしらね。 この「同人編」はそう長くは続かないと思います。 そのあとのもうひとつの続編、「平成駆け出し新人漫画家死闘編」も描きたいです。

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