岡村 隆史 署名。 岡村隆史降板の署名を扇動する石川優実に「風俗を見下す発言」が発覚 | SandoraNEWS

岡村隆史『チコちゃんに叱られる』降板か。問題発言でNHKにクレーム殺到し署名活動も…謝罪コメントも炎上継続で危機

岡村 隆史 署名

額に汗しながら駅前に立ち、懸命に署名を募る光景は、昔日のものとなりつつあるのかもしれない。 いま、「ネット署名」なるものが、確実に社会的な影響力を持ち始めている。 現在もっとも知られているネット署名サイトといえば、世界196カ国、実に2億人を超える人々が活用しているとも言われる公的プラットフォーム、「Change. org」(チェンジ・ドット・オーグ)であろう。 筆者も、当プラットフォームの「誰もが社会を変えられる、という世界を実現したい」という崇高な理念そのものについては、心の底より賛意を覚えるひとりである。 もうお分かりだろう。 そして筆者は、 この署名キャンペーンの趣旨そのものについて異論をさしはさむつもりは毛頭ない。 今後もことあらば、精力的に署名を募るべきであろう。 まずは、ごく一部ではあるが、典型的な記事の例を時系列でいくつか挙げる。 COM) 「電子署名運動が 1万以上集まったことについて、同局は「視聴者の皆様の声として重く受け止めている。 寄せられた声を真摯に受け止め、これからもより楽しんでいただける番組をお届けしていきたい」と回答。 まことに目覚ましい成果というほかはない。 なんといっても、5大紙に肩を並べんとする一般紙の雄 『東京新聞』の記名記事に、「 賛同者は2万人を超えた」と明記されているのだ。 そしてこの記事については、Yahoo! 記事を目にした読者は、当然こう思ったはずだ。 (そうか、降板要請に2万人を超える賛同者が集まったのか。 凄い勢いだな。 )あるいは、こう思った人もいるかもしれない。 (署名を集めて降板までさせるというのは、さすがに行き過ぎだと思っていたが... 私の考えが間違っていたのかもしれない。 なにしろ賛同者が2万人を超えているのだから。 )またあるいは、こう考えた人もいることだろう。 (2万人超えくらいでは、まだまだ足らないな。 もっと賛同者が増えればいいのに。 はっきり言おう。 「Change. そして、その下の「すべてのコメントを読む」をいうタグを開いて閲覧すれば、「誰が」「いつ」「どんな」コメントを残したのかを即座に見て取れるのだ。 では、当該キャンペーンにおいては、いったいどんな賛同者の意見が並んでいるのだろうか。 まずは、こちらをご覧いただきたい。 余りのひどさに驚いた方も多いのではないだろうか。 これらは本稿の執筆(6月11日)よりも「4週前」に書かれたコメントである。 「あなMidoriちょめMasuzawa」さんは言う。 「けしからん!昇龍拳! 「ちんきの ちんまる」さんは「けしからん! 波動拳」と、別の必殺技を繰り出して怒っているようだ。 昇龍拳! 」と叫んでいる。 これらを見れば、たとえ小学生でも、こう断言することだろう。 いちおう申し添えておくが、これは筆者が探しに探して恣意的に発見したコメントではない。 とにかく膨大な量であり、「すべてのコメントを読む」のタグを押しさえすれば、誰もがすぐに見つけることができるはずだ。 たとえば、ごく最近のコメントは、以下の通りである(前述の藤田孝典氏による岡村氏批判の記事での言を借りるとするならば、これぞまさに「 心の底から嫌悪感を生じる」名前によるコメントだ。 「 閲覧注意なので気分が悪くなった方は読まなくていい。 」のオンパレードなのだ。 このあたりになると、もう必殺技を出す余力もなくなったのか、「昇龍拳」も「波動拳」も出してこない(ごくたまに「竜巻旋風脚」を繰り出してくることはある)。 以下、便宜上、この極めて趣味の悪いコメ主のことを「 けしからん氏」と呼ぶこととしよう。 つまり、本来ならば カウントされるべき人物ではないことは自明の理であろう。 コメント総数は、「 2120件」。 そのうち、真摯で真面目なコメントと思えるものの数は、「 23件」。 「けしからん氏」のコメントは、実に「2097件」にのぼったのである。 掲載写真の体裁でのword文書で413ページにのぼった。 改めてこれを見ると、本気で賛同の意を示したのであろう方々のコメントが「けしからん氏」のふざけたコメントの山に完全に埋没してしまっている。 気の毒という他はない。 まず、その趣味の悪いネーミングや、「けしからん! 」一辺倒のコメントから推測するに、その正体は「ひとりか、あるいは少人数のグループ」である可能性が高い。 実は、「Change. もちろん住所や本名の入力も必要ない。 そして、ITツールにいくらか通暁している人物であれば、 アドレスを無限に増幅し、スマホやパソコンに投票までの動作を学習させ、自動で繰り返し投票させるのは、造作もないことなのである。 つまりは、「けしからん氏」は、たったひとりでも存在しうる... ということなのである。 では、その正体をひとり(あるいは数人)と仮定した上で、動機を類推してみよう。 考えうる可能性は、およそ、次の三つではないだろうか。 発起人サイドが署名を水増しするために「けしからん氏」を雇った。 これは、あり得るように見えて、実はいちばんあり得ない... と筆者は思う。 岡村隆史氏の過剰な擁護派が、キャンペーンの正当性を棄損するために「けしからん氏」となった。 1よりは、まだこちらのほうが可能性としてはあり得るような気もする。 ひどい名前を使ってコメント欄を「荒らそう」というわけだ。 ただ、署名しない限り「賛同コメント」が書けない以上、カウント数を無駄に増やしてしまうこととなり、とうてい岡村氏を擁護することには繋がらない。 やはり、動機付けとしては弱いと思わざるを得ないのだ。 そのさまをほくそ笑んでいるのではないか。 脱力するほかないが、結局、この可能性がいちばん高いように思えてならないのである。 これらは、あくまで推測に過ぎない。 まず、 「Change. org」の署名システムの脆弱性が、署名数の誤謬を生む結果に繋がったのは間違いない。 こうした脆弱なシステム下に依拠して署名キャンペーンを行うのは、「キャンペーンを行う側」にとっても無用の誤解を招き、ひいては信頼性をも著しく棄損してしまうことに繋がってしまうのではないだろうか。 実は過日(6月3日)、筆者は署名システムの脆弱性について、当該キャンペーンのコメント欄の疑惑とともに、「Change. org」へ詳細な質問メールを送ったのだが、一向に返答はないままであった。 ところが... 故意か偶然か。 終了したはずのキャンペーンで「6千人以上の減算」とは由々しき事態ではないか。 当然「Change. org」は、その理由とメソッドの詳細を明示すべきであろう。 さもないと、「 指摘を受けて慌てて手動で減算した疑い」がついてまわるからだ。 しかもいまだ、大量の「けしからん氏」のコメントは残ったままなのだ...。 このままでは、「 まだまだ減算の余地があるのではないか」との誹りも免れない。 冒頭でも記したように、筆者は、当プラットフォームの理念そのものにはおおいに賛同する者である。 だが、本気で「誰もが社会を変えられる、という世界を実現したい」のであれば、まずはこうしたシステムの脆弱性という基本的な部分から是正しない限り、世界はびくともしないばかりか、いずれは世界中からソッポを向かれてしまうのではないだろうか。 「22,620人の賛同者」が... 当該キャンペーンのページに入り、「すべてのコメントを読む」をちらりとでも閲覧するだけで、必ずその筆は止まったはずだ。 一次資料の検証をまるでおこなっていなかったと指弾されても仕方なかろう。 とくに「賛同者は二万二千人を超えた。 」と明記した『東京新聞』は、大メディアだけに罪が重い。 厳しく言えば、同紙の記事は 「誤報」だったということになるからである。 これはという記名記事だが、いったい記者氏の目は、どちらへ向き、どこを泳いでいたのだろう。 結果としては、このキャンペーンの信頼性を損なう記事となり、発起人に迷惑をかけてしまっているではないか。 まぁ「異常な発言で撤回すべき」とまでは言わないが、『東京新聞』には猛省を促す次第である。 繰り返しとなるが、締めとして、いまいちど言わせてもらおう。 「けしからん!」 (了) 【取材補遺】 Change. orgによる不可解かつ唐突な「減算後」の取材結果を付記しておきたい。 」 そして当時は、2120件目に該当する「すじ藤 すじ六郎」なる人物の「けしからん! ちなみに、6月18日現在の総コメント数は「1685件」(やはりというべきか、以前の「2120件」から、しれっと減算されている)。 うち、「けしからん氏」のコメントは、以前の「2097件」から大量に減らされてはいるものの、依然として「958件」が跋扈しており、過半数を占めている。 その他のコメントは「727件」であった。 だが、「すべてのコメントを読む」というバナーを設けておきながら、これらの初期コメントが閲覧できない状態を放置していたというのは、真面目なキャンペーン賛同者に失礼きわまりない話ではないか(ただし、この中にも「同姓同名」(!)の人物や、明らかに同じ人物であろうと思しきコメントが数多く散見されるという事実は付しておきたい)。 いずれにせよ、こたびの「謎の減算」により、Change. orgへの疑惑は更に増したと断じざるを得ない。 近いうち筆者は、同プラットフォームにおいて、『Change. orgのシステム責任者の降板及び謝罪を求める署名活動』を立ち上げようと思っている(というのはもちろん冗談であるが)。

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「不道徳だ」の大合唱は本当に正義か

岡村 隆史 署名

4月23日放送の『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で、岡村氏による「女性蔑視」発言が大きく取り上げられる中、この発言をめぐってネット上では、(Chang. org)なるものまで勃発した。 私はネット右翼研究を10年以上に亘って行っているが、その主張の軸は違えど、こういったネット上での署名活動の跋扈に対し、きわめて強いネット右翼的感性を見出している。 「ネット右翼的感性」とは何か。 それは 1「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」、 2「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力(電話突撃=電凸、署名)をかけるよう、ネット上でオルグする(組織活動や勧誘を展開する)」という二点である。 元来赤坂の深夜ラジオを中学生時分より20年以上聴いている私だが、特にドライブ中には他局にチューニングすることもある。 当該の岡村氏の発言はリスナーからのメールに応えるという形で番組の最後半で行われたものだが、「残念なことに」私は運転中にBGM的なものとして聴いていたため内容を精査していたわけではなく、またカーナビの音声案内などの雑音もあって、岡村氏の発言を聴き流していた。 問題になったのは、放送終了後から数日たった4月26日(日曜日)朝になって、雑誌『FLASH』電子版が文章の形で岡村発言を取り上げたことを、NPO法人ほっとぷらす理事で貧困問題に携わるを書いたことである。 この記事がSNS上で拡散されることにより、前掲した署名運動に発展したのである。 藤田氏の記事は、私が指摘した 「ネット右翼的感性」に合致する最たるものである。 当該記事は、岡村氏の発言を直接ラジオで聴いて文字起こししたものでは無く、雑誌『FLASH』電子版からの引用に終始していた。 つまり藤田氏は当該記事を読む限りにおいては、 岡村氏のラジオを聴いて批判を展開したのではなく、後になってから報道された二次ソース(文字情報)のみに依拠していたと思わざるを得ないのである。 私は文筆家として、また評論活動を行う身として、このような批判記事は全く論評としての体(てい)をなしていないと苦々しく思う。 批判記事を書くのは自由であるし、そこから提示される社会問題とその解決へのプロセス極めて重要である。 が、それは常に一次ソースを元にしたものでなければ精度を欠き、あまつさえその一次ソース(放送音源)はラジコ(Radiko)によって何時でも簡単に、誰でもが当たることのできる状況であった。 にもかかわらず一次ソースに当たらないで雑誌の電子版記事を引用するという手法は、私の感覚で言えば 「ものを書く」という最低限度の水準にも達していないのである。 私は雑誌の編集長をやった経験があるが、こういった「一次ソースを簡単に手に入れることができるのにそれをしない」という構成の批判記事が仮にライターから上がってきた場合、「一次ソースに依拠して書いてください」といったん突き返さざるを得ないだろう。 この藤田氏の記事は、前掲した1「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」という典型的な「ネット右翼的感性」に遺憾ながら合致するものだ。 ネット右翼が2002年の日韓ワールドカップを機に伸張を見せてから20年弱である。 その間に行われた彼らのネット上での批判は、 ほとんどが「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」ものばかりだった。 誰もが簡単にかつ即時に一次ソース(個人や政治家の発言や書籍原典)に当たれる時代であるにもかかわらず、彼らは一次ソースをまとめたに過ぎないネット記事を引用して、一斉に個人や法人へのバッシングを行うことを繰り返してきた。 ある漫画を「反日的・自虐史観的」として、学校図書館から除去せよと運動しておきながら当該の漫画を全く読んでいない事例(はだしのゲン)、 ある映画やその映画に登場する俳優をこれまた「反日的・左翼的」と批判しておきながら、当該の作品を全く鑑賞していない事例(利休にたずねよ、空母いぶき)など、こういった例は枚挙にいとまがない。 ところが真摯に一次ソースに当たってみると、そういったまとめサイトや引用記事が如何にいい加減で、恣意性に満ちたものであるかはすぐに判明する。 こうしたネット右翼発の「雑な」運動や批判は、「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」という対抗言説の登場で逐次つぶされてきた。 勿論、今回の岡村氏発言は、一次ソースに当たってみても生理的不快感を惹起せざるを得ない酷いものであった。 だからこそ4月30日になって岡村氏は番組内での謝罪を行った。 これは当然のことである。 藤田氏の批判はその方向性としては全く正しいと思うし、 私は「深夜ラジオのノリなのだからこの程度は許容しろ」という意見には全く同意できない。 しかしながらその批判は常に一次ソースに当たったものでなければ精度を欠く。 断わっておくが私は藤田氏の主張がおかしいと批判しているのではない。 SNS上であっという間に「まとめ」や「引用」が拡散される社会の中にあって、専門家や一般ユーザーに関わらず、ものを発信するという行為・ものを書くという行為には最低限度の参照行為が必要だ、と言っているに過ぎない。 誰かを批判する言説を二次ソースやまとめサイトに依拠して乗っかるのではなく、常に一次ソースに当たって、その妥当性を確認してから批判するのは、SNS全盛の時代、最も求められているリテラシーである。 これを欠いた批判は、たとえその批判が方向性として正しくとも、すぐに対抗言説の猛砲火を受けることを覚悟するべきである。 ネット右翼は彼らが「反日的・左翼的」であり「不道徳である」とみなした個人や法人を、主に電凸やメール投書によって番組やスポンサーから降板させるよう、現在でも何かの話題があるたび、醜悪な圧力運動を展開している。 ある時期(2012年頃)まで、こういったネット右翼による個人への番組降板圧力は取るに足らないもの、として黙殺されてきた。 ところが2010年代中盤以降、ネット右翼から人気を集める保守系言論人が、この圧力の旗振り役となってSNS上で率先して呼びかけを苛烈にすると、実際に放送局やスポンサーに平時を超える批判が届くようになり、人員不足に窮するメディアの対応能力がパンクして、止む無くその圧力に妥協するという事象が起こった。 私はこういったネット右翼の 「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力」をかけるという彼らの行為を、言論の委縮につながると再三批判してきた。 つまるところそれは、「自分の気に食わない人間は、有形無形の圧力を以て屈服させて良い」という、法的根拠を無視した集団私刑/自警団的行為で、私はこういった勢力を 「道徳自警団」と名付けている。 ・あまりにも激しい他罰感情は、正当性を歪ませる 今回の岡村氏の発言は、何度一次ソースに当たってその音源を聴いても、生理的不快感を禁じえず、また岡村氏には、 昭和恐慌下における女衒(ぜげん=売春あっせん業者)のような、醜悪な女性への人権軽視の価値観があるように思えてならない。 発言者の謝罪は当然であるし、批判も当然である。 ただしその批判は、一次ソースに当たったものでなければならず、また当該個人が他の放送局に出演している番組や企画から「ネットを使った外部の圧力」によって降板させようという署名活動までに進展するのは、はっきり言ってやりすぎであり、中世社会で行われた集団私刑の奨励に他ならない。 この構造は、私が永年批判してきた「ネット右翼的感性」(前掲)そのものなのである。 勿論、ネット右翼はその批判の根拠を、人種差別や人権軽視においている。 しかし私が言っているのは、批判の方向が「正しい」とか「正しくない」とかではなく、1「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」、2「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力(電話突撃=電凸や署名)をかけるよう、ネット上でオルグする(組織活動や勧誘を展開する)」という 構造そのものが、ネット右翼がここ20年弱行ってきた醜悪な行為と、あまりにも類似していると指摘しているだけだ。 私はこれまで徹頭徹尾、ネット右翼と彼らに支持される保守系言論人の言動には批判的な姿勢を貫いてきた。 であるがゆえに、彼らと思想的に真逆にある、進歩派や女権論者、その他リベラルと目される人々には、そういった低リテラシーで前近代的な私刑の発想は希薄だ、と勝手に期待していた感がある。 しかし今回の問題で、こういった「雑さ」「急進的で直情的反応」は、政治思想や信念の別なく、人間が根源で有している他罰的なものであると思い知った。 「貧困と性」を笑いものにするという発想自体が私には希薄で、仮にそういった価値観を内心で持つのは自由だが、それをラジオで開陳するのは言語道断の事である。 岡村氏の下品で人権意識に欠ける発言は全く擁護することはできない。 しかしながらそれを批判する際、批判者の側にも最低限度のルールやコモンセンス(常識)が求められるのではないか。 私たちは他者を批判する自由を当然持っているが、あまりにも他罰的な批判は、結局のところ「ネット右翼的感性」に収れんされ、その「雑さ」「急進さ」ゆえに、 批判の方向性の正しさにも疑問符が付きかねない、という事態になりかねないのである。

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「岡村隆史 降板署名」を始め、ネット署名の“数字”は全く信用できない|通りすがりの文筆家|note

岡村 隆史 署名

お笑いコンビ「メイプル超合金」のカズレーザー(35)が3日、TBS系「サンデージャポン」(日曜前9・54)に出演。 「コロナが終息したら美人さんがお嬢(風俗嬢)やる」などと発言し、批判されていた「ナインティナイン」岡村隆史(49)が1日未明にニッポン放送「オールナイトニッポン」に生出演し「至らなさを本当に反省してます。 人々に寄り添う思いが、全然自分の頭になかった」と謝罪したことについてコメントした。 カズレーザーは、岡村の女性蔑視発言を受けて、岡村のレギュラー番組降板を求める署名が行われていることについて「不快感なり、思うことがある方は署名活動するべきだと思うし、もっと集めた方がいいと思います。 そういう活動は絶対に発信すべきなんで」と自らの見解を示した。 その上で「ただこれを受けて岡村さんがどういう行動をとるかっていうのは、これで降板してくれっていうのはNHKに関しては公共放送なんでいろいろあるとは思うんですが、それ以外の番組ですぐに降板につながるっていうのは違う」と指摘。 そして「その署名が来たっていうのをどう捉えるかは岡村さん次第だと思う」と話した。 【岡村の発言要旨】(リスナーの性にまつわる投稿に対して)コロナが終息したら、物凄く絶対面白いことがあるんです。 なぜかというと、短時間でお金をやっぱり稼がないと苦しいですから。 これ、僕3カ月やと思っています。 3カ月の間、集中的に可愛い子がそういう所でパッと働きます。 で、パッとやめます。 だから今、我慢しましょう。 僕はそれを信じて今、頑張っています。

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